「過去3ーーNot Outer Novaーー」
俺は足で地面を2、3度踏みつけ、足場の状態を静かに確認してから、地面を思いっきり蹴りつけて走り出した。
彼との距離がどんどん詰められてゆく。俺は50メートルを7秒ほどで駆け抜けられる。このまま走れば、数秒で彼の間合いに入ることができる。
しかし、邪魔が入ればその限りではない。
当然のように、彼は背の翼から羽を射出した。その数は5枚。さっきの弾とは違い、一弾一弾が着弾タイミングをずらしている。
受け止められはしないだろう。
「ーーなら!」
受け止めなければいいだけだ、と心の中で付け加えて、俺は右手を閃かせた。目の前の空間を水平に一閃する。
それで、羽の第一打は打ち落とされた。ーー俺の手の中の、杖によって。
これは山道から外れたところに落ちていた。長さは1メートルと数十センチ。恐らく、ここに登山に来ていた人が落としたのだろう。ここはそれなりの標高がある。最も、今日、ここを訪れる人間は居ないだろうが。
しかし、俺が打ち落としたのは第一弾。この後には後続の弾が4発も残っている。
一見すると不利な状況だ。だが、これらを撃墜できる確率は0ではない。ーー絶対に、打ち落とす。
俺は右に振りきられた杖を上方へと掲げ、右上から左下へと、間の空間を凪ぐように振り切った。それで、第2弾は打ち落とされる。
続く3、4、5弾も、俺は舌を巻くような早さで叩き落とした。機械よりも正確にして、機械よりも力強い技で。
俺は第5弾を打ち落とすと同時に、駆け出していた。彼は5枚の羽を射出した。つまり、この後数秒は中距離攻撃ができない。そこが、隙となる。
俺は大上段に杖を振りかぶって、完全に間合いの中へと捉えた彼の脳天目掛けて、全力で振り下ろす。
次の瞬間。鋭い金属音が、静寂を打ち破って響き渡った。
当然、これは頭蓋骨に杖が食い込んだ音ではない。ーーこれは。
ーーこれは、却逆の翼と杖が打ち合った瞬間の音だ。
刹那。俺の手に握られている杖が、半ばから砕け散った。手に破片が食い込み、鋭い痛みが発生する。
彼は、却逆の翼を頭上に添え、杖の攻撃から身を守ったのだ。いや、これは「防御」とは言えない。言い表すならそう、「迎撃」か。
俺はそれを視界の端に納めた瞬間、大きくバックステップして逃げ出した。ここで追撃を繰り出しても、却逆の翼に止められるだけだと考えたからだ。
実際、その考えは間違っていなかった。一拍と間を置かず、俺がさっきまで立っていた空間に殴打が繰り出されたからである。
「くそっ! 武器使ってもダメか!」
世界に存在する武器が何でも使えるなら、自動小銃などを使って奴に一矢報いることができただろう。しかし、ここにそんなものはない。あってもナイフくらいだ。そして、ナイフは却逆の翼に止められる。
杖を始めとするほぼ全ての武器が無効となれば、当然、拳も使えないだろう。足もダメだ。
どうすれば、いい。
俺は数秒思索し、そして、答えを導きだした。
そうだ。却逆の翼を再発現させればいいのだ。却逆の翼は正直、この状況に於いては使えないと思っていた。どう発現させるか分からないからだ。
だが、俺はかなり前に、言っていたではないか。その疑問に対する、「解」を。
ーーAdvanceの解名詠唱には、人間関係上の、「親密」な関係にならなければならない、と。
つまり、Advanceと付き合う、ということは、人間と付き合う、ということと同じことなのだ。
崩れた関係は、刺激の強い出来事で上書きして、仲直りしつつ、今までよりも強固な関係を結べばいい。
ーー解名詠唱だ。却逆の翼を取り戻すには、それしかない。
しかし、解名詠唱と言っても、この翼には却逆の翼という立派な名前がある。それ以外にも名前が存在する筈がない。
「却逆の翼」
ぽつり、と、俺は呟いた。しかし、何も起こらない。
確かに名前を呼んだ。俺は、確かに名前を呼んだのだ。だが、背中に翼は現れない。
今、俺は恐怖していない。これは、今の状況が突発的なものではないからだ。殺されかけている、という点では、あの特殊元素使いと戦った時と何ら変わらないというのに。
それに、何か強い感情が沸き立っているわけでもない。それは愛でもなければ憎しみでもない。嫌悪でもなければ覚悟でもない。ーー憎悪でも、調和でもない。
つまるところ、俺は真剣になれていなかったのだ。梢に体をあずけ、座り込んだまま俺は考える。
ーー俺は、何のために強くなろうとしていたのだ?
あの喧嘩狂い、Advance狩りを倒すためだろう。奴のあの面に、一発くれてやるためだろう。
俺が思っていたのは、皆を守りたいという思いか? 町を平和にしたいという思いか?
違う。違う、違う、違う!
俺は悔しかったのだ。これだけ大きい力を持っていながら、奴に負けたことが。悔しくてたまらなかったのだ。
それは、間違った思いなのかもしれない。ここで感情を制御して、冷静に物事を見るべきだったのかもしれない。心の芯まで、俯瞰したような冷静さを纏うべきだったのかもしれない。
俺は素直に悔しかったのだ。その感情が、心の奥にわだかまっていたのだ。それは歪んだ思いなのかもしれない。でも。ーーそれでも。
ーー強くなる動機なんか、それで充分だ。
俺にもう、迷いはなかった。全ての力を使って、奴に勝つ気でいた。
そして、その刹那。俺の頭には、却逆の翼を再発現させるためのーーいや、翼を得るための方法が思い描かれていた。
俺は彼を見据えると、駆け出した。再びの突撃。こんな無謀な突撃で、ダメージを受けずに、彼の元まで辿り着くことなどできない。
彼は当然、というように、羽を射出する。
俺はそれを見や否や、体の前で腕を交差させた。これは急所も守るための行動だ。さっきまでの、ダメージを逃がすための行動ではない。
俺の体に、2発、3発と刃が突き刺さる。だが、俺は足を止めない。
4発、5発。攻撃を受ける度に業火のごとき痛みが腕を媒介として脳に伝わってくるが、それに構ってはいられない。
彼までの距離は、後3メートル。1秒もしないうちに、俺は彼の間合いに突入する。
ここにきても彼は、悠然と俺を見据えている。足場は悪い。この状況。実は、駆け上がっている俺の方が有利だったりする。
しかし、彼は逃げ出さなかった。腕を振りかぶり、迎撃する、という意思を示している。
俺は遂に、彼の間合いに侵入した。この距離なら、俺のどんな攻撃も届く。
しかし。俺は、「攻撃」しなかった。
俺は素早く、それでいてしなやかに、彼の却逆の翼へと触れた。彼の顔が驚愕に歪む。俺の手は、翼に触れたことで切られ、痛み出す。
ーーそれでも、俺は翼を掴むのをやめなかった。
呼吸を整え、翼を見据え、その名前を呼ぶ。
「ーー却逆の、翼ッッ!」
轟音と衝撃が、辺り一帯を襲った。




