一人きりの停滞ーーThe Only Prologue To Destinyーー
投稿が遅れて申し訳ありません……
しかし、最終回までの原稿は書き終えましたので、もうこんなことはありません!
夢を見ていた。遠い昔のーーひどく現実味のある夢。
それはいくつもの記憶が複合された、整合性を欠いたものではなく、かつて自分が見た光景が、そのままそこに現れたものらしかった。
(ああ、ここは前の家だな。マンションの4階ーー賃貸だったか………)
俺はその時、自室にいた。まだ真新しい勉強机、整形色がそのまま出ている、ヒーローのフィギュア、ポップな数字の刻まれた時計ーー。
何もかも覚えていた。今まで忘れていたはずのその記憶は、今、鮮明に蘇っていた。
そんな中。俺は、背中に強い痛みを感じて呻いた。それは熱感だった。背中が、灼けるように熱い。
ーーその熱さを、俺は前に感じたことがあった。忘れもしない、「あの日」。全てが始まったあの秋の日に。
ふと。痛みから、カーペットの上をのたうちまわっていた俺は、窓の外に、一つの人影を認めた。
無遠慮にベランダに立つそいつは、いっそ滑稽なほど清潔な白無垢を着込んでおり、その顔には、縁日の屋台で売っておるような狐面が装着されていた。
狐面。それは、俺が「さっき」まで戦っていた相手に他ならなかった。俺の過去には、現れるはずのない相手だ。
(ーーさっき? 俺は……何をしていたんだ?)
うまく思い出せない。意識ははっきりしているはずなのに、肝心なところが思い出せない。
そうこうしているうちに、そいつは、指一本動かさずに、俺の部屋へと入ってきた。体は動かすことができなかった。自分はただ、事態を傍観することしかできないーー。
その光景を目にした時、俺は確信した。
これは「現実」だと。狐面は、確かに、俺が子供の時、目の前に現れた相手なのだ、と。
「こんにちは、翼。気分はどう? ーーって言っても、聞こえないか? 君は何のことだかわかってないだろうしねぇ」
狐面はあっけらかんとした様子で俺に語りかけ、こちらへと接近してきた。
「探したんだよ? まさか前の「翼」が自殺しちゃうなんて思わないじゃない。それで、後継者になりうる人間を探していたんだけどーーこんな小さい子供だなんて……」
狐面の言葉は、次第に独白のような調子になっていった。その声には熱っぽさがある。
(小さい子供で悪かったな)
ふと。翼が喋った。
翼。あいつは俺が13歳になった時に現れた存在の筈だ。俺の過去に登場するはずはない。
だが、今、ここで、あいつは喋っている。そして、俺はどうしたことか、それを覚えているーー。
「ーーなに? 誰よ、あんた」
翼の言葉。本来、誰にも届かない筈のその言葉に、狐面が答えた。
(おっと、この声が聞こえてるってわけだ。それじゃ、話は早ええな)
翼が言い終わるが早いか、狐面は「狐化し」と唱え、俺の顔に手をあてがった。
奴のAdvanceは、相手のAdvanceをコピーし、昏倒させ、スライムを作り出す。
だが、俺が昏倒することはなかった。スライムは体から染み出してきていたし、狐面の右後方には、黒く輝く翼が顕現されつつあったが、肉体だけは動かせていた。
おそらく、この時肉体を動かしていたのは、翼自身だったのだろう。彼がーーたった一人の俺の相棒が、俺の体の操作を一時的に代行したのだ。
俺は、その手で、頭にあてがわれたままの狐面の腕を掴んだ。ーー停止者能力の乗ったその腕で。
「な……っ! この力、まさか……停止者………」
その言葉に対し。
翼は僅かに間を置き、高らかに、どこか産声をあげるような調子で、謳うように「それ」を言った。
(停止者? 違うな、俺はーー「却逆の翼」だ!)
却逆の翼。それは、ずっと翼が名乗り続けてきた名前。
アウターノヴァとも、クロムメタルウィングとも違う、異質な名前。
それを聞くと、狐面は薄く笑い、
「なるほど、却逆、ね……謎が解けたわ。それは「あなた自身」の名前だったわけだ……」
と言った。何とか気丈に振る舞おうとしているが、しかし、狐面からは、冷静さが消え失せているーー。
奴の言葉で、俺は理解した。却逆の翼。それは、他の誰でもない、停止者自身を表した言葉だったのだ。
Advanceを却逆する者という、その在り方を表した名前だったのだ。
「もう二度とあなたには合わないでしょうね、翼。もうAdvanceはコピーしたし……用済みよ」
言い、狐面は、人の形へと変化したスライムを引き連れ、その場から去ろうとする。
と、ふと。そのスライムを、俺の拳が貫いた。その拳に内包された停止者の力によって、一秒とかからずスライムは消滅する。
(賢明な判断だな。今退かなきゃ、あんた、今頃こうなってたぜ)
その言葉を聞き終わると、狐面は黙って去って行った。
いつか見た、母親と俺と、狐面の夢。あれは、今、俺が見ている光景を示していたのだ。
あの「母親」とは、却逆の翼のことだった。俺はずっと前から、翼に守られていたーー。
ーーそこで、俺の意識は「現実」に引き戻される。
段々と、記憶が鮮明になってくる。
俺は暦有馬と戦い、激戦の果てに、その命をーー。
そこまで思考したところで、自分は、目の前に広がっているのが、さっきと同じ、石造りのドームの、その天井であることに気付いた。
自分はどうやら、地面に仰向けで寝ているようだった。背後に跳躍した後、槍に貫かれ、意識が途切れたことで着地がうまくできず、そのまま地面に激突してしまったのだろう。
ーー痛みは、なかった。見ると、俺の胸から槍は消滅しており、致命傷も、跡形もなく消え失せていた。
「な……」
なにがあった、と俺は問いかけようとした。
だが、それはできなかった。
ーーいつも絶えず響き続けてきた翼の声が、脳から消滅していたからだ。
「ーー翼?」
呆然としたまま、俺は立ち上がった。ーー横へ視線を向けると、いくつかのパーツを回収して何とか立っている悠真と、全快の状態で、苦虫を噛み潰したかのような顔で立つ亮が見えた。
亮の顔は、こちらへと向いていた。
「亮、翼はーー」
その言葉に、亮は悲壮な表情を浮かべ、下を向いた。
「翼はさ……最後に、槍を消して、お前に粉塵を叩き込んで回復させたんだ。けど……そこで………」
ーーそこで、なにがあったというのだろう。翼の声が脳から消えることなんて、起こり得ないはずなのに。
俺はそんな思考と共に、暦有馬の方向を向いた。
ーーそして。
俺は、「それ」を見た。
暦有馬の体から、ボロボロのマントが消滅し、代わりに、背中から、何かが生えてきている。
黒く輝く、本来、人体には備わっていない、その一対の機構はーー。
「翼」だった。
いつか、悠真から聞いた言葉が脳裏でリフレインする。
ーーノヴァ・シリーズは、所有者を殺すことで奪うことができる。
俺の心臓は、貫かれて一度止まった。生体反応が一瞬とはいえ、停止した。ーー「死んだ」。
死んだ。
死んだ。
ーーそれで、奪われた。
「お……まえはああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!」
刹那。俺の脳を支配したのは、燃えるような怒りだった。よくよく見ると、奴は全てのAdvanceの発動を解除し、元の状態に戻っていたが、そんなことは最早俺には関係のないことだった。
「来るか、凡人。いいだろう、基却色の外殻で迎え撃ってやる」
その激情に突き動かされ、俺は暦有馬へと肉薄した。振り上げられた拳を、全力で突き出す。
しかし。奴は既に唱えている。あらゆる攻撃のエネルギーを反射できるAdvance、アンダーノヴァの名前を。
次の瞬間、俺は自分の拳のエネルギーで後方へ吹っ飛ばされた。
そこから態勢を立て直して見ると、奴の両足が、黒く輝く鎧に変容していた。
「静動刹那の外殻」
続けて奴は唱えた。それで、今度は腕が鎧へと変容する。
「園央の外殻」
「最奥機関の刹那」
胴が、頭部が。
「外却色の刹那」
背が。
あらゆる光を吸収する、重く、濁った黒へと変容していく。それは最早、生物的な黒ではなかった。抗うもの全てを無へと帰す、「神の戦士」を体現したような、絶対的な虚無の色が、そこにはあった。
「核却色の終末」
それを唱えた瞬間。奴の背の翼が、更に四枚増えた。
三対。合計六枚の翼が、その背で静かに佇んでいる。
「くそ……ちくしょう、くそったれ………!」
悠真が呻く。
それは無理もないことだった。なにせ目の前に存在しているのは「神」なのだから。
「今回ばかりは……感謝しなければならないな、凡人。君のお陰で、私は………」
ふと、歴有馬が口を開く。その声は、神の力を得る前と何ら変わらないものだった。しかし、今はそれが逆に恐ろしい。全Advance使いが求めてやまない、絶対的な力を手にしても尚、正気を保っているというのは、どう考えても「普通」ではない。
ーーやや間があって。歴有馬は、決定的で致命的な、「その言葉」を口にした。
「私の聖域へと、到達することができた」
そこで。俺は、死に物狂いで歴有馬へと突撃した。ここで動かなければ、取り返しのつかないことが起きてしまう気がしたからだ。ーー後から思い返してみると、それは「決別」の予感だったのかもしれない。
歴有馬は、そんな俺を一瞥すると、突き放すように、あるいは、謳うように、素早く言った。
「二対の停滞者よ(Stagnatione putidus duorum pairs)、星を灼き(Rhoncus a stella)、神を墜し(Stillabunt in Deo)、理想郷をも奪略せよ(Auferat ab Utopia)。
ーー新星ガ堕チタ地ノ理」
停滞者。停止者。ーー翼。
その名前は、停止者の解名らしかった。狐面と俺から略奪したので、奴の体には、二つの停止者の力がーー完全な力が宿っているのだ。
刹那。俺はーーいや、俺たちは目撃した。
歴有馬のその背。三対の翼が顕現されている、その更に後方に、陽炎のように揺らめく、不定形の翼が出現したのを。
その翼は、ひとしきりその身を震わせた後ーーやがて、真横に伸び、強く発光した。
光は強く、俺は一瞬、目を瞑ってしまう。それで、動きも止まる。やがて、光が治り、俺が目を開けた時、そこに、もう、翼はなかった。
「嘘だろ……」
悠真が呆然として言う。何事かと振り返って見るとーー彼の足が、元の状態に戻っていた。
パーツの多くが欠損しているとは言え、この状況でAdvanceを解除するのは不自然だし、愚策だ。
ーー彼のAdvanceが、消された。そう考えるのが自然だろう。
見ると、亮も何やら呆然とした様子で立っている。彼は「嘘を見抜く少女の笑い声を聞く」力を有していた。それが消滅して、動揺しているのだろう。
「さて、これで邪魔者は消えたな。自らの力を受けて………停止者は完全に消滅した」
その言葉の意味を。
俺は当初、理解することができなかった。
だって。
だってそれは、あまりにも唐突で。
永遠に続くと思っていた、あの日々が、二度と戻ってこないだなんて。
ーー翼が。
翼が。
翼が、完全に、消滅した。




