一人きりの前進ーーKyakugyakunotubasaーー
「何だこりゃァ……!」
11月22日の金曜日は、平日だ。なので当然、中学生は通っている学校に向かわなければいけないわけだがーーその男、霊岩郷は違った。彼は学校を抜け出し、街をほっつき歩いていた。
彼は柊人達の住んでいる博矢町の隣町に住んでいる。そのため、狐化しの効果を受けることはなかった。
しかし、新星ガ堕チタ地ノ理の効果は、街一つなどと言う生優しいものではない。ーーその範囲は「全世界」なのだ。
完成した停止者能力の影響を受けた霊岩郷は、その身に宿ったAdvanceを、跡形もなく「却逆」されてしまった。
「くそったれが!」
叫び、彼は、目の前にあった電柱を蹴り飛ばした。しかし、Advanceがない彼は、電柱一つ破壊することができない。
ーーAdvanceの消滅。それは、その圧倒的な効果に似合わず、あっけないものだった。
ー◇◆◇ー
「翼が……死んだ………」
あれだけ。あれだけ一緒だったのに。あれだけ言葉を交わし、あれだけ一緒に戦い、そしてーー。
しかし。どれだけ言葉を弄しても、俺に目の前の現実を否定することはできない。俺は都合のいい「主人公」でも何でもない、ただの凡人なのだから。
「さて。これで世界は等しく、凡人の集まりになったわけだな」
言い、奴は、右腕を天にかざした。それで、俺は大きく後方へ吹っ飛ぶ。無色透明のエネルギーが、俺の体を押したのだ。
しかし、奴がしたのはそれだけだった。それ以上に、何の現象も発生しないーー。
「停止者の弊害か……? まあいい、時間はあるーー」
どうやら、奴は、「神の戦士」としての力が発動できなくなっているらしい。あらゆるAdvanceを凌駕すると言うその力が発動出来ないというのはありがたいが、しかし、奴にはノヴァ・シリーズがあるのだ。Advanceのない俺たちでは、それに対抗することができない。
ーーそんな俺の諦観を、打ち消すように。
俺の背後から、亮が歴有馬に突撃した。身体的なダメージが少ないため、そのスピードは速い。
しかし。それでも、それはただの人間の疾駆に過ぎない。歴有馬は六枚ある翼を完全に解体すると、その全てを前方に射出し、亮を迎撃した。
それは最早、「弾幕」と呼べるかさえ怪しいような、純粋な「破壊」の具現であった。
羽達は唸り、亮に迫るーー。
「甘い…!」
ーーそれを。
亮は、身一つで突破した。上体を限界までそらしてスライディングし、真っ直ぐに飛んでくる羽の被害面積を、限界まで少なくして前進したのである。
足、脇腹、左肩。被害を受けたのは、その三箇所だけだった。しかも、そのどれも、急所を外している。
「攻撃が真面目過ぎるんだよ!」
叫び、亮は攻撃の後ろ側で立ち上がり、歴有馬へと肉薄した。それを奴は、羽で迎撃しようとするが、たった今全開攻撃に使った物を、即行で防御に転じさせることはできない。
結果として、中途半端にエネルギーを加えられた羽は減速し、何百枚かは地面に落下した。
一万枚にも達しようかという羽の軍勢は、コントロールが難しい。だからこそ、どうしても、その攻撃は直線的なものになってしまう。
ーーそれを亮は利用したのだ。全ては、歴有馬に接近するために。
(そうだ。Advanceがあろうとなかろうと、関係ないーー)
ふと、思考が弾ける。
それは間違いなく俺の思考の筈なのだが、しかし、それはどこか「湧いて出た」ように思えたのだ。まるで、自分の意識の中に、もう一人の自分が居るかのようなーー。
(いや、そんなことはどうでもいい。問題は奴を倒せるか、だ)
奴を倒せるのか。
力はない。だが、身ならある。捨身の肉弾戦を演じて、奴に組み付けば、あるいはーー。
そこまで思考したところで、俺の脳裏に、思考が弾けた。
(”俺”を信じろ、柊人)
それは俺の思考のようで、俺の思考ではないーーもうこの世には存在していない筈の、どこかの誰かの思考だった。
見ると、亮は、槍を顕現した歴有馬と戦っているところだった。奴は神の力を手にしたとは言え、まだ学生だ。槍術のセンスはない。そのため、槍の間合いの外である懐に入り、完全に互角の勝負を演じることができていた。
「亮っ!」
俺は決意を固め、叫んだ。
その声に、亮は動きを止めることなく、留守になっていた左手で応じた。サムズアップ。親指を立てるだけの、簡素なハンドサイン。
ーー「お前に任せる」。そう、メッセージが込められたハンドサイン。
この策がうまくいくかどうかは、まだ分からない。いや、そもそも、今からやろうとしていることが「策」と呼べるものかどうかは、かなり怪しい。
それは「祈り」に近い手。神すら下す、人の願望。
「ああ、そうそう、言ってなかったっけな!」
ふと、亮が叫んだ。
「お前は完全に消したつもりかもしれないが……俺の中には、まだ、僅かばかりの停止者能力が残っている」
言いつつ、亮は、一度大きく開いた間合いを、いきなり大きく詰めた。それと同時に、歴有馬の感情に反応したのか、地面にばらまかれていた羽達が、背中へと戻っていく。
それは実に陳腐なブラフだった。少し考えれば、直ぐにハッタリだと知れてしまうようなものだ。
だが。圧倒的優勢が崩されそうになった人間というのは、どうしても不安になる。絶対的に信頼を置いているものに頼りたくなる。
ーーそのため。
歴有馬は、他の全てのAdvanceを意識の隅に追いやり。
最奥機関の刹那の、都合のいい展開を引き起こす能力を、発動させた。
それにより、亮は『傷の痛みに耐えかねて転倒する』。
転倒した亮は、自分が死ぬかもしれないという状況で尚、笑っていた。それは実に快活な、勝利を確信した笑いだった。
「お前はしきりに、何かをカウントしてた。それは、主人公能力のカウントなんだろ?」
亮が言う。
「そしてーーそれはもう尽きたんだ。そうだろ? 余裕があるなら、さっき、柊人の攻撃を別のAdvanceで防がないもんな……!」
ちなみに。亮は、その後に言葉を付け足した。
「今のは、時間稼ぎだ」
その言葉に、歴有馬は兜の下ではっと声をあげた。しかし、もう遅い。
亮に集中していて、奴は気づいていなかったがーー俺はずっと、奴に接近していたのだ。
俺は疾駆の勢いを殺さず、そのまま、歴有馬の右背の翼に組みついた。翼を腕に抱えて、離さないーー。
「ーー何をしている、凡人。そんなことをしても、君が持っていた翼は帰ってこないぞ!」
「そんなことはない。翼は……あいつは、確かに死んだかもしれないが……ここで終わるような奴じゃないッ!」
叫び、俺は、自分を振り払おうともがく歴有馬に、一層強く組みついた。
「翼、か。君は知っているのかね? 却逆の翼などと言う名前のAdvanceが、現実には存在しないと言うことを」
現実には、存在しない。
それは、過去においては事実だったのかもしれない。却逆の翼とは、翼が、自分の性質を指して名乗っていた、創作された名前だったからだ。
だが。
だが、それでも。
「いや、存在するさ」
その言葉に、歴有馬は訝しむような声をあげる。だが、俺は構わず続けた。
「どれだけ……あいつと俺が、どれだけ戦ってきたと思ってる!? どれだけ呼んできたと思ってる!? あいつは確かに存在する……今、ここにッ!」
「存在などしない! 凡人の戯言が……私を惑わせるなッ!」
叫び、歴有馬は遂に俺を振り払った。俺は大きく後ろに吹っ飛び、腕の間合いから翼を逃してしまった。
しかし、尚も俺は歴有馬に迫る。たった一人の相棒を取り戻すために。
「このォッ!」
次の瞬間。奴は手中に槍を顕現。それをそのままの勢いで投擲した。その鋒は、真っ直ぐに俺の心臓を向いている。
死ぬ。そう思った瞬間、俺の腕が反射的に動いた。槍の脇腹を叩き、僅かに軌道を逸らす。結果として、槍は俺の脇腹を浅く裂いたが、心臓を貫く、と言うことはなかった。
それによって生まれた痛みを堪え、俺は、翼に触れた。
ーーそして。今まで、幾度となく呼んできたその名前を、謳うように、あるいは、語りかけるように、呼ぶ。
「ーー却逆の翼……!」
刹那。世界に、光が満ちた。




