臨月ーーEnd of Fox Maidenーー
遅れて申し訳ありません。
俺は、祭壇から落下する親友の姿を凝視していた。
「亮……ッ!」
叫び、背中に展開した翼から大量に羽を分離させ、それを亮の方へと飛ばす。その道程で、羽たちはひと塊りになり、クッションを形作った。
それに受け止められ、亮はことなきを得た。だが、命が助かったからと言って、停止者の力に精神を呑まれている亮の勝機が取り戻されたわけではない。彼はそのクッションを踏みぬき、尚も狐面へ向かおうとする。
(くそ……停止者の力を、常に掌に集めてるからだ……! あれじゃ暴走すんのも無理ない!)
翼が切迫した声で叫ぶ。
その言葉通り、亮は、明らかにおかしくなってしまっていた。彼はもっと、冷静な男なのだ。ここまで取り乱すのは、らしくない。
俺は亮が跳躍する寸前、その足場を一部崩し、彼を転倒させた。
「何するんだ、柊人!」
亮が叫ぶ。その狂乱した姿に、俺は一瞬痛ましさを感じたが、すぐにそれを振り払い、
「一旦退け! 今のまま突っ込んでも吹っ飛ばされるだけだ!」
と言った。それを聞いた彼は一先ず納得したようで、態勢を立て直した後も、愚直に突撃することはなかった。
それを見、俺は、クッション状にした羽を、そのままの形状で地面へと降ろしていった。
同時に、背中の羽を数発、狐面に見舞う。
「無駄よ。そのAdvanceでは、私に傷をつけることはできないーー」
謳うように言うと、狐面は、手も動かさず、向かってきた羽を弾き飛ばした。それも、数発同時にである。
(さっきの攻撃か……!)
指定した対象に衝撃を与えるAdvance。その歯牙にかけられた羽の群は、重力に引かれて地面へと落ちていきーーそして、その途中で、息を吹き返したかのように、逆方向へと向かっていった。
逆方向。それはさっきまで向かっていた、狐面の方向だ。
「ノヴァ・シリーズは二度出力を与えることができる……。なるほど、それを利用したのね」
それは完全な奇襲だった。実際、狐面も、僅かだが対処が遅れていた。
だが、遅れたのは僅かな時間だけだった。彼女の数十センチ前方で、羽は再び弾かれてしまう。
「解名詠唱をしていないノヴァなんて、所詮は、平凡なAdvanceと変わらない。まあ、名前を知る資質を持たない人間には、仕方のないことではあるけどーー」
名前を知る、資質。その言葉に、俺はハッとした。
ーー狐面はまだ、こちらが解名の知識を得ていることに、気付いていない。
そのことを利用すれば、戦える。奴の隙を突くことができる。そう思考した瞬間だった。
「なんて、言うと思った? 外却色の刹那所有者さん?」
狐面が、それを言った。
それは俺が行った攻撃同様、完全なる不意打ちだった。その言葉に、俺は神妙な表情を崩してしまう。目を見開き、口から、どこか怯えたような声色で「バカな……」ともらす。
(……ちくしょう)
それでもう勝負はついたようなものだった。俺はたった今、「情報戦」に負けたのだ。
「ありゃ、意外。こんな古典的なカマかけも、中学生相手なら成功するのね」
嘲るように狐面はそう言うと、続けて「アドバンスコール、親愛なる暗殺者」と呟き、羽群から降りたばかりの亮を、不可視の斬撃で切り裂いた。
7発。亮の全身に、一瞬にしてそれだけの傷が刻まれる。どう言う訳か、咄嗟に背後へと飛んでいたので、肉体が大きく欠損する、などと言うことはなかったが、それでも重傷を負ったことに変わりはない。
「亮!」
「くそ……しくじっちまった………停止者に……呑まれすぎたか………」
言い、辛うじて立ち上がった亮は、痛みを堪えきれずに膝をついた。
彼は分かっていたのだ。自分が平静を失っていたことを。分かっていながら、それでも、必死で戦っていたのだ。更に自分を追い込むであろう、停止者能力を振るって。
「亮、大丈夫だ。お前は休んでてくれ。あいつは……俺がやる」
「俺がやる……フフ、いい台詞ね?」
狐面は笑い、そして、仮面を外し、こちらへと投げ捨てた。
それにより、彼女の容貌が露わになる。
妖艶。刹那、俺の脳裏にはそんな言葉がよぎった。それだけ、狐面の容姿は整っていたのだ。
「惚けちゃったかしら? でもダメよ、そんなことじゃ……Advanceで作ったこんなものに、惑わされちゃね」
Advanceで、作った。その言葉に、俺は愕然とする。
皮膚組織を組み替える能力だろうか? はたまた、幻覚を見せる能力だろうか? どっちでもいいがーー俺には、容姿を整えるために、あの女がAdvanceを使っていると言うことが信じられなかったのだ。
「Advanceは、私に全てを与えてくれた……」
憂いをたたえた顔でぶつぶつと呟くと、彼女は、懐から銃を取り出した。オートマチックのハンドガンだ。慣れた手つきでスライドを引き、彼女は銃に初弾を装填する。
「本物なのか……!?」
「ええ。日本だって、発射機構さえ潰せば、銃の所有は認められてるのよ。それをあの……近森とか言う娘のAdvanceで直せば、本物の銃が完成するーー」
それで合点がいった。あの時。暴走したノアを止めるために駆けつけた近森さんがハンドガンを持っていたのは、そのためだったのだ。
あらゆるものを「修復」するAdvance。そんな恐ろしいものが、今、彼女の手の中にあるーー。その事実に、俺は身震いした。
狐面は、ハンドガンを一旦おろし、素早く、手の中に結晶を生み出し、それを飲み込んだ。ーーリカヴァー・アドバンス。見えたのは一瞬だったが、それだけで、俺はその物体の正体を特定することができた。
それによって、亮に殴られた傷が、みるみるうちに塞がっていくーー。
「これも、あの娘のAdvanceよ。素晴らしいでしょう? 彼女も彼女で、これを流通させてお小遣い稼ぎしてたようだけど……私なら、もっと有効にこれを活用できるわ」
「ふざけんな……! あんたのは、結局ただの盗品じゃないか!」
その言葉に、「人聞きの悪いこと言わないで」と返し、彼女は、銃を、片手でホールドして中段に構えた。
ーーその銃口は、祭壇の上に磔にされている、ノアへと向いている。
「や、野郎ッ!」
俺は叫んだ。
あれは脅しだ。今ここでノアが死ねば、彼女だって困るはずだ。ーーそれは分かっている。それでも、叫ばずにはいられなかったのだ。
「あ、先に断っておくと、これは脅しじゃないわよ。計画はもう、既に完成している。あとはもう、ノアが死体でも全然構わない。狐化し、臨月ってわけよ。もうすぐ産まれるの。能力のーー神子が」
それが言い終わるのが早いか、磔にされたノアの腕から、何か、粉のようなものが溢れた。
ーー体が、粉になっている。そのことに気付くのに、そう時間はかからなかった。
どう言う理屈かは不明だが、彼女の肉体は崩れ始めているのだ。
(あれは……ノヴァの………)
翼が何やら呟く。しかし、その言葉は、次いで発された狐面の言葉によって、かき消された。
「さて。ノアを助けるためには、この祭壇を駆け上がって、私の元までたどり着かなきゃいけないわけだけど……その脚力で、私の指の動きより早く、ここまで来れるかしらね?」
誘っている。俺は、一瞬にしてそのことを理解した。
彼女は、遠回しにこう言っているのだ。ーー「外却色の刹那を使って、自分のところまで来い」と。
アウターノヴァは確かに強力なAdvanceだが、欠点がないわけではない。そんな欠点の一つに、「現実の物質に干渉する時には、一旦加速を解かなければいけない」というものがある。
現実という区切りから逸脱するAdvanceだ。そんな異端者のまま、現実に触れることはできないのだーー。
つまり。狐面のところまでアウターノヴァで到達しても、奴を無力化させつつ、ノアを助け出すのは、不可能に近いのだ。
ーーノアを救って、Advanceを失うか。それとも、Advanceを守って、ノアを見殺しにするか。
その二択が頭をよぎった時。俺は謳うように、声に決意を乗せ、その名前を呼んでいた。
「翼、頼むぜ……? ーー外却色の刹那ッッ!」
Advanceをとって、ノアを見殺しにする。そんなものは、選択肢ではない。ーーそれを選ぶということは、神無月柊人を殺すということだ。
Advanceの起動と同時、背の翼が消えていく。見えないが、消えていく感覚だけはある。
ーーそれを最後まで感じ切ってから、俺は地面を蹴り、跳躍した。それで、祭壇の階段の中腹まで移動すると、さっきよりも強い力で石段を蹴り、大きく上へと飛び上がる。
それを数回繰り返し、俺は、祭壇の頂上に到達した。
ついに、ここにたどり着いた。そのことに達成感を感じるよりも早く、俺は、腕を伸ばしつつ加速を解き、狐面の手から銃を弾き飛ばした。
ーーそれで、俺は完全に停止した。勿論、ここから動くことができないわけではない。しかし、この至近距離で
は、俺の到達点が予測できる状況にあった狐面の方が、こちらよりも数秒早く動くことができるのだ。そのアドバンテージだけは、どうあがいても覆せない。
瞬間。脳裏に、そのヴィジョンが浮かぶと同時ーー狐面の腕が、俺の腹に触れた。
最近、時々頭に浮かぶようになった、未来のヴィジョン。それがあっても、咄嗟に位置を変えられない腹への攻撃だけは、回避することができないのだ。
「くそ……!」
俺が呻いたとき。狐面は、全てを終えていた。
彼女の背に、一対の翼が展開される。それは、俺からコピーした、本物の「アウターノヴァ」らしかった。この間見た、本物に限りなく近い、軽薄な色の翼ではない。
たった今。彼女の背に、二つの翼が揃った。狐面のむき出しになった顔に、薄い笑みが浮かぶ。
だが。それは俺も同様だった。同じタイミングで、俺も、笑みを浮かべたのだ。
「待ってたよ。あんたが、俺の翼をコピーするのをさ」
刹那。
ーー俺と狐面の、右肩の翼が、黒色から灰色へとその色を変え、かけらも残さずに崩壊していった。
「な……に………ッ!?」
狐面の顔が、驚愕と恐怖、そして、強い怒りに歪む。
そうしている間にも、翼は崩壊していく。俺の翼の崩壊は既に止まっているが、狐面のそれはそうではない。未だに崩壊を続けている翼の最後の一片が、今、崩壊して虚空へと消えるーー。
「予め、停止者能力をアウターノヴァに使っといたのさ。俺の方は、能力の行使者だから、途中で現象を止められるがーーあんたの方は、そうはいかないだろ!」
それは、ここに突撃する三日前に翼が発案した、確実に狐面を倒すための策だった。
自分の翼に停止者能力を使い、崩壊しつつある翼をコピーした敵のAdvanceを、コピー品ごと根こそぎ消滅させるーー。
それにはリスクが伴う。だからこそ、出来るだけ使うのを避けていたがーーそれが今、ここで使われたのだ。
言っている間、狐面は、苦痛に歪んだ表情で、翼の発動を解除し、その代わりに、他のAdvanceを矢継ぎ早に展開していった。それを手早く使用し、なんとかこちらの反撃を防ぐ。
しかし、そのAdvance達は、顕現されたそばから崩れて、消滅していく。ーーそして、その反応が止まる。最後に残ったのは、盾のAdvanceとーー
「ーーなんとか……守り切ったわ………」
ーーもう一つの、アウターノヴァだった。俺の前で、彼女は背に翼を展開した。
停止者能力は、現在発動しているAdvanceを優先して消滅させる。その修正を利用し、彼女は、自分の中の「不必要だと判断した」Advanceを犠牲にし、最も重要なAdvanceを守ったのだ。
「くッ!」
呻きつつ、俺は、翼を震わせ、彼女に全力の拳を繰り出した。
しかし、その拳は、顕現された盾によって阻まれてしまう。衝撃を吸収するタイプのAdvanceだろうか。盾を構える彼女は、一切仰け反らなかったし、こちらの拳にも、一切手応えがなかった。
瞬間。その盾も、遅れて発動した停止者能力によって消滅するがーーしかし、最後に残ったアウターノヴァだけは、消滅させることができなかった。
次の瞬間、狐面は、翼を震わせる事で生まれた推力を利用した、全力の左ストレートを俺へと見舞った。それは胸へと吸い込まれるように命中し、俺を祭壇からはじき出した。
なんとか空中に足場を作り態勢を立て直すが、それで、彼女との間合いは大きく開いてしまった。
(く、くそ………ッ!)
翼が呻く。ーーと、その瞬間。ふと、戦闘音が止み、静寂が落ちていたドーム状の空間に、ガラスが割れるような音が響いた。
その音が鳴り止むと同時、狐面の横に、二つの人影が現れた。
ーーそれは、よく見知った顔だった。俺の通っている学校では、彼らを知らない生徒は居ないのではないか。
生徒会長、暦有馬 治と、副会長、山城 冬下ーー。
「随分と罪を重ねたな、狐面。ーーさあ、罰の執行だ」
暦有馬は、酷薄な声色で、そう言った。




