日常ーーEuphoric Bomーー
11月12日の放課後、俺はふと、真横に佇む少女へと声をかけてみた。
「君は、何かしたいこととかあるのか?」
俺の声は、放課後の教室特有の喧騒に半ばかき消されてしまっていたが、それでも、彼女、世界の失敗作のノアには聞こえたようで、こちらへと向かって言葉を紡ぐ。
「そうね...したいこと...この町を見て回りたい、とか」
こんな何もない町をか、と言いかけて俺はやめた。何もない筈はない。俺はそれを知っているのだ。謎の狐面と、悪意を内包したAdvance使いの暗躍するこの町は異常だ。
「そっか。ーー取り敢えず、折角だし、案内しようか」
代わりに、俺はそう答えた。町を巡ることで、彼女を見ることのできる人間が見つかるかもしれないし、もしかしたら、彼女が俺に心を開いてくれるかもしれない。そう考えたのだ。
因みに、この思考が向こうに筒抜けになっていることに、俺は気付いていなかった。
「お願いするわ。こういうことは土地勘のある人に頼むのが得策だと言うし」
妙に素直な彼女に、「決まりだな」と言い、俺は立ち上がった。黒板上部に取り付けられている時計は3時55分を示している。この時間なら、彼葉商店街くらいは紹介できるか。そう思考しつつ、教室を出る。
彼葉商店街は、数十年前から存在する、古豪の商店街らしい。俺は数十年も生きていないし、両親ともにここの出ではないので詳しいことは知らないが、どうやら、ここは、地元の人間のみならず、県外の観光客も訪れる場所なのだとか。
「まあ、心を読んで大体分かってると思うけど、ここが彼葉商店街」
俺がそう言うと、彼女はこちらに顔を向けず、「お店がいっぱいあるね。どうして?」と訊いてきた。
そんなこと聞かれても、という思考が一瞬頭をよぎるが、それでも、聞かれた以上は答えなければ、と思い直し、必死に考えを巡らせ始める。
「ええと...なんでだったっけ...」
(人が集まる所、通りやすい所に店を構えたいと思った経営者が多く居たからだと思うぞ)
翼がそう答える。ノアは翼の声も聞き取ることができるので、その回答を聞き取った。どうやら、彼女はそれで満足したみたいだ。食い入るようにある店の一点を見つめている。こちらのことなど欠片も気にかけていない。
「ん? それはガシャポンか...?」
彼女の視線を辿ると、そこには旧世代のガシャポンが存在していることに気が付いた。そのガシャポンは人気がないらしく、中身は多く残っているのだが、表面に張られているパッケージは年期が入っている。日焼けで、パッケージ表層の色が変色してしまっているのだ。
それでも、ハンドルは健在のようだ。200円を入れれば、この、需要があるのか不明の、全十二種艦船ストラップが出てくるだろう。
「やりたいの?」
俺は彼女に向かってそう問いかけた。それも、肉声で。周囲から見れば俺は虚空に向かって言葉を紡ぐ変人だ。しかし、周囲は喧騒で満たされている。誰も、俺の言葉など気にかけない。今はそれが幸いだった。
「あ、うん。でも、お金持ってないや」
そう言って、彼女は俯いた。
俺は徐に財布を取りだした。そして、そこから二百円をつまみ出す。財布内の残金は、最近本を買うのに金を使ったので、もう、後500円ほどしか残っていない。
「ほい。ささやかな福音ってやつだ」
ノアはそれをおずおずと受けとると、懐疑に首をかしげ、「くれるの?」と訊いてきた。
「まあ、200円くらいなら、な」
そうは言ったものの、本当は、お金がそれほどないので、200円だって恵むことのできる状況ではないーー筈だ。だが、この時の俺は、彼女を喜ばせたかったので、気前良く金を出すのだった。
「ありがとう」
ノアはにんまりと笑い、200円を使ってガシャポンを回した。ハンドルは、どうやら内部が錆び付いていたらしく、軋むような音をたてながら、非常に緩慢に進んでいく。
結局、ハンドルを完全に回しきり、景品を獲得するまでには2分ほどを要した。出るや否や、ノアは目を輝かせてガシャポンの蓋を開けーーようとする。しかし、どうやらテープの粘着力が強いらしく、蓋は全く動かない。年期が入っているガシャポンだと、粘着力が弱まっていたりするのだが、ここのはどうやら違うようだ。
ノアは蓋としばし戦っていたが、やがて、蓋をこねくり回すのを諦めてこちらへと視線を向けてきた。開けてくれ、ということだろう。
俺はそれを受けとると、先ずテープを爪で剥がしてから蓋へ取りかかろうとする。証明には仮定が必要であるように、外枠を埋めてから開ける方針だ。
しかし、このガシャポンは定立から狂っていた。テープが剥がれない。
暫く、俺もノアと同じように蓋と悪戦苦闘したが、やがて、彼女と同じように、開けられないことを悟って、指を止めてしまう。
しかし、俺は諦めなかった。いや、諦めたくなかった。
「の、ノア、ちょっと路地裏まで着いてきてくれないか。こいつ、開けるから」
「分かったけどーーでも、なんで路地裏?」
「ちょっと人目についちゃまずい裏技を使うんだ」
そう言うと、そそくさと俺は路地裏に入った。ノアもそれに続く。それを見届けると、改めて周囲に人が居ないのを確認してから、小さく、「黒銀の翼」と詠唱。背に黒銀に煌めく翼を顕現させると、羽を一枚落とし、それを上手く繰ってテープを切った。強力な力故に、ガシャポンの表面が裂けてしまったが、中身は大丈夫なようで、俺はそれを確認してから、彼女に手渡した。
「何が出た?」
「うー...空母とかいうやつ。赤城...?」
俺は艦船知識に乏しいので、彼女が握っているストラップの詳細は分からない。だが、彼女が嬉しそうなのは分かる。もっといいの出なさいよ...などと言いつつも、口許には笑みが浮かべられている。
そう言えば。彼女は俺と遭遇してから、初めて笑った気がする。屈託のないノアの笑顔は、汚れきった俺には眩しくて、思わず顔を背けてしまうのだが。
しかし、こうして見ると、彼女はどこか、幼いような気がする。この前は一般教養が抜けているだけで、精神年齢は同一、と断じたのだが、ノアに触れてみて、その断定は早計であることが分かった。
ーーもしかして、今まで、彼女は人間らしい生活をしていなかったのではないか。年齢は俺と同じくらいだろうが、精神年齢は、経験が少ないために、実は低いのではないか。
「う...精神年齢が低い、なんて失礼ね。デリカシー無いの?」
ふと、そんな思考を読み取った彼女が眉をひそめてそう言ってきた。
「ご、ごめん」
「でもそうかも。これまで、人間らしい生活なんてしてなかったから...人間としての経験が浅いから、精神成長が停滞してしまっていたのかも」
それを聞いて、俺は一瞬、胸が痛むのを感じた。
言っていることは悲愴極まるものだ。しかし、彼女の言葉には、その過去に対する嫌悪や憎悪が一切内包されていない。
ノアがどこで生まれ、どんな生活をし、博矢町に行き着いたのかは知らない。だが、「人間らしい生活」を彼女から切り離した保護者が、まともな人間ではないことは分かる。
「まだ時間あるけど、商店街、見て回る?」
俺は少し重くなった空気を絶ちきるようにそう言った。彼女を拒んでいた数日前からは考えられない発言だ。
「そうね...じゃ、そうさせてもらおうかしら」
彼女は少し考えてからそう言った。
空の橙色は宵闇の黒に変わりつつある。まだ11月なのに、随分と日照時間が短いな、なんて思いつつ、俺はノアと一緒に路地裏から出る。
この後、俺たちは二人で、六時ほどまで商店街を回ったのだった。
最近見ているアニメの影響をモロに受け、日常回を入れてみました。
僕は少し前までは、「日常など書けぬわ!」なんて拒絶的な思考で執筆していたので、この54話の執筆は新鮮な気分でやってました(思ったより筆が進んでびっくりしました)
どうでしょうか?




