暗殺者ーーThe Near Killerーー
無理をして何とか一日で仕上げることができました。
嬉しい脳と裏腹に、体は痛い...
「だ、大丈夫ですか?」
俺は殴り飛ばした不良に向かって、棒読みぎみにそう問いかけた。勿論、返事はない。俺はさっき、全力で拳を打ち込んだのだ。あれを食らってなに食わぬ顔で立ち上がられたら精神的にクるものがあるだろう。
(完全に気絶してるな……ここまでやる必要あったか?)
「こうでもしないと俺が死んでた。あいつは本気だったんだから」
そうたしなめてから、俺はふと、不良の掌に、何やら奇怪なボディペイントが施されているのを見つけた。
「ん? 何だ、これ?」
見ると、それは、格好良いフォントの「76」という数字だった。直ぐに気付けなかったのは、その数字に被さるように、「介埜下 山陽」と記されていたからである。
介埜下 山陽。それが名前だろうか。
(しっかし、名前を手に描くなんて、変わってるな)
「うーん。これ、多分だけどさ、この、山陽さんが書いたものじゃないんじゃないか?」
俺はそう言った。それに、(というと?) と返してきた「翼」に、俺は落ち着いた口調で語りかけた。
「字が綺麗過ぎるんだ。ーーあれだけ荒っぽい、無理やりな攻撃を仕掛けてきた男にしては、さ」
(字が綺麗な不良だって居るかも)
「ーーいや、少なくとも、こいつは違う」
そう言い、俺は不良のポケットからはみ出している生徒手帳に目の焦点を合わせた。
(う、うわぁ。汚い)
その手帳に書かれた名前の文字を見て、「翼」が戸惑ったような声を出す。
手帳の表紙には彼の名前ーー何故か下の名前だけーーが記されていたが、その字体は掌の文字とは似ても似つかないほど下手くそだった。
むしろ、手帳の方の字は、字と認識していいのかどうか、判断しかねるくらいに汚かったのだ。
(しかし、この手の字を不良が書いていないとなると、どうしてこんなことをする必要があったんだろうな?)
確かに、と俺は心の中で思った。同級生に、腕にーー勿論ペンでーー何かを書き込むことをする奴は居るが、自分の名前を書き込むとは聞いたことがない。
俺が少しかがめていた身を起こし、こいつならきっと7時くらいには立ち上がってくれるだろう、と期待しつつ、歩き出そうとした時。
何処から現れたのか、俺の背後に、祭りで見かける狐の面を着けた女性が立っているのに気付いた。
俺はそれを見て、2、3歩ほど後ずさる。何の脈略も無しに見知らぬ相手に背後に立たれたら、手練れの兵士でも無い限り動揺するだろう。
しかし、背後に立たれただけなら、一瞬動揺して、事情を聞いて、それで終わりだ。
そう、それだけなら。
俺は不幸にも気付いてしまったのだ。女性が、手に非日常の産物を持っていることに。
それは刀だった。幅渡り1メートルほどのその刃物は、どこからどう見ても刀だった。
(敵だぜ避けろッ!)
俺はしばし固まっていたが、「翼」の叫びでようやく硬直状態が解けたようだった。素早く背後に跳び、取り敢えず刀の射程から外に出る。
良く良く見ると、女性、と思っていたものは、女子中学生の平均身長と同等程度ーー京子と同じくらいーーの身長しか持っていなかった。
ーーもしかしたら、能力者かも。
そんな思考が弾けた瞬間、相手は地面を蹴って間合いを詰めてきた。そのまま、両手で構えた刀を上段から振り下ろす。
無意識のうちに、翼が動いていた。
翼は駆動域の限界まで伸び、刀を防いだ。どうやら、刀には、翼を斬るほどの力は無いらしい。
しかし、何ということか。次の瞬間、あの激烈な打ち込みを食らっても無傷だった翼の羽根の何枚かが斬られ、崩壊した。
(痛つつ、あの刃、振動してやがる! 一撃でももらったら終わりだぞ!)
それを冷静に分析する「翼」の声をしっかり聞き取ると、俺は彼女を凝視する。
仮面に遮られて表情は見えないが、どうやら、何か想定外の事態が起こったらしい。瞬時に、刀の間合いの外に離脱した。
「ーーーーー?」
(ふむ...良い判断だな)
そこから、彼女は口も開かずに腰から果物ナイフを投擲した。
あの刀は業物だったが、このナイフはどうやら市販のもののようだ。俺はそれを翼によって相殺すると、彼女に向かって羽根を飛ばした。
それをいとも容易く刀で弾ききってしまうと、彼女は再び刀を両手で、中段に構える。
(東洋の剣術ーー剣道の構えか)
その構えは様になっており、俺は戦闘の刹那、波打ち際に立つ荘厳な武者の姿を思い浮かべた。
その威圧感に圧倒され、俺は一瞬、逡巡して攻めあぐねる。
その一瞬が隙となった。間合いを詰めてきた彼女は、剣道に於ける小手の位置へと、正確に剣を叩き込んだ。
俺はそれを防ぎきることできないと直感した。剣の軌道に翼を合わせることはできるだろうが、それをしても、翼は簡単に斬られ、破壊されてしまう。
だったらーー! と、俺は迫り来る刀を掌で受け止めた。
その状態から、刀を掴む。
人間の骨は異常なくらい固い。事故などで簡単に折れてしまうので、脆いという負のイメージが付きやすいが、基本、骨は固い。少なくとも、刀で斬り落とされない程度には。
だが、骨は軋みつつ、少しずつ斬り込まれてゆく。振動した刃は、骨さえ砕くのだ。
しかし、それに構わず、俺は相手の仮面に殴打を入れようと刀を掴んでいない方の右手を振りかぶった。
さっき不良にやったように、全力の拳を当てようとーー。
しかし、拳が彼女に届くより早く、彼女は腰からスタングレネードのようなものを地面に叩きつけたらしい。辺り一帯に強力な閃光が迸った。
俺は何も見えない視界の中で、拳が空を切ったことを理解した。
(逃がしたか)
「翼」がそう言った瞬間、俺はようやく、「相手」を取り逃がしたことを悟った。
最も、それは良かったのかもしれない。あの相手の立ち回りは、武者を彷彿とさせた、洗練されたものだった。あのまま戦い続けていれば、こっちが殺されていただろう。
(あの女、恐らく刀を顕現する能力だぜ。全く、翼を砕くなんて、どんな力をしてやがるんだ)
俺は視界が復帰したあと、その場に残った狐の仮面と、数本の果物ナイフを暫く見つめていたーーー。
毎回思うのですが、毎話のシメが上手い人が羨ましいです。




