鈍器ーーThe hammerーー
何か、漸くこの一章の行き着くところが見えた気がします。この話で特に何かが動く、ということはないと思いますけど。
俺は心の中で、ささやかな希望が生まれるのを確信していた。
俺の「却逆の翼」による、全力の殴打を使えば、対象にかけられた能力を解除することができる。全力の殴打は甚大なダメージを叩き出すが、相手を殺したり、後遺症を残したりすることはない。
後は、この力を、京子に使うだけだ。
もし、万が一、甚大なダメージがあったとしても、こいつを使えばいい。俺はそう思考しつつ、手の中のクリスタル状の物体へ目をやった。
これは、さっき倒した奴のポケットから偶然落ちたものだ。見覚えがあるような気がしたので拾って良く見てみたら、予想通り回復アイテムだった。
これは表面上の傷を回復しつつ、血の補充、痛みの感覚の消去、精神の鎮静までこなす有能過ぎるもので、俺の全力の拳を食らっても、これを使えば立ち上がることができるようになる。
ーー問題は、京子がそれを受け入れてくれるかどうか、だが。
俺は走りつつ、スマートフォンを取り出して、京子に、「今から会えない?」 とメールした。3分とかからず、「りょーかい。どこで会う?」 と、何もいぶかしんでないかのようなメールが返ってきた。俺は取り敢えず、図書館前の公園を待ち合わせ場所にするという旨のメールを送ってから、その方向へ走り出した。
そして、3分ほど走ったところで、俺はまた絡まれた。
今度の相手は鈍器使いだった。手に仰々しい鉄のハンマーを構え、いやに好戦的に口角を吊り上げている。それなのに目が死んでいるのは、不気味という形容が似合うものだった。
俺はそいつがハンマーの先を使っての、本来ならあり得ない刺突をサイドステップで回避すると、奴に視線を向けた。
奴は目が死んでいる。操作されているのは明白である。しかし、俺は目を覗き込むその刹那、瞳の奥に何かぎらりと光るものを察知した。
ーーと次の瞬間、轟! と、上段に構えられたハンマーが、ゼロ距離に等しい間合いに立つ俺に振り下ろされた。
俺はそれを回避。しかし、完全に回避しきることはできなかった。当然、ハンマーでの直接攻撃は回避した。しかし、余波は、と聞かれればその限りではない。
俺はアスファルトに叩き込まれたハンマーが起こす人智を越えた振動に一瞬態勢を崩した。そこに、奴のハンマーにより刺突が容赦なく叩き込まれる。
俺はそれをモロに食らう瞬間に、右手を無理矢理に動かしてハンマーを迎撃した。当然、重心すらろくに据わっていない状態での不格好な殴打などが有効打になるはずがなく、俺は右手に鈍い痛みを感じつつ、地面に倒れ込んだ。
俺はその状態から、右肩だけを起こした。「却逆の翼ーー!」 と鋭く叫ぶと、思いっきり「翼」を震わせ、強引に体を起こして折れかけの右腕を奴に叩き込む。
拳は奴の鼻先を掠め、見当違いの空間を叩いて突き抜けた。俺はその拳を引き戻すのを諦め、右足を少し浮いた態勢から奴に叩き込んだ。奴は素早く引き戻したハンマーで防御をしたが、防御ごと俺のキックは衝撃を奴に通した。奴は衝撃で、1メートルほど後退するのを余儀なくされた。
俺は地面に降り立ち、そこから羽を素早く三枚飛ばした。当然の如く初弾は回避され、続く2、3発目もハンマーで対応される。
しかし、奴はハンマーを振ったことにより、隙を晒している。当てるなら今だ。俺は駆け出した。奴との距離は約1メートル。1秒もあれば、間合いを詰められる。
俺は地面すれすれを這うように駆け、鳩尾を殴りあげるように殴打を叩き込んだ。勿論、「却逆の翼」によるアシストの威力が付与されているので、威力は太鼓判である。
奴は攻撃を食らうと、遥か後方へ吹き飛ばされた。目測で約6メートルといったところか。
さて、奴は完全に気を失っただろう。様子を見るか。
(大分強くなったんじゃないか? なんの訓練もしてないし、帰宅部なのに、凄ぇな)
「まあ、アニメとか見て攻撃のモーションは毎日予習してるからなぁ...」
アニメ参考にしてるのかよ、と期待が冷めたような声色で呟く「翼」をいなして、奴に向き直る。
俺の殴打はただの人間を6メートルほども吹っ飛ばす血からを持っている。あれを食らったんだ。意識がトぶのは至極当たり前のことであって、俺が奴を倒したという事実は揺るぎないものだろう。
しかし。それを思考した瞬間、俺は。
遥か後方へ、鈍器で殴られたかのような痛みと共に吹き飛ばされたーー
「あ...が...ッ!」
肺から空気が1cc残らず空気が排出される感覚が分かる。息ができないうえに、胸の辺りがずきずきと痛い。どうやら、俺は胸をやられたようだ。
(ひでぇ傷だぜ...立てるか...いや、ちゃんと呼吸できるか?)
呼吸はできる...と弱々しい思考を作り、「翼」の言葉に返答してから、俺は霞む目で奴を見据えた。
奴はハンマーをさっきと変わらず上段に構えたまま、アスファルトを踏みしめてこちらへと歩いてくる。その鳩尾には俺から受けたダメージが残っている筈なのに。
ーーそれに。奴の目から察すると、奴は操作されたままだ。今の一撃を食らえば、「操作」が解けてもおかしくないのに。
「能力を...解説してほしいもんだな...…ッ!」
弱々しく強がりを言うと、俺は小声で「却逆の翼」と詠唱し、「翼」を顕現させると、羽を一枚落とし、それを射出した。
この一撃は顔を狙った一撃だ。命中すれば、頬の肉が僅かに切れる。奴がそのダメージに対応している隙に、俺は最後の気力を振り絞って右ストレートを放つ。
しかし。予想に反して、奴は。
顔を僅かに左に逸らすことで、羽を回避したーー
普通の動体視力、運動神経、反射神経ではあり得ないことだ。あの距離で、あんな小さいモーションに、自分の命をかけられるのもまたあり得ないが、それ以上に、俺は異常なまでの戦闘の勘に絶句した。
(さて...呼吸整えろよ。ぶちかますぜッ!)
俺は「翼」の言葉で我に返ったような気がした。そうだ。止まっていちゃ何も始まらない。この戦いで主導権を握らばければ。
俺はさっきと同じように右肩をフリーにし、「翼」を震わせての右ストレートを奴に打ち込んだ。奴はその回避力の全てをかけて俺の拳の間合いすれすれまで退避すると、そこから、ハンマーでのかぶと割りを試みたようだ。空気が鳴り、ハンマーがしなる光景がここから見える。
俺は羽を落としつつ、そのハンマーを少し滞空時間の長いサイドステップで回避した。ハンマーが俺の居なくなったアスファルトを叩き、地面を揺るがすが、上空に居る俺には関係ないようだ。
奴は身体能力、判断能力が格段に上がっている。だが、この局面に於いては、それが仇となったようだ。もう少し振り下ろすのが遅ければ、俺は余波を食らっていた。
空中に浮いた状態から、羽を落としつつの、却逆の翼でのアシスト殴打。
俺は空気が鳴る音をしっかりと聞き、白熱する視界の中に奴を捉えた。そこから、奴の顔へと容赦ない殴打を叩き込むーー
しかし、奴はハンマーの横腹でそれを防いだ。鈍い音が鳴り、ごきり、と嫌に重々しい音が響く。それは、暗に、骨が折れたことを示していた。
しかし、それによる業火のごとき痛みは、俺の脳には届かない。恐らく極限まで追い詰められたので、脳内麻薬が分泌されているのだろう。
俺は羽を落としつつ、防御でがら空きになっている奴の足元めがけてキックを放った。それも当然、というように回避されるので正直徒手空拳に自信が無くなるが、この程度の反応ならば恐れるレベルではない。
俺は無理矢理に左足を奴のハンマーへと叩きつけ、後方へと退避した。不安定な姿勢で跳んだため腰をしたたかにアスファルトへと打ち付けたが、構わず羽を落とす。
俺はその状態から、攻撃が通らず焦っているふうに装って、愚直な突進へ身を投じた。奴は当然の如く、ハンマーの刺突で対応する。
俺はそれを身を屈めて背中にかすらせつつ回避すると、
たった今の瞬間のために仕込んだ羽全てを、地面から奴に向けて射出した。
その総量は10枚。今できる最大限の枚数である。俺は回避のために身をかがめたのではない。俺の体に、羽での斬撃を命中させないために、身をかがめたのだ。
よって。奴は回避不可能な弾幕を目の前にして、回避の余地がないことを悟り。その体に、羽による大量の切り傷を刻み付けて、静かに倒れた。




