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天地返し、それは土をリフレッシュさせる工程。
俺が草を刈った表層の地面は、草の根っこや病原菌を含んでいる。
そんな地面に種を植えるわけにはいかないので、一メートルほどの深層の土を一度掘り起こして、表層の土と入れ替えて、健康な土を使う。
どんな種を植えるにしても、土の善し悪しは野菜作りにおいてかかせない要素だ。
それを、うろ覚えの知識で引き出した俺は、午前中に魔法の訓練を行った後、麦わら帽子に白い手ぬぐい、そして家に置いてあった木製のシャベルを携えて早速、天地返しの作業を行った。
行った……のだが。
「ぐああああ……」
これが想像以上にきつかったッ。
昨日の草むしりもきつかったが、これは断然違う。
畑を植える場所に五列の線をきっちりと引き、土を入れ替える作業に移った俺を待っていたのは、掘り起こしても、掘り起こしても終わらない地獄のような時間であった。
深層の土を掘り起こし、表層の土と入れ替える作業。
言葉で表すのは簡単だが、それをするのはかなりの労力が必要だったのだ。
まず、土が重い。
次に、腰が痛い。
そして、終わりが見えない。
最後に、自分の体が言うことをきかなくなる。
草むしりの時も痛感したが、俺は本ッ当に体力がなかった。大学を出てからまともに運動する機会がなかったので、ある意味で当然かもしれないが、自分のイメージと現状の体力がかみ合わないのは、なんとも歯がゆいものであった。
そんなこんなで地獄のような作業を続けた俺は、なんとか五つあるうちの半分の作業を終わらせ、くたくたの体で帰宅した。
しっかりと手洗いうがいをして、汚れた服を着替えた俺は、リビングのテーブルに突っ伏す形で椅子に座る。
疲れ切った表情を浮かべているであろう俺に、夕食を作っているリオンが首を傾げて、声をかけてきた。
「ハルマ、大丈夫?」
「だ、だいじょうぶだ……」
勿論大丈夫な訳がない。
本当は弱音をはきたいくらいに疲れてる。
畑を放り投げて休みたい。
何度もめげそうになったが、近くで黙々と本を読んでいるリオンがいるので、大人としてかっこ悪いところを見せたくない一心で滅茶苦茶頑張った。
「今日、足が震えてた」
「……」
「今にも死にそうな顔してた」
「……」
「それでも、大丈夫なの?」
「ごめんなさい。嘘つきました」
俺のやせ我慢がこの子の前では意味のないものだった……!
怪しまれる視線に晒されるよりも、すごく可哀想な人を見るような目で見られるのってこんなに辛いことだと、身を以て知ることができたぜ。
そんなやり取りをしている内に、夕食を作り終えたのか、テーブルの上に皿を置くリオン。
俺もそれを手伝い、一通りに夕食の支度を済ませると、リビングにエリックさんが入ってきた。
「おじいちゃん。ご飯できたよ」
「おお、夕食か。それじゃあ、いただこうか」
エリックさんを加えて、三人での食卓。
メニューはシンプルに野菜のスープと小麦パン。疲れた体に優しい味付けを嬉しく思いながら夕食を食べる。
その際に、畑を作る作業がどれだけ進んでいるのかをエリックさんに報告する。
「畑の方は、あと二日ぐらいで土の準備は終わりますね」
「おお、思っていたよりも早いな。魔法の方も順調かな?」
「ええ、大分扱いなれてきました」
主に上達した理由が、熱中症にならないよう頭の上に雨を降らせたり、雨水を飲んだりしていたからなんですけどね。
……そうだ、土の準備が終えたのなら、次の段階に必要なものがあるかどうかを訊かなければ。
「エリックさん、肥料ってどうします? 作るにしても、俺の知識じゃ時間がかかるものしか作れないのですが……」
これまたうろ覚えの知識だが、肥料も一応作ることは可能だ。
しかし、落ち葉を集めたり、生ゴミなどを用いて液肥を作ったり、初心者がやるにはかなり手間がかかる。
しかも、落ち葉で作る肥料は下手すりゃ一年もかかる。
「いいや、肥料は必要ない」
「……は?」
どういう意味ですか?
まさか、そのままの意味で肥料をいらないとでも言うのだろうか。
そもそも肥料を知らない? いや、エリックさんの反応からして肥料のことは知っているようだし……。
「君が育てる野菜に肥料は要らないんだ」
「えーと、それはどういう……」
「その話をする前に、まず君に会わせなければいけない人物がいるんだ」
話を逸らされたが……俺が会わなければいけない人物?
一体、誰だろうか? 村の人達が、俺と進んで会いたいと思っているようには思えないから、別の人だと思うが。
育てる種はともかく、まずはそちらの方を聞いてみるか。
「その人物とは、誰なんです?」
「この村を含めた領地を治めているケイ・ラングロンという名の貴族だ。本当はもっと長い名前なんだけどね」
「貴族がですか……なんで俺に?」
「君は良い意味でも悪い意味でもこの村に影響を与えている。普通なら必要ないはずだけど、ここを治めている彼に顔を合わせなければいけないんだ」
事実、村の人達に怪しまれているからしょうがない話でもあるな。
でも、貴族かぁ。言葉でしか聞いたことないけど、どういう人なのだろうか? イメージ的には高価な服装に身を包んでいる感じだな。
「まあ、そこまで気負う必要はない。貴族といっても私の友人でもあるからね。リオンは、彼のことを知っているだろう」
「……うん」
なぜか微妙な表情で頷くリオン。
……なにかあるのか?
「あの人、元気すぎて苦手。それとお節介だし、まるでおじいちゃんが二人いるみたい」
「……ん? 聞き間違いかな? おじいちゃんのこと遠回しに苦手って言っているように聞こえたんだが……」
「……ごはんおいしい」
「あからさまに視線を逸らされた!?」
がびーん、という擬音がつきそうな位にショックを受けたエリックさんは、手からスプーンを落とし絶望した表情になる。
あ、まずい、ここは俺がエリックさんのフォローをしなければ。
「だ、大丈夫ですってエリックさん! リオンだって本気で言ったわけじゃ……」
「黙らっしゃい! 孫に苦手と遠回しに言われた老人の気持ちが君に分かるか!? おじいちゃんは悲しすぎて涙が出るぞマジで!!」
「それを俺に言ってどうするんですか!」
というより、“マジで”とかいう若者言葉を貴方が使ったことに驚いたわマジで。
この人、リオンに関わると本当に人が変わるよなぁ。
これが親バカならぬ祖父バカというやつか。
「賑やかなのはいいことだね」
当のリオンは俺とエリックさんのやり取りを見て、嬉しそうに微笑んでいた。
無邪気な表情だが、エリックさんが暴走する原因となったことを考えると、その笑顔が小悪魔じみたものに見えてしまった。