「狂気3ーーThe Bestierーー」
しんか「進化」ーー生物が形態や機能の分化・変異の過程を積み重ねながら、より環境に適した状態になること。
ーー以上、新明解国語辞典より抜粋。
俺は奴とぶつかり合う寸前、小さく、却逆の翼、と叫び、翼を顕現させた。それを震わせると、奴とぶつかり合うタイミングで最高速度最高威力の一撃を繰り出す。
空中でこんな推力のコントロールが取れない技など使えば、くるくると独楽のように回って落ちるのが落ちだ。しかし、奴はご丁寧にもこちらへと走り込んでくる。このまま奴を殴り飛ばして、過剰な推力をコントロールしてやればいい。
俺は奴へと拳を打ち付け、奴を吹っ飛ばしつつ、推力を抑えて、安全に地面へと降り立った。
ーー今、鈍い音がした。
と次の瞬間、俺は腕に鈍い痛みを感じて小さく呻く。
皮肉にも、その痛みは、最初の戦いで奴に拳を打ち込んだ時に発生した痛みと完全に同一のものであった。つまり、俺の拳は皮膚を貫通できなかった、ということだ。
しかし、どうして。
俺は昨日、確かに、奴を殴り飛ばし、皮膚を切り裂いたではないか。それなのに、今日は攻撃が通らないとはどういうことだ。
「何をしやがった...ッ!」
「いいや。今日の俺は何もしてないぜ」
奴は特に動じる様子も、優勢にかまけることもなく、そう答えた。
「嘘じゃない。こいつ、ホントのことしか言ってないぞ...」
奴の言葉は嘘であるかもしれない、という俺の淡い希望は打ち砕かれた。どうやら、今日の状態こそが、奴の本調子であるようだ。
ダメだ。このままじゃ勝てない。
(まだ諦めるなよ! 昨日解明した弱点があるじゃないか。奴の岩石化は、体の一部分しかできない。つまり、不意打ちには対応できない、と)
そうだ。確かにその通りだ。攻撃を止められたインパクトが強すぎて失念していた。奴の弱点は恐らく、未だ健在だろう。
俺は3メートルある奴との間合いを詰める気になれずに、奴へと羽を五枚ほど射出する。それは当然、体表で弾かれるが、それでいい。俺はそれを確認するや否や駆け出した。
しかし次の瞬間、奴は地面に落ちている羽をなんということか、こちらへと投げつけてきた。それも、五枚同時だ。
俺は、一度翼から離れた羽に、二回しか運動力を加えられない。つまり、ここでこの羽を止めるためにAdvanceを使えば、この羽は使えなくなる。
俺は覚悟を一瞬で決めると、超高速で飛んでくる羽を指と指の間隙で受け止めた。それを上へと向かって投げると、奴へと拳を振り上げる。
奴はその拳を、戦闘体勢を作ったまま見据えている。奴は回避をする必要がない。したがって、俺の拳はすんなり通るだろう、と、俺は刹那にそう悟った。
しかし、それは間違いであった。次の瞬間、奴は下段に右拳を構えていた。これは、向かってくる俺の拳よりも早く、アッパー・カットのような右ストレートを打ち込もうという魂胆の露呈であろうか。
俺は次の瞬間、素早く身を引いた。刹那。さっきまで俺が立っていた空間に奴の容赦のない拳が叩き込まれる。
俺はそれをドス黒い気分で見据えつつ、さらに羽を5枚射出した。今、奴との間合いは1メートルほど。本来なら羽で攻撃するような距離ではないが、仕込みのために羽を射出することは必須なのだ。
奴は当然、というように腕で羽を払った。
「なァ」
そして、口を開く。俺は耳を傾けつつも、真剣に聞き入ることはしなかった。地面を蹴り、奴へと突進していく。その様はさながら、追い詰められた草食獣のようであった。
奴は、俺の鳩尾へと拳を叩き込もうと拳を構えた。そして、そのまま拳を下段から上段へ振り上げるように振る。拳の軌道上には、俺の鳩尾がある。
「どうして、俺の力が上がったか?」
奴が拳を「そこ」に叩き込んだ瞬間、奴はにんまりと笑った。ご満悦、といったような表情だ。しかし、直ぐに、違和感を感じて手を引っ込めようとする。
しかし、できなかった。俺に拳を掴まれているからだ。
「な...ッ!」
次の瞬間、俺は拳のみならず腕まで掴み、奴の懐に背中を入れ、投げ飛ばした。柔道の技、背負い投げである。少々強引で、多少原型の型と異なっているだろうが、それでも、奴を倒すだけの効果はあったようだ。
「くそッ!」
叫び、奴は無理矢理に体を起こして飛び退く。
「ーー固い。見違えたな。何をしたんだ」
俺は取り敢えずそう問いかけた。これは翼の言葉である。代弁したのだ。
「ーーいいだろう。話してやるよ」
奴は乗ってきた。Advanceの全容を話すということが、どれだけのアドバンテージを手放すということか知らずに。
それに、仮に嘘を言ってきたとして、こっちには笑うように囁くがある。奴の発言に嘘が混じれば探知できる。
「ーー例えば、筋繊維、ってのは、一度壊れてから治り、その時に治りすぎて強化されるっていうよなァ」
背後で亮が首を振る。「嘘じゃない」 ということだろう。
「詳しいことは分からねェが、このAdvanceはそれと同じことができるらしィんだよ。一時的に性能を落とすことで、その「一時」中に培った肉体的、心理的、知識的経験を、そのまんまAdvanceに反映できるのさ」
ーー背後で、亮が、首を振る。
嘘であって欲しかった。しかし、嘘ではないのだ。これは事実だ。
昨日の奴は本気ではなかった。俺は思い上がっていたのだ。ーー奴よりも、俺の方が強い、と。
不遜だった。傲慢だった。ーーそして、愚かだった。神憑りな思考であった。
本来、このような状況を作りだしてしまうのは非常にまずかったのだ。狙いが俺であると分かった時点で、奴に向かわず逃げれば良かった。
それをしなかったのは俺の不遜のためだ。
「まァ? 要はお前のやってきたことは無駄だってことだ。なァ。結果として、お前の行動は俺の防御力を引き上げたのさ」
刹那。奴の姿がかき消えた。
俺の元に来るのだろう。俺を、殺すために。
次の瞬間だった。奴の拳が、「何か」を打ち付けて轟音を響かせた。
奴が三度にんまり笑う。勝負は決した。ーー拳が、当たりさえすれば。
奴の拳は、地面を打ち付けたのだ。明らかに俺を捉えていた筈の拳が。
何故か? それは単純だ。「俺が避けたから」
「小説とかーーアニメでもいい。ホントに戦ってみて、それらの演出で、少しだけ思ったことがあるんだよ」
俺は謳うように宣言する。
「ーー戦時中に、敵の煽りやらショックな事実やらで、なぜああも長い時間葛藤するのかね、ってことだ」
次の瞬間、俺は奴の背中に全力の右ストレートを放つ。その拳には、羽が添えられている。その攻撃は、奴の体表を0.1ミリほど抉り、そこで活動を停止させた。
「戦いの中で成長した、お前はそう言ったな」
俺は飛び退き、遠距離から五枚、羽を飛ばした。羽は山なりの軌道で、鳥類の狩りのように奴を襲う。
「ーーそれは、俺にも言えることだ。たかが一度の煽りで、俺がうだうだ動揺するとでも思ったか?」
奴はこちらへと走り込んでくる。絶対と思われた自分の立場が、今度という今度は本当に揺らぎ、焦っているのだろう。
それを利用させてもらう。
殴られるその刹那。俺は最初に地面に仕込んだ羽を、奴の背中へ向けて射出した。当然のように、羽は奴の体表で活動を止めるが、そこで羽の運動は止まらない。
次の瞬間、俺は間髪入れずに、二回目の出力を開始させた。
羽に運動量を与えられるのは一枚につき二回。俺は一瞬で、二回、そのエネルギーを使うことにより、奴の体表を切り裂こうと画策したのだ。
果たして。次の瞬間、奴の背中から鮮血が垂れだした。
奴は痛みで運動を止める。その一瞬が隙となった。刹那、俺は、却逆の翼を利用した右ストレートを、腰のしなりと拳の回転を利用して奴に打ち込んだ。
奴は数メートルと吹っ飛ばず、30センチほど動いただけだったが、それは俺の士気を高めるには十分だった。
「俺は、負けない」
俺は、謳うように宣言する。




