初夜4ーーAcceleration Outer Novaーー
「ま……亮………!」
俺の眼前に立っていたのは、亮だった。亮は一瞬、ぽかんとしたような顔をしていたが、直ぐに、
「しゅ、柊人だ! おい悠真、直せるか?」
と言った。
悠真。その言葉で、俺は、亮の背後に、彼が立っているのに気付いた。
この距離で、誰かがいる事に気付けないほど疲労しているのに、改めて愕然とする。
本当に俺は、死に向かっているのだ。
「前やったみたいにやれば……できない事はないだろう。おい柊人。辛いと思うが、最後にもうひと頑張りしてくれ。黒銀の翼を展開するんだ」
そう言われ、俺は「黒銀の翼」と詠唱してAdvanceを再び背に展開する。制限時間は、これまでに回復しているようだった。
それを見ると、悠真は、足からアンダーノヴァのパーツを分離させた。俺はそこに、翼から羽を叩き込み、真っ二つに叩き割ってやる。
「よし、寸分狂わず叩き込んでやるから、ナイフを抜いてくれ」
頷き、俺はナイフを、自分の腹から抜き放った。それと同時、悠真が、宙に浮いたままだった薄緑色の粉塵を、俺の腹に叩き込む。
それで、俺の傷は完全に回復した。
「しっかし、便利だな、ノヴァシリーズっていうのは」
亮が感心したような声を出す。それに対し悠真は、
「そんなこともない。君らの力の方が遥かに強力で『便利』だ」
と、顔をほころばせつつ言った。君ら、とは、俺と亮のことだろう。却逆の翼と、嘘を見抜く能力のことだ。どうやら、俺たちが停止者能力を有していると言うことは、まだ露呈していないようだ。
そして、俺が知らない間に、どうやら二人は打ち解けていたらしい。
「助けてくれてありがとう。でも、どうしてここに来たんだ?」
俺が話しを切り出したので、悠真は冷静な表情になり、口を開いた。
「俺は、狐面達が一体どこから湧いてたのか調べてたんだ。それは言ったよな?」
俺は「ああ」と答える。ここ数日、ずっとその報告を待っていたのだーー。
「それで、俺は隣町に居たんだがーー重要な情報を掴んだんで、こっちに始発で戻ってきたんだ」
重要な情報。その言葉に、俺は目を見開いたが、話の腰を折ってしまっては悪いと思い、黙っていた。
「そうしたら、この有様だろ? どこもかしこも昏睡状態の人間だらけだ。この現象の効果範囲は、どうやらこの博矢町のみのようだがーーこれがもっと広い範囲に広がったら、大惨事になっちまう」
それで、俺は、覚醒状態にあり、かつ、狐面を装着していない亮と合流して、お前を探してたんだーー。悠真はそう続けた。
「俺は、Advanceの性質上、この現象には巻き込まれなかったようなんだ」
亮はそう、欺瞞を含んだ言葉を言い、次いで神妙な表情になり、
「それよりもさ。街を二人で歩いてたんだがーーどうも、仮面を付けてない奴が、ある程度居るようなんだ、この街には」
その言葉に、俺はどきりとした。京子のことを思い出したのだ。
彼女は、ずっとスライムだったーー。その事実が俺に与えた傷は、未だ癒えていない。
「彼らも襲いかかってきたから、「狐面」の一種だとは思うんだが……何なんだろうな、あいつらは」
「ああ。見当もつかない」
取り敢えずそう返すと、亮は目を伏せてため息をついた。
「全く……こんな状況になってまで、俺にーーいや、俺らに隠し事かよ?」
それで思い出した。亮にはあるのだ。相手の嘘を、脳内に響く少女の笑い声で感じ取る、という力が。
「……悪いな」
謝ってから、俺は、学校であったことの全てを説明した。こうしている間にも、狐面は動き回り、覚醒している人間を狩っている筈なのだが、不思議な事に、俺たちの周りには一人として姿を現さなかった。
「ーー東雲さんが……スライムだった………!?」
話し終えた時、亮は素っ頓狂な声をあげた。
「ああ。本人が言ってたから間違いない」
「冗談だろ……ありえない………そんなのがAdvanceだってのか…」
亮の驚愕は、恐怖に変わりつつあるようだった。
「ああ。そして俺たちは、そんな恐ろしいAdvance使いを倒しに行くんだ」
それは実に意味深な言葉だった。しかし、俺には、その意味がわかった。
「ーーってことは、まさか」
「分かったんだ。狐面の居場所が」
俺は絶句した。追い求め続けてきたものが、今、目の前にあるーー。
「三つ隣の町の、山の中だ。あまり知られてはいないようだが……カルト宗教系団体の本部がそこにある。それが、奴らの根城だ」
「そこに、今から乗り込むんだな?」
俺は勢い込んでそう言った。
「ああ」
悠真は答えた。俺のそれ以上に力強い声だった。
「俺も行く。ここまで来たら、もう無関係じゃないからな」
亮も続いて言う。俺は一瞬、それを止めようかどうか迷ったが、やめた。
亮の目には、強い決意の色が浮かんでいたのだ。とても強い、何者も寄せ付けないような色が。
「行こう。これが正真正銘、最後の決戦だ。必ず、ノアを助け出してーー狐面を倒す」
ー◇◆◇ー
数分後、俺たちは電車に乗っていた。
それは、一つ隣の町の駅から出ているものだった。博矢町の昏睡事件など、なかったかのように運行しているので、俺たちは面食らってしまったがーーこれに便乗しない手はない、と、乗り込んだのであった。
電車の中の人は、驚くほど少なかった。通勤の時間帯が過ぎたら、こんなものなのだろうか。
「なあ」
ふと。横の座席に座っていた亮が、口を開いた。
「どうした?」
「ちょっと思ったんだけどよ。Advanceって、一体何なんだ?」
その問いかけに、俺はすぐ答えることができなかった。しかし、悠真は、間をおかずに答えることができた。
「これは、あくまでも推察に過ぎないんだがーー。Advanceっていうのは、その人間に欠落しているものが、形として顕れ出たものなんだそうだ。例えばーー「盾」のAdvanceは、自分を守る能力がない、とかな」
「なるほど。欠落、かぁ……」
亮は感心したような声を出したが、すぐに「ん? 待てよ」と、神妙な顔をして言った。
「それじゃ、俺たちがこれから戦おうとしている狐面ーーいや、狐化しとかいう奴には、一体何が欠けてるんだ?」
「何が……って?」
俺は亮に問い返した。
その時、自分の中にあったのは、好奇心とーー恐怖だった。亮は何か、敵の核心を突くようなことを言おうとしているのではないだろうか。そんな予感が、頭をよぎったのだ。
電車は揺れている。線路が悪いのだろうか。がたごと、がたごとと、無駄に音を立てながら走っている。
「いや、悠真の話じゃ、奴はその力で、相手のAdvanceをコピーするんだろ? つまり、Advanceの本体に欠けてるのはさーー」
瞬間。亮の言葉を、轟音がかき消した。それは、明らかに異質な音だった。さっきまでの電車の揺れとは、なんら関係が無いーー。
(窓の外だ! 敵だぞッ!)
今まであまり喋らなかった翼が、切迫した叫び声をあげたので、俺は一瞬面食らったが、直ぐに冷静さを取り戻し、窓の外を見た。
窓の外には、巨大なビルがあった。その壁面の途中に、何やら、人がぶら下がっている。窓のわずかな凹みに、指をかけているようだ。
そいつは、何やら巨大なものを持っていた。それは距離が離れている故に、最初、何かは分からなかった。
だが、よく見るとそれはーー電車の車輪なのだった。奴はどういうわけか、電車の車輪を手にしているーー。
「こ、この電車の車輪か、あれ………」
亮が、呆然としたような声を出す。
その推察は、実際、的を射ているのだろう。あんなところに立ち、車輪を抱えられるのは、Advance使いだけだ。
ーーそして。この場所に用があるAdvance使いは、狐面の手下のみである。
次の瞬間。俺たちは、亮のその言葉が、的中していたことを悟った。
瞬間、何ということか、ビルの壁面の男の手の車輪が増えたのだ。二つ、三つーーどんどん増えていく。
男は車輪を下に投げ捨てつつ、その手中に、車輪を増やしていった。
「じょ、冗談じゃねぇ……」
悠真がそれを言うと同時。電車が、いっそう激しい音をたて、がたんと揺れた。
揺れた電車はーーどうやら、線路の上をまともに進むことができないようだった。聞いているこっちが不安になってくるような摩擦音と火花をたてながら、猛スピードで突進していく。
数十メートル先の、カーブへと。
線路から外れた列車が、カーブを曲がりきれる道理はない。このまま電車に乗っていれば、俺たちは死んでしまう。
(迷ってる暇はない……!)
翼はそう叫ぶと、却逆の翼を操作し、目の前にあった電車のドアを粉々になるまで切断した。
(外却色の刹那を使って、超高速で飛び降りるんだ。勿論、二人を抱えてな!)
翼の声ははっきりしていた。どうやら、冷静さを欠いてはいないらしい。
でも、そんなことができるのか、と、胸中で翼に問いかけると、
(できる。能力を発動した時に触れていたものは、能力に巻き込まれるんだ。さっき、お前は「空気」と「地面」と「衣服」を巻き込んで加速したろ? それと同じことだよ)
それで気付く。俺はあの時、手のひらで地面に触れていたから、地面を蹴ることができたのだ、と。
「外却色の刹那」
俺は二人に触れつつ、素早く詠唱した。
「な、何だよ?」
亮が訊く。だが、それに答えている暇はなかった。そのまま、俺は、全てを理解したような顔をしている悠真と、困惑した表情の亮を抱え、電車から飛び出した。防音壁の上部に着地し、態勢を整えてから、眼下に見えた小規模な公園へと着地する。
「せ、説明くらいしてくれよな……」
「そんな時間はなかった。それに……来るぞ!」
俺は叫びつつ、却逆の翼を展開し、分離させた羽で防壁を作った。その防壁は、3人の頭の上に築かれている。
と次の瞬間。空気を切る音とともに、巨大なものが防壁に衝突した。
「ーー車輪か!」
悠真が言う。
車輪。それは、さっきの男が持っていたものだ。恐らくだがーー男は、それを、空間転移的なことができるAdvanceで、俺たちの頭の上に出現させたのだろう。
「ご明察。全く、最近の子供は怖いな」
その声は、防壁から車輪を振り落とし、羽を全て背に戻したタイミングで響いてきた。
「お、お前は……!」
悠真が呻く。当然だ。悠真はーーいや、悠真と俺は、その声の主と遭遇したことがあったのだ。
飽和機銃。奴は確か、自分のAdvanceのことをそう呼んでいたーー。
そいつは、狐面を装着し、灰色のスーツに身を包んでいる。
「いや、懐かしいな。数日ぶりか? 我らが狐化し様に、君らを止めるように頼まれてきたんだがーー全く、手間がかかるものだ」
そう言って、男は肩をすくめて見せた。
「行け、柊人、亮」
ふと、悠真がそう言ったので、俺は驚きに目を見開いた。
「お、お前は…?」
「俺はここに残って奴を食い止める。その間に、お前らは行け」
簡潔に放たれたその言葉に、俺は一瞬、どう言葉を返していいか迷った。
飽和機銃のAdvanceは脅威だ。悠真一人で勝てるかどうかはかなり怪しい。
だが、ここで奴らの本部に向かわなければ、ノアがどうなるか分からない。今の状況を作り出したのが「狐化し」の本体その人なのだとすればーー事態は既に、相当まずいところまで進んでいる筈だ。
(行こうぜ、柊人)
翼が言う。
「俺なら大丈夫だ。なに、直ぐに勝って、加勢に向かってやるよ」
「信じてーーいいんだな?」
問いかけたまま、俺は走り出した。亮もそれに続く。
「行かせると思うか? アドバンスコール、岩石降下」
解名詠唱。
男が行ったのは、それだった。声に呼応するように、俺たちの頭上に岩が顕現され、重力に従って落ちてくるーー。Advance攻撃だ。
「やらせると……思うか?」
しかし、俺は立ち止まらなかった。防御することもなかった。次の瞬間、悠真の射出した鎧のパーツが、防壁となり、岩を弾いたからである。
俺はそのまま、亮を抱え、「外却色の刹那」と唱え、超高速でその場を後にした。
後には、悠真と、飽和機銃の男だけが残る。
「くそ、やってくれたな」
「ここであいつらを止めるわけにはいかないんでな」
悠真がそう答えると、男は「アドバンスコール、騎行者」と呟いた。それと同時、男の体を、西洋の騎士のそれのような、甲冑が包み込んでしまった。
ーー戦いが、始まる。それを視界の端に確認しながら、俺は、狐化しの元へと向かう。




