脚本書きーーThe Rewriterーー
その日、俺は解散した後、本屋に向かっていた。
時刻は3時頃。まだまだ空は青いが、後2時間後には橙色が姿を見せる。それまではには帰ろうかな、と大まかな計画をぼんやりと立ててから、俺は自転車のペダルを再び踏みしめた。
自転車の走行には前方の確認が必須となる。俺は自転車を飛ばしつつ、前方を見据えた。
そして、気づく。
前方。工事中のビルから、鉄骨が落ちてきていることに。そしてーー
その落下地点に、中学生が立っていることに。
俺は自転車を投げ捨て駆け出した。あの中学生は、上空から鉄骨が降ってきていることなど知るよしもない。後3秒もすれば、回避などままらならずに死んでしまうだろう。
「却逆の翼ッ!」
叫び、俺は中学生との間合い最後の1メートルを跳躍で詰めると、全ての力を振り絞って中学生を突き飛ばした。吹っ飛んでいく中学生を視界の端に納め、ああ、これで大丈夫か、と、うっすらと思考する。
そして、俺は鉄骨を見据えた。
もう迷っている暇などない。俺は羽を三枚射出させ、上から降ってくる鉄骨の第1弾を真っ二つに切り裂き、「却逆の翼」を盾として使うために屈みこんだ。
ーー衝撃、そして、轟音。
全てが消滅した時、そこに、落ちてきていた筈の鉄骨はなかった。
全てが、まるで0にリセットされたように。アスファルトの傷以外が、リセットされたように。
そして、俺の体に傷はなかった。鉄骨を一本切り裂いたのが良かったのだろう。アスファルトには、俺を避けるようにして傷ができている。
(敵襲だな。鉄骨が落ちてくる確率は限りなく低い。それに、あの鉄骨、明らかに不自然な動きをしていた)
「翼」の冷静な分析だけが、この状況の異常さを伝えていた。
しかし。敵襲だとしたら、疑問が残る。今の攻撃で襲われたのは、明らかに、そこで倒れている中学生だろう。俺を襲ったのではない。
彼は、何をしたのだろう。
俺は恋愛問題で殺されかけている。それに、「却逆の翼」を持ってもいる。強大すぎる力は人を狂わせるので、俺が襲われるのはある意味仕方のないことだが、俺がいつもされている敵襲と同じくらいのレベルの攻撃が、彼には降り注ごうとしていた。
そこまでするほどのことを、彼はしたのか? いや、そもそも、彼の挙動もどこかおかしかった。あんな所にぼうっと突っ立って、何をしていたのだろうか?
(もうわけがわからねぇな。彼、呆然自失って感じで突っ立ってるぜ)
それも、自分がどうしてこんな目に遭わなくてはいけないんだ、というような、不幸に対する恐怖の表情だ。と俺が心の中で付け加えてから、俺は「大丈夫ですか?」 と声をかけた。
「あ、ああ。大丈夫。災難だな。アニメじゃあるまいし...」
彼はそう答えると、よろよろとどこかへ歩いていった。
(あれは大丈夫じゃないな。こっから事故しないといいが)
そうだな、なんて応えつつ、俺は彼の背中を見送った。
取り敢えず投げ捨てた自転車を拾い、どこにも傷がないことを確認すると、再びペダルに足をかけた。
本屋までは2分で着くことができた。あんなことがあった後だったから震えたり疑心暗鬼になったりでちゃんと運転できるか心配だったが、どうやら俺の無意識は薄情なようだ。そんなことはなかった。
俺は自転車を停め、本屋に入った。今日は予期せぬ収入が入ったので、好きなSF長編を買いに来たのだった。
入り口のところにある漫画を横目に捉えつつ中に入っていくと、入って6つ目の棚で立ち止まって本棚へと目を走らせる。
そして、俺はふと、真横に誰かが立っていることに気付いた。そして、その人物の正体も。
「あれ? 神無月さん? どうしてここに?」
それは少し前に別れた筈の永戸だった。どうやら永戸は読書家だったようだ。
「いや、ちょっと本を買いに...そういう永戸こそ、どうして?」
「僕も本目的ですよ。本屋で本買わない人は居ませんよ、流石に」
そう冗談めかして言ってから、彼は一見するとボブカットにも見える髪を揺らして、一番上の棚に手を伸ばした。しかし、本は取れない。
「うっ...くっ...」
「取ろうか?」
「だ、大丈夫...です」
しかし、彼の手は本の背表紙の端を僅かに撫でるだけで、取るところまで至らない。
俺は見かねて、本を取った。俺も背は高い方ではないが低い方でもない。簡単に取ることができた。
「い、いいって言ったのに...」
「いやいや。意地張るなよ」
「ま、いいです。ありがとうございます」
そう言うと、彼はレジへと向かっていく。俺はそれを横目で見送りつつ、目の前にあった目当ての本を手にとって歩き出した。
レジまで少し遠いのが難点だなこりゃ...とか思考しつつ、俺が歩いていると、ふと、真横から声が響いた。
「ーーこの人、万引きしようとしてますよッ!」
万引きか。許せないな。誰だろう、と思いつつ声の主を振りかえると、その相手が指していたのは俺だった。見ると、その人物の後ろからポルターガイストの如く本が独りでに浮き、こちらへと向かってくる。
(や、やばい! 対処法がない!)
「翼」が叫んだ瞬間に、俺は気付いた。そうだ。ここでこの本を弾き飛ばせば、俺は「盗った本を投げ飛ばした」ことになる。かといって、放っておけば、俺のポケットにあの小さな文庫本が入り、俺は「万引きをした」中学生となってしまう。
万事休すか、なんて切迫した思考をしていると、レジからこちらへ歩み寄った永戸が、俺の頬を指でなぞった。これは、湾曲の能力を発動させたのだろう。本は奴の足元で落下した。照準できないということは、「本をこちらに飛ばす能力」すら無効化するということなのか。
「言いがかりはやめてくださいよ。俺は何もしてない」
「そ...そ、そうか。おかしいな...確かに...」
俺を糾弾した人物も、気付いたのだろう。口をぱくぱくさせて言い訳を紡いでいる。
(こっちのセリフだぜ。鉄骨が落ちてきた辺りからなんかおかしいぞ)
ーーと次の瞬間、俺に向かって本が飛来した。当然、その本は背後に抜ける。レジにぶつかり、完全に機能停止した。
(ああッ! 本が! 粗末に扱いやがって、許さんぞ!)
「翼」の悲鳴を取り敢えず無視しておいて、俺はレジへと向かった。これ以上奴に取り合うのは御免だ。
本を購入すると、俺は足早に本屋を出た。俺の周りは何かがおかしい。取り敢えず、ここは離れなければ。
ーーしかし、だ。
この時の俺は気付いていなかった。
この先、今のような不可解な出来事が、まるで磁石のように俺に引き寄せられることに。




