クロムメタルの夢ーーDream For Foxーー
ーー少し前に、悠真が言っていたことを思い出す。
「そのカルト教の教祖は、二対一体の却逆の翼を持つ」と。
却逆の翼の片翼は俺の手元にある。したがって、その人物の「それ」も、やはり片方にしか存在しないものなのだと、自分は勝手に判断していたのだがーー。
「両方とも………だって?」
冗談ではなかった。
奴の背中から伸びている翼は、間違いなく、何度見ても、両翼とも却逆の翼だ。
そんなことは、ありえない筈なのに。
「へぇ。意外。覚えてないんだ?」
「なん……だって…?」
覚えてない。その言葉で、俺は胸中にあった漠然とした予感が真実味を帯びるのを知覚した。
奴は。俺から、却逆の翼をコピーしたのか。
ーーしかし、そうだとして、それはいつだ?
「まあいいや。問題なのは君じゃない。今のところ、用があるのはそこのボトルネックとノヴァの足だけだ」
ノヴァの足。それは悠真の持つAdvance、基却色の外殻のことだろう。
ボトルネック。それは、ノアのことを指す言葉なのだろう。
それを理解した途端、体の奥底から沸々と怒りが湧いてくるのを感じる。
こいつだ。あのいたいけな少女を荒ませてしまったのは。まるで道具のように、失敗作と名をつけ、管理してきたこいつがーー。
しかし、その憤激を外へ向けるよりも早く、悠真が口を開いたので、俺が発言するタイミングは無くなってしまった。
「狐化かしに、空間を断裂させる能力と、刀のAdvance。お前、それだけのものを抱え込んで体が保つと思っているのかーー」
どこか呆然とした声色だった。心なしか、その声の中には畏怖が混じっているように感じる。
「まさか。16歳を超えたこの身が、Advnceを受け入れられるわけないでしょ」
その言葉に、悠真が息を呑む。
俺は何のことやら状況が掴めずにいたが、何となく、眼前の狐面が「異常」なのだということは分かった。
(Advanceは「ノヴァ」シリーズという例外を除き、16歳で消滅する。体が、「毒」に変異してしまったAdvanceを排除するためにーー)
翼が呟く。どこか詩的な言い回しではあったが、俺はそれで、事態の大方をつかむことに成功した。
つまりあの狐面は、自分の体を毒で蝕んでいるも同然ということなのだろう。
(しかし、どうやって力を留めているんだーー? 「毒」は、体の免疫機能で完全に排除される筈だ)
「あー、そこの翼君は、どうやって力を留めてるんだ、だとか、疑問に思ってるんだろうね」
ふと。まるでこちらの会話を傍受したかのような言葉をかけられたので、俺はびくりとした。
「Advanceの「却逆の翼」化。それで分かるかな?」
却逆の翼化。どういうことなのか、俺には理解することができなかったが、しかし、心の中で翼が息を呑むのが聞こえたので、奴がとんでもないことをやらかしたのだということは理解できた。
(まさかーーまさか、その為に、ノアをーーッ)
「ノアはそのための存在ってことさ」
言いつつ、奴は刀を中段に構えて悠真に突進した。
彼はその刀の横腹を蹴りつけることで何とか攻撃を凌いだが、その隙に、奴が空間を断裂させる能力を発動させたらしい。脇腹に切り傷がはしった。
「このォッ!」
叫んだのは悠真も俺も同じだった。俺は奴に向かって再び「却逆の翼」で弾幕を張り、悠真は頭部に向かって蹴りを見舞おうとしている。
逃げ場はない。確実に、奴はこの攻撃を食らう。
事態は、それを確信した瞬間に動いた。
「ーーーーーー」
奴ノイズ混じりの声で何かを詠唱した、その瞬間。
奴の片翼が、消える。
ーーその歪な言葉に、どこか懐かしいものを感じると同時。
羽の大群と悠真の蹴りが、同時に何もない虚空へと炸裂した。
「消えーー」
言葉は最後まで続かない。次の瞬間、悠真は鋭い音とともに吹っ飛ばされたのだから。
何が起きたのか、直ぐには理解できなかった。
そのAdvanceの作用を、理解することはーー。
しかし、彼女が起こしたことは単純だ。幸いなことに、悠真が吹っ飛ばされた数秒後、俺はそれを理解することに成功した。
ーー超高速移動。それにより、羽の大群と悠真の攻撃を同時に回避した後で、まるで瞬間移動でもしたかのように彼を攻撃したのだ。
「黒銀の翼ッ!」
反射的に俺は叫んでいた。超高速移動というAdvance作用自体には、ついさっき出会ったばかりだ。
そのAdvanceは、攻撃の直後に隙ができる。叩くなら今しかない。
俺は背中から羽を射出しつつ、拳を振り上げる。
しかし、よくよく見てみると、奴は「隙」と言えるほど硬直していない。すぐにこちらの攻撃に反応し、俺の渾身の打撃を受け止めようと手のひらを空に翳している。
ーーとその刹那、奴は奇妙な行動に出た。
こちらの攻撃を受け止めようとしていたのを逆転させ、手を空に翳したままバックステップしたのだ。それにより、俺の拳は空を切った。
「おっと、危ない危ない。「それ」に触れちゃいけないね」
「知ってるのか、この「黒銀の翼」を」
奴はこのAdvanceについての情報を持っているというのか。俺は触れたものを破壊する能力を、数えられるほどの回数しか使っていないというのに。
「対象物を崩壊させる能力ーーそうだね、それはーー」
途中で、奴の言葉は途切れた。その顔は蒼白で、まるで幽霊でも見たかのようだ。
「な………ッ!? 嘘、嘘だ、そんなーー。それは、まさか、あの停滞のーー」
それは意味の分からない言葉だった。しかし、何故だろうか、俺の体を、悪寒が支配した。
この感覚はーー昏睡させられていた亮に対して抱いた、どす黒いものと同じだ。あの時の感覚と、全く同じものを俺は今感じている。
まるで、体の中の何かが、自分という存在に反発しているかのような感覚ーー。
(叩け! やるなら今しかないッ!)
ふと、翼の言葉で、俺は我に返った。
それで、気付く。奴がバックステップした先。そこには、ノアが居る。
このまま、ノアを連れ去られてしまうかもしれない。そんな思考が弾けると同時、俺は本能的に地面を蹴って奴に突っ込んでいた。
しかしその直後。俺は体中に打撃を叩き込まれて地面に伏した。
全く見切れなかった。おそらく、さっき、よく名前を聞き取れなかったAdvanceを使ったのだろうが、それは常軌を逸した、とんでもない速度であった。
速さが不足している以上、こちらが相手に勝つ確率は絶望的になる。その上、奴は超高速で動くAdvanceの他に、ノーモーションで広範囲を攻撃できる京子のAdvanceも有しているのだ。
それを見るや否や、悠真は起き上がって駆け出した。その体からは尋常ではない量の血液が流れているが、それでも、まだ戦う意思は消えないらしい。
「うおおッ!」
疾駆の勢いを消さないまま、ある地点で飛び上がって必殺の飛び蹴りを見舞うーー。
しかしその刹那。俺にしたのと同じように、悠真にも超高速の攻撃が叩き込まれた。それを受けたのか、彼の動きが空中で止まる。
だが、それが見えたのは一瞬だった。瞬き一回ぶんほどの、短い時間。
その次の瞬間には、悠真は、奴に頭を掴まれて宙ぶらりんにされていたのだから。
「悠真ッ!」
堪らずそう叫ぶも、しかし返事は返ってこない。彼はぐったりしたまま、動かないーー。
「予定が変わった。君はここで始末「させる」」
ブツブツと呟いてから、奴は手の力を一層強めて、謳うように言った。
「狐化かし」
解名詠唱。それが響くと同時、悠真の顔に仮面が出現し、そして、その体から、黒っぽい、スライム状の何かが染み出してきた。
そいつはひとしきり身を打ちふるわせてから人の形へと変化し、やがて、その顔に仮面が出現する。
ーー今、俺の目の前で、天駆の夢がその正体を現した。
「さ、存分に戦うといいさ。基却色の外殻のコピーとさ」




