幕間ーーSet Upーー
(停止者は、触れた相手のAdvanceを消す能力だ)
11月19日、火曜日。学校から家に帰宅した俺の脳に、翼の声が響いた。
いや、翼、というのは間違いかもしれない。今、俺の脳に声を送ったのは、停止者に宿った人格なのだから。
「消す、か」
俺はぽつりと言葉をこぼした。
前進を停止させる力。それが、ストッパー能力なのだ。それを受けた相手のAdvanceは、封印されるわけでも、弱体化するわけでもなく、消滅する。
その言葉の重大性は、京子の一件でよく分かっていた。
Advanceはその人間自身だ。それが無くなれば、自分を保てなくなる。
京子は一応、大丈夫なようだった。学校では、なんとか気丈に振る舞っていた。━━だが、あれは痩せ我慢だ。それが、ずっと一緒に居た俺には分かった。
落ち着けていない。時折見せる自失の表情は、どう見ても尋常ではなかったのだ。
(おい柊人。まさかお前、ストッパー能力を使えない、なんて言い出さないよな)
ストッパー能力が自分の中にある、と認識すれば、その力を自由に使うことができるようになる。翼はあの早朝の後、そう説明した。
俺は、Advanceを消すことができるようになったのだ。
まさか、と、言葉を返したが、実際のところ、俺は、倒さなければならない敵を前にしても、その力を振るえるかどうか━━怪しかった。
(オレにはお前の心が読める。見せかけの返事なんて聞きたかないぜ)
「悪い。━━けどやっぱり、俺には………」
呟くようにそう言うと、翼は一つ溜め息を吐き、
(そうだな。お前はそういう奴だ。だからこそ、今まで戦ってこれた)
と言った。
誰かに不幸になって欲しくない。それは、ずっと思い続けてきたことだ。
そして、Advanceが消えるということは、間違いなく不幸だ。━━不幸な、筈である。
(筈である?)
「━━ああ。正直俺は、Advanceってものが、本当にいいものなのか、分からなくなってるんだ」
その言葉に、頭の奥で、翼が息を呑むのが分かった。
(そういうことが考えられるってことは、大分、停止者をものにしてきたってことだ。いい兆候だな)
その言葉に、俺は苦笑した。Advanceがいいものなのかどうか、俺には分からなかったが、同時に、停止者が体に馴染むことがいいことなのかどうかも、俺には分からなかったのだ。
(ああ、それで。あの狐面が、完全に、お前の持つ却逆の翼を自分のものにできてない、って話だがな。どうして、あいつはお前の力を完全にコピーできなかったか、分かるか?)
その言葉に、俺は首を振った。
(そうか。━━じゃあ説明するが、その前に、「ノヴァ」シリーズに宿った解名について、説明しなきゃならないな)
「解名、だって?」
言ってみて、俺ははっとした。
悠真は、俺と同じノヴァ使いらしいが━━基却色の外殻という、解名を持っていた。その名前には、しっかりと「ノヴァ」が入っており、ノヴァシリーズの名前に相応しいものになっている。
だが、俺の「却逆の翼」という名前には、「ノヴァ」という単語が入っていない。翼は前に、俺の力のことを「特別なもの」だと言ったが━━そんなことはなかったのだ。
却逆の翼というのは、渾名のようなものだったのだろう。これにも、他のAdvanceと同じように、秘匿された名前が存在するのだ。
(そうだ。まあ正確には、俺が付けたオリジナルの名前だったが………で、その、秘匿された名前━━解名だがな。俺の口からそれを教えることは、できないんだ)
「ああ、そうか。確か前に、能力を使い続けてれば、いずれ名前を感じることができるようになるって言ってたっけ」
そう返すと、翼は(それもあるが━━)と、言葉を濁してから、数秒逡巡したが、やがて、言葉を続けることに決めたらしい。
(オレは前、お前を助けるために、「その名前」を呼んじまったんだ。それも、一回こっきりの裏技でな)
そう言われ、俺は気付いた。
七道先輩との戦いの終盤の記憶が、自分の中にはない。それは、怪我のショックで記憶がとんでいたのだと解釈していたが、そういうことではなかったのだ。
翼がその「裏技」とやらを使ったから、却逆の翼の本来の名前を、俺に不正に知らせないために、記憶が封印されている、ということなのだろう、恐らくは。
(それ以来、オレはその名前を呼ぶことができなくなっちまった。だから、その解名は、お前が見付けなきゃいけないわけだが………
その名前を一度でも呼べば、お前は絶大な力を手にする代わりに、狐面の力を完全にさせる手助けをすることになる)
「━━どういうことだよ?」
(解名が詠唱されていないAdvanceは、完全なものじゃない。そして狐面の奴は、その「完全じゃない状態」の却逆の翼をコピーしちまったから、不完全なままだが━━お前が解名を呼び、Advanceを完全なものにしちまうと、話は変わってくる。狐面はそれを知るや否や、お前の身に宿った「完全な力」をコピーしにかかるだろう。
そうなるとどうなるか……分かるか?)
その言葉に、俺は分からない、と答えた。
(全てのノヴァ・シリーズを集めた者が辿り着く境地━━核却色の終末に、あの狐面が辿り着いちまう)
「ユートピア、か」
(その力は、あらゆるAdvanceを凌駕している。その能力は━━詳細こそわれていないが、「神」そのものらしいからな)
理想郷。そんなものを実現できるのは、確かに神だけだろう。
しかし、その神は真実の存在ではない。それは、Advanceを持っただけの、単なる人間━━虚構だ。
(だから、お前は絶対に、その解名を唱えちゃいけないんだ。分かるな?)
「━━分かった」
俺ははっきりとした声で答えた。尤も、今、自分の頭の中には解名が浮かんでいないので、唱えたくても唱えられないのだが。
(━━ただ、万が一、ということがある。仮に……もし、お前がその解名を唱えることになったら………その時は、今からオレが言う通りにするんだ。その方法で、オレが狐面を倒す)
「あ、ああ」
翼の言葉は、一見すると、神無月柊人という人間を信頼していないかのようだった。
しかしその言葉は、俺を信頼しているからこそ放たれた言葉だ。声色から、俺にはそれが分かった。だから、翼を咎めなかったのだ。
前置きが終わると翼は、淡々と、言葉を紡ぎ始めた━━。




