却逆の翼
光の中、俺は、どことも知れない、真っ白な空間に立っていた。
(よくやったぞ、柊人。さあ、こっからが本番だ。……一緒に戦おうぜ、一緒に、さ)
光の中。聴き慣れた相棒の声だけが、俺の耳に響いたーー。
ー◇◆◇ー
気がついた時、俺は、ドーム状の空間の、元の場所に立っていた。見ると、俺の背後には、どこか呆然とした様子の悠真が立っており、真横には、痛みに呻く亮が転がっている。
「つつ……やってくれたな、柊人」
やってくれたな。その言葉の意味が分からず、目の前に視線を戻した時、俺は、視界の中に、遥か後方に吹き飛んでしまっている暦有馬の姿を認めた。
ーーどうして、亮と暦有馬が吹っ飛んでいるのか。その理由を、俺は瞬間的に悟った。
これは、Advanceの誕生なのだ。霊岩郷がその解名を詠唱した時、その辺りに軽い地震のようなものが起きていたがーー今、ここで起きたことは、それに類するものなのだろう。
「……何をした、凡人」
暦有馬がそう問いかけてくる。その表情は兜によって隠されているが、動揺していることは、その声色から推察することができた。
「呼んだんだよ。たった一人の……相棒をな」
そう言った瞬間。
ふと、歴有馬の背の翼が、二枚に減りーーそして、その二枚の翼の片方の翼も、同様に消滅した。
それにより、暦有馬の全身の鎧は、光沢を取り戻した。虚無的な黒は、メッキが剥がれるように剥落し、後には、その残滓さえも残らないーー。ノヴァ・シリーズが欠けたことで、奴は「神の戦士」のシステムを維持できなくなったのだ。それは、あまりにもあっけない、核却色の終末の消滅だった。
「ふむ……翼を奪った、というわけではないな。君の背に翼がないのが、その証拠だ」
そう。俺の背に、翼はなかった。
だが、その魂はーー意思は、ここにある。
「停止者能力の残滓だとかいうものでで消滅させたのか? それとも、単に発動できないだけか……まあどちらでもいい。どちらにせよ、ノヴァ・シリーズがこの世から完全に消滅したわけではないからな」
奴は淡々と言う。しかし、その語調は心なしか早かった。案外、焦っているのかもしれない。
「先ず、君を殺して、後者の可能性を潰すとしよう」
そう宣言すると、暦有馬は、構えた掌に槍を顕現し、こちらへと投擲してきた。
超高速の槍が、俺に迫るーー。
しかし、それは恐るるに足らない攻撃だ。ーー俺には、俺には、翼がついている。
次の瞬間、体の前で構えていた俺の腕に命中した槍は、消しゴムで消したように、跡形もなく消滅した。
「ほう? 残滓というのは、案外残っているものだな。根こそぎ消滅させたと思ったのだが」
その言葉に、俺は悠然と返す。
「何を勘違いしているんだ? ーーこれは俺自身の力だ!」
言い、俺は暦有馬へと走り込んだ。そんな俺を、暦有馬は、残りの翼から羽を射出して迎撃する。
回避できない。そう悟った俺は、せめてダメージを最小限に減らすために、低姿勢で突撃しーー
その途中で、襲いかかってくる羽が全て消滅したのに驚いて、足を止めた。
見ると、羽は、別の羽に攻撃され、消滅したようだった。
「…………!」
別の羽。さっき、暦有馬が地面へとばらまいた羽だ。それがまだ残っていたらしい。
だが、妙だ。それを操作できるのは、翼を持つものだけなのだ。
そこまで思考したところで、俺は気付く。
これは翼の力なのだ。ーー最後の戦い。そこで、神の戦士を打ち倒すために、翼が一緒に戦ってくれているのだ。
「何が起こっている……!? 何をした、凡人!」
ここにきて、奴は明確な「動揺」を露わにした。
奴には分からないのだ。真の奇跡がーー俺達の戦いが。
俺は、未だ宙に浮いたままの羽を一枚、掌に乗せると、その腕を前に突き出した。それと同時に羽を射出し、奴の足へとぶつける。
それを、奴は回避できなかった。余程動揺しているのだろう。戦いの中で、一瞬平静を失うくらいには。
その攻撃で、奴のアンダーノヴァは消滅した。どうやら、ユートピアノヴァは、二つに分割されていたノヴァ・シリーズを一つに統合してしまうらしい。それで、片方だけを翼の力で消滅させるつもりが、もう片方も消滅したというわけである。
「もう、終わりにしよう。行くぜ、核却色の終末……いや、暦有馬治ッ!」
謳うように叫び、俺は、全ての力をその腕と足に乗せ、駆け出した。暦有馬と己の距離が加速度的に詰まっていく。見えない何かに導かれるように、俺の体が前進していく。
「まだ……まだ終わりじゃない!」
暦有馬も叫ぶ。それは、動揺を押し殺すような、欺瞞に満ちた絶叫だった。
その絶叫の響きが消えるか消えないか、というところで、奴は槍を顕現し、横薙ぎの軌道でこちらへ叩きつける。それは確かに俺の体に命中したが、しかし、それは対したダメージにはならなかった。俺はその槍を左腕で防ぎ、即座に消滅させていたからだ。
その消滅はどうやら腕、胸にまで及んだらしい。刹那、奴の体から、園央の外殻と静動刹那の外殻が消滅する。
「あああああッッ!」
絶叫。暦有馬と全く同じタイミングで叫んだ俺は、やはり暦有馬と同じタイミングで、腕を構えていた。奴は左拳、俺は右拳だ。
このままいけば。左背に翼を持つ暦有馬の拳は、俺のそれよりも早く振るわれる。それにより俺は吹っ飛び、窮地に立たされるだろう。
だが。俺は、そうはならないと確信していた。なぜなら俺の背にはーー。
次の瞬間。背後で、強い力で風が切られる音が響いた。それは幻聴だったのかもしれない。俺の体に、刹那の瞬間、背後の風を切る機関はない筈なのだ。
だが。
次の瞬間。
俺の体は、まるで、翼に、風に、押されるようにして。
奴の拳をすり抜け、最奥機関の刹那に直撃した。
「ぐあああッ!」
それにより、奴は再び大きく後方に吹っ飛んだ。そして、6メートルほど後退したところでその動きを止め、最奥機関の刹那が消滅するのも構わず立ち上がった。
しかし。奴ができたのはそこまでだった。そこから、攻撃に転じることができないーー。
見ると、奴の体は、先程のノアと同じく、粉塵になって崩れていた。
「成る程……これはまさしく、奇跡、というわけだな………」
うわ言のように、暦有馬は呟く。それは、自分の余命がもう少ないことを悟っている、儚い声色だ。
「主人公は……君だった………のか。凡人……いや、却逆の翼………」
それが、奴の最後の言葉になった。次の瞬間、奴の全身は、ノヴァ・シリーズの内部に内包されている、回復を促進させる粉塵に変容し、地面に溶け、人の形を失った。
終わった。肩で息をしつつ、俺は確かに、それを感じていた。
そこで、俺の意識は突然、あの真っ白な空間に移動する。
漂白された空間。白昼夢の世界の中に、ふと、コートを羽織った男が現れる。
それは、山の中で修行していた時、翼の催眠暗示で出現した男らしかった。
あの時は分からなかった。だが、今なら分かる。
ーー彼は、却逆の翼だ。




