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アドバンスーAdvanceー  作者: Star Seed
第三章「Fox Stories」
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平和ーーIt Was Madeーー


「ねぇ、おかあさん」


「なぁに?」


「なんか、せなかがあついよ。もえてるみたいだ」


 その少年は、そう言って前のめりに倒れこんだという。母親はそれを受け止め、そして、そこでそれを目撃する。


 それは翼であった。少年の背に、そう名状する他ないモノが生えていた。


 黒銀の、一見すると機械のようにも見える翼が。


 その名は却逆の翼。広大な運命の全てを、却逆の彼方へ導く翼。


 しかし、その母親は動揺することなく、その翼へと触れ、そして、何やら呟いた後で、窓の外へと目をやった。


 そこにはベランダが存在しており、普段は対して使わない場所だ。別段何かが存在するということはない筈だがーーそこには、何故か、一人の女性が立っていた。


 ここはマンションの四階。ーーその高さを、その女性は跳躍、もしくは登坂で登ってきたようだった。


 その女性は狐の面を被っていた。だから、本来ならば、表情を窺い見ることは不可能だ。推察することもまた、視覚情報だけでは不可能である。


 だが。その時、少年の母親は。


 にんまりと笑う、面の中の顔を連想したというーーー。


 次の瞬間、その女性は窓を指一本動かさず割り砕くと、部屋の中に侵入してきた。



「はっっ!」


 体を勢い良く起き上がらせると、次第に五感が活性化していくのが手に取るように感じられた。どこか遠くから響いているような目覚まし時計の音が段々はっきりと聞き取れるようになり、ぼやけて見えていた眼前のポスター風カレンダーがくっきりと見えるようになり、そして、ここがどこなのか思い出す。


 ここはーーそうだ。博矢町、神無月家の、自室だ。それ以外のどの場所でもない。


 どうやら、今までの光景は夢であったらしい。覚えはないが、あの光景の中に登場した少年は明らかに俺であった。それくらいは分かる。


 しかし、そんな少年の時に、最近遭遇した狐面の女性など登場するだろうか? 否、だろう。


(随分とうなされていたように見えたが...大丈夫か?)


 ふと。俺は脳に響くそんな声を聞き取り、完全に意識を復活させた。


「だ、大丈夫。平気だよ」


 ぼんやりとしていた脳は、今やペパーミンントのように爽やかかつ明瞭となっていた。


「夢は人間の無意識の集合体よ。ーートラウマが再生されていたのなら、大丈夫じゃないかも」


「ーー居た、のか」


 俺は確認するようにそう呟く。その言葉は彼女に向けて、というよりも、この世界に向けて放っているかのような、そんな響きをおびていた。


「人は物事を忘れることで生きているから」


「気遣いありがとう」


 俺は少し皮肉っぽく言った。今のところ、彼女そのものがトラウマのようなものだからだ。


「あら? 私、迷惑かけてた?」


「いや、迷惑、ってことはないけど...」


(正直、こいつの風呂に同行しようとしたのはどうかと思うな。オレだったら迷惑する)


 曖昧で的を射ない俺とは対称的に、翼は淡々と、軽滑にそう言い切った。


「ま、まあ、確かにな。ーーというか、ずっとこの部屋に居るけど...退屈しないの?」


「本読んでるから」


 俺は反射的に自分の本棚を見た。一見するとどこにも異常がないように見えるその本棚からは、シリーズで集めている、「翡翠迷宮(ひすいめいきゅう)」の6巻が抜けている。


「ーー何の了承も得ずに、か...」


「だって、とっとと寝てしまったじゃない」


 確かにそうだが、と一瞬納得してしまうが、直ぐに思い直す。そうだ、普通、了承が得れなければ他人の家に勝手に上がり込んだ挙げ句、他人の本を勝手に閲覧するなどということは言語道断だ。


 どうやら、彼女からは、一般教養が欠落してしまっているようだった。


「まあ非道(ひど)い。赤の他人に向かって「一般教養が欠落してしまっている」なんて」


「言ってはいない。心の中で思っただけだ」


 聞くことのできるノアが悪いーー俺はそう付け加えると、手早く寝巻きを脱ぎ捨てて制服に着替えてしまう。


「またあの、「学校」とやらに行くの?」


「ああ。義務だからな」


(親のな)


 俺は翼のそんな言葉を聞き流して、一階へと降りていった。時刻は6時30分。今から準備すれば、どれだけゆっくりしていても遅刻ラインには間に合う。



「おはよ、柊人」


「お早う。元気そうだな」


 朝、8時13分ほど。俺は京子から声をかけられた。


 京子はあの霊岩郷(ベスティア)との戦いで、無数の擦過傷を作っていた。あれと戦ってそれだけの傷で済んだのは奇跡に近いし、それに、その擦過傷すら、俺が治癒させたのだから、実質、彼女は無傷で帰還した、ということになる。


 だが、俺は、正面から見て、傷になっているところを再生させたに過ぎない。再生できていない箇所は当然、存在するだろう。


 しかし、彼女の表情には苦悶のそれは見えないうえに、どこにも傷はないように見える。


「傷はもう完全に塞がってるわ。完全に治してもらったからね」


「良かった。再生しきれていないところがあるんじゃないかと心配で...」


 そう言うと、彼女はやや眉を潜め、言った。


「もしかして、あの時、自分の腕が信じられないのに、あんなに格好つけて再生したの?」


 う、と、俺は小さく呻いた。


(痛いところを突かれたな)


 かかか、と翼は笑う。


「まあ、それは、その...あれだ。うん」


「何一人で納得してるのよ?」


「そ、そうだな...まあ、何と言うか、あの時はただ必死だったから...」


 陳謝にすらなっていないような言葉の羅列をすらすらと並べる俺に愛想を尽かしたらしい。(元々愛想があったかどうかは謎なところだが)彼女は小さく溜め息をついた。


「まあいいわ。助けてもらったのは事実だしーーありがとう、柊人」


 ふと。俺は目の前に立っているのが、本当に東雲京子なのか判別できなくなった。らしくない。京子がそんなことを言うなんて。夢でも見ているのではなかろうか。


(いやいや。これくらいは誰でも言うでしょうよ。流石に)


 いや、彼女なら普段、ここで強がる筈だーーなんて思考してみせてから、俺は歩き出した。


「あ、そうだ。ーー柊人は知ってる?」


「ん? 多分知らない」


「せめて議題を聞いてから答えなさいよ。ーー今、この博矢町で多発している、集団突発昏睡事件...天駆の夢(ペガサス・ドリーム)について、何か」


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