槍ーーSpearーー
人間の眼球というのは、前方の景色しか写さない。節足動物であるトンボなどは全方位を視界に収めることができるらしいが、哺乳類でそれをすることはできない。
ーーよって。
背後からの不意打ちを、人間が対応できる筈がないのだ。
俺はありったけの空気を肺から排出し、小さく呻いた。
俺の背中を貫くのは、半透明な槍。槍は今にも消えそうに揺らいでいるが、威力は確かなようだ。熱い。貫かれた部分が、業火のごとき熱を脳まで伝達させる。
俺は背後を、気が遠くなるような速度で振り向く。
背後にはやはり、槍が続いていた。持ち手は概算で2メートルほど。そんな距離まで接近されていたのか、と思うと身震いする。
相手の顔は、ここからでも見えた。
相手は口を引き結び、眉間にシワを寄せていた。その表情、顔立ちからは、どこか荘厳な空気が漂っている。しかし、この槍は明らかに特殊能力だ。この相手は能力者だろう。
槍は奴の手に握られているわけではなかった。見る限りでは、奴の手が槍と化しているようだった。奴の掌は、そういう能力を内包しているのだろう。
(何してる! 早くこのくそったれな槍を砕け!)
ふと、俺の脳内に声が響き渡った。それと同時に、翼が自動展開される。どうやら、「翼」は却逆の翼を俺の力なしで展開できるらしい。
俺は一枚羽を落とし、それを槍に叩きつけた。ギャリィィ、と金属音が響き、槍が切断される。俺はそれを確認するとバックステップして距離をとった。
急いで却逆の翼を仕舞い、それで回復をはかると、奴を見据える。奴は俺を殺そうとした。ならば、ほぼ確実に追撃が来る。追撃に備えなければならない。
「ーー今の攻撃、どこを狙ったか...分かるか?」
しかし、追撃は来なかった。代わりに投げ掛けられたのは、質問だった。
「さあ...体の軸じゃないのか?」
俺は無難にそう答える。俺が貫かれたのは体の中央部。恐らくそこだろうと思ったのだ。
(ーーアホか。そんなわけねぇだろ。お前、やっぱりオレが居ないと死ぬな)
だが、「翼」は少し辛辣ぎみにそう答えた。
「違うな。心臓だ。つまり、今の一撃で、お前は死んでいたんだよ」
「なら、どうして俺は死んでない。もしかして命中力劣悪なのか?」
体に穴を開けられて尚普通に会話ができている自分に驚きつつも、俺は言葉を紡いだ。痛みはある。しかし、思ったほどではない。これも、「却逆の翼」の力なのだろうか。
とにかく、傷は再生してきている。奴が攻撃をしてこない理由は分かりかねるが、今の状況はチャンスだ。できるだけ多く奴に喋らせるしかない。
「フン。お前が避けたのだろう。白々しいな」
「お前が...避けた?」
俺は奴の言っていることが理解できなかった。俺は奴の完璧な不意打ちに対応できなかったのだ。それなのに、回避されたと主張するとはどういうことなのだろうか。まさか命中力劣悪ではなく意地っ張りなのか?
(オレがお前の体を操作したんだよ。正直、相手が迫ってるって確証が持てなかったからお前に気付かれないように、わずかに体の軸をずらしただけだが)
ありがとう、と礼を言いつつ、俺は奴の手を注視した。さっきの攻撃を見るに、奴の能力発動条件は掌にあるのだろう。ならば、掌の動きだけに注目していれば、能力を封じたも同然だ。
「まあいい。それよりも、どうして俺を攻撃したのか、聞かせてもらおうか?」
俺は少し好戦的にそう言った。正直、相手の体格は俺よりも少し大きい。それに、体にまとっている空気は中学一年生のものではない。恐らく、年上だろう。本来なら、敬語を使うべき相手だ。
しかし、敬語は使わない。それによって、相手の集中をかき乱すためだ。
「どうしてだろうな? それはーー」
奴は言いつつ、靴の裏をこちらへと向けた。何をーーと咎めるよりも早く、靴が伸びた。いや、靴から槍が生えたのだ。
俺はその槍が体に到達する1秒前に反応することができた。槍の鋒を避けて槍を掴み、勢いを殺したうえで、羽を使って切り落とす。
「自分の心に聞いてみろ!」
しかし、溜め込まれた気合いを解放するかの如き、雄々しき叫びとともに放たれた手からの槍を俺は完全に回避できなかった。
槍は頭部を狙って放たれた。俺はそれを首を動かして回避しようとしたのだ。しかし、槍は肩に掠り、鮮血を浴びた。俺は業火のような痛みを振り払うかの如く羽を三発射出すると、後退してさらに間合いを空ける。
奴は俺の羽を手で斬り落としてみせた。どうやら、槍は四肢の末端部分から顕現でき、さらに、顕現する時の長さまで変幻自在のようだ。奴は鋒部分だけを顕現させ、羽を完全に打ち落とした。
ーーあれに、対応できるのか。
俺は心に去来した不安を拭い去るように羽を三枚射出した。どうやら、素早さを重視すると、三枚が限界のようだ。それに、後続の弾を射出しようとしても、思うようにいかない。
(ここで焦って間合いを詰めるなよ! 焦ったら敗けだ!)
俺は焦りから間合いを詰めかけた。しかし、翼に制止される。その簡素で力強い言葉は、俺に勇気と力を与えたようだ。俺は頭が次第に覚めていく錯覚におそわれた。
奴はたった今、俺の攻撃を叩き落とした。
「その力だなッ! その力で、相山を攻撃したんだな!」
「知らないッ!」
言葉が、交錯する。
互いの思いはすれ違っている。それはまるで、N極とS極の磁石のようで。反発しあい、傷つけ合い、引き寄ることは永遠にない。そんな関係のようで。
先に切り札を切ったのは、柊人ではなかった。
奴は突如、腰の入っていないパンチ、ジャブを繰り出した。その拳には槍が内包されており、俺の心臓めがけて槍が突き進むのを、俺は自分の目で確認することができた。
伸縮速度は早いが、捉えきれないほどではない。俺は槍を回避すると、翼を一枚射出させた。それを左手でいなすと、左手で槍での攻撃を叩き込む。それも、俺はまた回避する。
しかし、回避した時には、既に右腕は元に戻っていた。奴は再び右手でのジャブを繰り出し、こちらの動きを牽制する。それに気を取られ動きを止めた瞬間、奴の左腕から槍が閃き、俺の頭部へと肉迫する。それを必死に回避すると、どうにか活路を開こうと奴に向かって駆け出した。しかし、次の瞬間、眼前に迫った右拳での刺突を俺は回避できなかった。
俺の眉間が僅かに裂けたところで、俺は真横に転がって槍攻撃を回避した。しかし、肉が裂けたことに変わりはない。鮮血が頭部から滴り、顔を伝って地面に落ちる。
そこを、奴の槍が襲う。俺はそれをバックステップで回避する。槍はどうやら余分に伸びないらしく、俺がさっきまで居た空間を貫いて静止した。
俺は無駄だと分かっていながら羽を射出する。やはりというべきか、羽は奴に打ち落とされる。
「いい加減認めたらどうだ! お前は相山を攻撃したんだろう!」
「さっきから...何なんだ! 相山だか何だか知らないがーー俺は、相山なんて、知らないッ!」
俺はそう言い放った。訳も分からず攻撃されるなんて、俺にとって我慢ならない。
「ーーそう、か」
ふと。さっきまでの荒々しさなど欠片もない、といったような声色で奴は呟いた。
「ここまで言っても聞かないってことは、本当に知らないんだな」
「ああ。だからさっきからそう言ってるじゃないか」
言い返すと、俺は翼を仕舞った。それを見るや、奴は声色に続き緊張までも解き、再び口を開く。
「さっきまでは悪かった。数々の非礼、許してくれ」
「あ、ああ...」
俺は何が何やら分からなかった。状況がイマイチ掴めない。
状況も飲み込めない俺に、彼は語り始めた。




