発露ーーThe Stopperーー
その病室に着いた時、亮は何でも無さそうな顔で、ベットに横たわっていた。
「柊人......」
他の奴等の症状と同じだ。様相は何ともないが、しかし、内部では、得体の知れない何かがうごめき、人体を蝕んでいるーー。
ふと、亮の向こう側に視線を移すと、そこには京子が居た。亮の傍らに椅子を設け、座っている。
「何でだ......? どうして、亮が巻き込まれなくちゃならなかった......?」
やり切れない気持ちが、言葉となって体外にもれ出し、どこへぶつかることもなく、消える。
「見たところ......この昏睡事件は人を選んでいない。無差別に発生してる」
京子はそれだけ言うと、立ち上がった。その顔にはまるでろう人形のような無表情の仮面が張り付いており、やはり彼女も、この異常事態で、冷静になれていないことがうかがえた。
(完全な無差別、か。本当にそうなのか? この事態は、自動的にーーまるで、病原菌が飽和するように起きているというのか......?)
翼の言葉を尻目に、俺はベットへと横たわる亮に歩み寄った。
本当に、その外見に不審な点は見られない。しかし、この不審な現象に巻き込まれたら最後、起き上がることはできないのだ。
このまま、死なないという保証はどこにもない。一生を植物状態のまま終えることになるかもしれないし、ひょっとしたら、親族が安楽死やらを選択するかもしれない。
その判断を非情だと謗る権利は、一友人である俺にはないし、きっと物事を客観的に見ればその方が正しいのだろうがーー。
そこまで考えたところで、俺は、亮が助からない前提で思考を進めていることに気が付いた。
そして、猛烈に、そんな自分に嫌気がさした。
亮がもう助からない? このまま、非情に過ぎてゆく時の中で、彼は忘れ去れるというのか? こんな、薄気味悪い「症状」の所為で?
全てが止まればいい。症状も、時間も、運命も、何もかも、すべて。
停止して。あの安寧たる日常を「停止」して、「定着」させてーー。
(お、おい、何言ってやがるーー)
停止させる。
その思考がまたたくと同時に、事態は起きた。
なんということか、ベットに横たわる亮の体から、何やら黒っぽいものが染みだし、そして、1つの形へと変容していくのだーー。
それはまるで、いつか永戸と見たスライムのようで。
そいつが人の形になり、やがて、体に色が付いて、完全な「ヒト」になるまで、俺はしばし呆けていた。
スライムの顔には、いつ装着したのか、狐面が張り付いている。
「何してんのよ!」
叫びつつ、京子はAdvanceの刀でそいつへと斬りかかった。
実に軽やかな動作だった。ベットを飛び越え、水平に振られた刀は、寸分の狂いなく、そいつの脇腹を切り裂く筈だった。
しかし。刀が奴の体を切り裂く直前。信じがたいことが起きた。
なんということか、打ち込まれた刀がその右手で受け止められたかと思うと、綺麗さっぱり消えてしまったのだ。
後には、何も残らないーー。
「ーーえ?」
間の抜けた声を出したのは京子だった。
彼女自身、何が起きたのか分かっていないのだ。刀が消えたのが彼女の意思によるものでないとしたら、今の京子は驚愕して動けなくなっている筈でーー。
気付いたら、俺は飛び出していた。地面を蹴ってそいつとの間合いを詰めると、翼を出現させつつ顔に一撃、拳を叩き込む。それで、顔の狐面は吹っ飛んだ。
そこで、俺はそいつの顔をおがむこととなる。
そいつは。亮の体から出たスライム状の「何か」は。
亮と、同じ顔をしていた。
「ま......こと......!?」
今度は俺が驚愕する番だった。訳が分からない。これは、この「現象」は、ただ人間を昏倒させるだけではなかったのだ。
もっと恐ろしい、何か、壮大な陰謀が背景に隠されているーー。
そいつは吹っ飛んだ狐面を素早く拾い上げた。そして、こちらへと拳を振り上げつつ寄ってくる。
俺も、京子も。パニックになった頭を抱えつつ、どうにか飛び退くことには成功した。
彼我の間合いは、京子も、俺も、それぞれ1メートルとないくらいに近い。それもその筈、ここは病室だ。元々、そこまで広くない場所である。
(先手を打たれるわけにはいかない、今のうちに攻撃しろ!)
俺ははっとなり、翼の言葉に呼応するように羽を5枚、射出した。これは黒銀の翼ではなく、却逆の翼だ。黒銀の「崩壊」性能は、狭く、病人の居るここでは毒にしかならない。
その羽は、真っ直ぐ亮の形をしたスライムへと向かっていきーーそして、命中と同時に消滅した。
(さ、さっきから......奇妙だ。まるで、Advanceが消えてしまっているようなーー)
そこまで思考したところで、俺の脳裏に、悠真の言葉が過った。
「停止者は、Advanceをなかったことにする能力だ」ーー。悠真は、そのようなことを言っていた。恐怖をはらんだ声で、俺に警告を投げ掛けたのだ。
まさか。俺の目の前に立つ、このスライムこそがーー停止者の所有者だと言うのか。
(だとしたら最悪だ......! Advanceが消されちまうぞッ!)
切迫した響きを帯びた、冷静さを欠く声を出す翼とは対照的に、俺はどこか冷静だった。眼前のスライムを蹴り飛ばすと、構えをとる。
その頭は冴えており、気付けば俺は、今まで「点」でしかなかった断片的な情報を「線」として繋いでいた。
悠真との邂逅の直前に、俺を襲ったハンマー使い。あれは七道先輩からの刺客だった人物で、もう一度俺を襲う必要はない筈だった。
にも関わらず、奴は俺を襲った。
それが何故か、あの時は分からなかった。だが、今なら分かる。
あいつは狐面をつけていた。そして、悠真と協力して倒した西洋鎧のAdvance使いも、今、亮に擬態しているこいつも、だ。
恐らく、その三人は同列の存在なのだろう。昏睡事件に巻き込まれ、体からスライムが涌き出、そして、そのスライムが俺やノアを襲った。
そして。
ハンマー使いが、本体と同じAdvanceを使っていたことから、体から涌き出たスライムはその本体と同じAdvanceを使うのではないか、と考察できる。
ーーつまり、だ。
停止者を所有しているのは、亮である、ということだ。




