「獣ーーThe Bestierーー」
彼ーー神無月 柊人が家を出るおよそ15分前。
剣道部所属、東雲 京子は、町中で、「ある人物」と遭遇した。
その人物の名前は永生 界斗。この博矢町のAdvance保持者を次々に病院送りにしている、獣である。
彼女は、その人物の特徴を同級生の月茜 永戸から聞いていた。
そして、今。町を歩いていた彼女は、それを見つけた。
「ねぇ、そこのあんた!」
彼女は叫び、彼を呼んだ。間合いは15メートルほどある。
界斗は振り返る。その顔には歴戦の戦士のような風格があり、京子は一瞬身構えたが、直ぐに戦闘の冷たい感覚を心に取り戻し、その双眸で彼を見据えた。
「金和 才図。田辺 博士。野中 信二。斎藤 柳。月茜 永戸...神無月 柊人」
彼女は淡々と、まるでスピーチ原稿を読み上げるように、言う。
「あんたがその手で傷付けてきた相手よ」
京子と界斗が立っているのは町中であり、京子の声色は、恐ろしいほど冷ややかで殺気に満ちていたが、誰もそれを咎めようとはしなかった。いや、咎める人物が存在しないのだ。今の時間、町から人は居なくなる。仕事やら学校やらで、誰も京子の居る地点には来ないのだ。
彼女は両手を体の前に構えた。そして、そこに日本刀を顕現させる。
「罪を、償え」
次の瞬間、彼女は地面を蹴り、界斗の意識の外へと出た。彼は彼女を一瞬、認識できなくなったのだ。それはAdvanceによる幻惑効果ではなく、長年彼女が培ってきた身体能力がさせたものだが、界斗は気付かない。
刹那。15メートル以上あった間合いを残り1メートルほどまで詰めた京子は、大上段に構えた刀を、躊躇なく彼の肩口へ振り下ろした。
界斗はサイドステップで回避を試みるが、完全にかわし切ることはできなかった。当然だ。彼女の剣は稲妻の如き速度。反応できたことも奇跡に近いのだ。
肩に斬り込まれた刀は一瞬振動し、皮膚の表面を砕く。とその瞬間、京子は刀を引き戻す。その刹那に生じた摩擦と更なる振動で、彼の肩は一層惨く抉れる。
しかし、これだけで攻撃は終わらなかった。彼女は手応えを感じていなかった。それは、界斗の皮膚が通常の人間より固かったからである。
2撃、脇腹を切り抜ける水平斬り。3撃、籠手へと打ち込む轟速の薙ぎ払い。4撃、頭部へと打ち込む面打ち。
4撃目は腕を交差させた界斗に防がれるが、京子は攻撃を止めない。そのまま、腕ごと切り裂こうと刀にかける力を強める。
剣道三倍段。徒手空拳では、剣には勝てない。
ーーそう。徒手空拳ならば。
次の瞬間、京子の足元から岩柱が顕現された。その柱は竹刀の1.3倍ほどの太さであったが、攻めを切り崩すには十分だった。京子は本能的に背後へ飛び退く。その隙に、彼もまた背後へと逃げてしまった。
そこから、界斗は前方へ向け、岩柱を顕現させる。轟速という形容が相応しい速度で、それが京子へと肉迫する。
京子はそれを悠然と回避した。驚異の反射神経であった。
そこから、彼へと向かって疾駆する。間合いは2メートル程度。十分に、届く。
しかし、界斗はそこで思わぬ行動に出る。何ということか。足の末端部分から岩柱を顕現し、上空へと飛び上がったのだ。
これでは斬れないーー京子は歯噛みした。
次の瞬間、上空から20を超える岩の礫が降り注ぐ。それを刀の振動を利用していなしてから、飛び上がった彼の落下地点に体を入れ込む。
しかし、彼は落ちてこなかった。地面に岩柱を突き刺し、滞空しているのだ。彼はその状態から、空いている左腕を使って地面の京子へと岩柱を射出する。
彼女はそれを回避する。しかし、回避地点にも岩の柱は降り注ぐ。
京子は袋小路に追い詰められかけていた。
しかし、京子はただ逃げているわけではなかった。彼女は、滞空の支点となる岩柱に向かってステップしていたのだ。
第3撃となる岩柱をかわした時、彼女は岩柱の眼前に居た。迷うことなくその柱に刀を打ち込むと、柱を砕く。
界斗は、柱が砕けることなど想定していなかった。
この柱の強度は、鉱山で使われていたであろう、業務用のピッケルすらも弾くほど頑丈ななのだ。実際、あの却逆の翼でも切り裂くことは不可能だった。
しかし、京子は何も、「斬ろうと」しているわけではない。
京子のAdvanceは「振動」である。柱を強く振動させ、砕くことなど容易なのである。彼女のAdvanceは岩柱の根本を僅かに崩壊させ、柱を折った。
界斗は頭から地面へ落ちていく。このままいけば、頭部を強打して重体になるかもしれない。
刹那。そう思ってしまったのがいけなかったのかもしれない。
次の瞬間、彼は地面に降り立つために、手を地面に向けた。その手は地面に触れ、落下の衝撃を全て殺しーー
地面に、岩柱を潜行させた。
一拍と置かず、彼女の足元から本来の太さの岩柱が屹立する。
それを京子は回避し切れなかった。刀が柱にさらわれ、宙を舞って6メートルほど右方のアスファルトに突き刺さる。
次の瞬間、彼女は稲妻の如く走り出していた。進行方向は刀の方向。
しかし、界斗はそれを許さなかった。岩柱を撃ち出し、牽制を図る。それを何とか回避するも、今の彼女には攻撃方法がない。回避を攻撃に転じられないのだ。
彼女は岩柱を乗り越えて刀を拾いに走る。界斗は、そこを攻撃する。
岩柱では当たらないと考えたのだろうか。界斗は20ほどの岩礫を使い、京子を攻撃した。
京子の体に6、7個ほど礫が突き刺さり、2、3個が皮膚を抉って後方へ抜ける。
しかし、その攻撃では彼女を止めきることは不可能だった。彼女は最後の数メートルを鮮血を撒き散らしながら詰め、刀を拾うと、それをどうにか中段に構えて界斗に向き直る。
激しい戦闘で、アスファルトは抉れ、崩壊していた。アクション映画のようなその光景が現実になっていることに、刹那の一瞬、京子は身震いした。
心に突き刺さった恐怖の楔を叩き割るように、彼女は駆け出した。今度こそ、界斗に完全な振動を叩き込むためである。
しかし、彼との間合いは6メートルはある。
次の瞬間、界斗は岩礫で京子を照準し、20以上の礫を射出させた。さっきは左右に揺れ動く標的を狙っていたからか拡散するような軌道だったのだが、今は違う。軌道が分かっているので、集束するような軌道で礫を撃ち込んでいる。
速い。この弾は回避しきれない。
致死の威力をはらんだ岩礫を眼前にしても、彼女は動じなかった。冷静でさえいた。しかし、だからといって、この礫が回避でいたわけではなかった。
次の瞬間、京子の体に岩の礫が突き刺さる。その総量は23。皮膚が抉れ、赤黒い鮮血が切れ口から溢れてボロボロのアスファルトへ垂れた。
刹那。彼女は痛みに足を止めてしまっている自分に気付いた。界斗との間合いはまだ3メートルある。こちらの刀はまだ届かなくても、岩柱は十分に届く間合いだ。
京子の反応は、目の前に迫った「死」を回避するには、あまりにも遅すぎた。
界斗の腕から岩柱が屹立し、轟速という形容が相応しい速度でこちらへと迫る。
もう、間に合わない。
彼女が最後に脳裏に思い描いたのは、柊人の顔だった。
自分が死ねば、恐らく、彼は悲しむだろう、と、半ば「生」を諦めてしまったような思考を閃かせる。
(あいつは、もう傷付けない、って。傷付いてほしくない、って、そう思ってたのにな)
轟音。次いで、衝撃。
世界が、強く、振動した。




