40
この一週間、控えめに言っても土しか弄っていなかった気がする。
アメキャベツの栽培を行っていた畑を、天地返しで掘り起こしたこと。
畑にする予定の場所に印をつけて、そこに生えている草を全て刈ること。
そして、また天地返しを行い表層と下層の土を入れ替えたこと。
日によってはノアとリオンの助けも借りたけれど、それでも一週間も時間がかかってしまった。
それでも畑の方は一応の準備が整ったので、数日ほど休息をいれた後に、俺は次の作業に移ることにした。
現在、俺は木々が生い茂る森の中をリオンと共に進んでいた。
隣を歩くリオンは籠のようなものを持っており、その中には先ほどから彼女が摘んでいた山菜が入れられている。
俺の目的は、リオンと山菜採りにきたことではない。新しいアメヤサイの栽培に必要な道具の材料を集めに来たのだ。
「……んー、これはちょっと太すぎるか」
手近にあった細い木に手を添えて材料として相応しいか観察するが、ここまでの道のりで丁度いい大きさの木は数本くらいしか見つけられていなかった。
「まだ足りないの?」
「あと、もう三、四本は必要かなぁ」
後で必要になっても大丈夫なように、予備の分も集めておきたい。
肩に担ぐように一纏めにした長めの木の枝を担ぎ、太陽の光が差し込む緑の中を歩く。
そんな俺を見て、リオンが首を傾げた。
「その木でなにをするの?」
「ん? ああ、支柱にしたりするんだよ」
「しちゅう? 美味しそう」
なぜ食べ物に変換された?
きょとんとした表情なので天然なのは分かるけど、なんだか肩の力が抜けてくるなぁ。
「シチューじゃなくて、支える方の支柱だね」
「へぇ、何かを支えるの?」
リオンの言葉に頷く。
「ほら、茎が伸びる植物があるだろ? そういう植物って育っていくうちに茎がどんどん伸びていくんだけど、ほっといたら茎が折れちゃったり、歪んだ形で成長しちゃんだよ」
「あ、だから支えが必要なんだね」
「ああ、この長めの木はちょっと支柱とは別のことに使うけれど、短いのはそうやって使うつもりだよ」
俺が作るつもりでいるアメトマトには、倒れないようにするための支柱が必要不可欠だ。
自然に育ったアメトマトがどのように群生していたのかは気になるけれど、用意しておくに越したことはない。
何気なく周囲の自然に目を向けてみる。
木々の間から差し込まれる太陽の光。
ざわざわと木の葉が掠れる音。
どこかで流れている川の流れる静かな音。
その全てが、俺にとって新しかった。
「ハルマ、もしかして森に入るのは初めて?」
「え、いや、そうじゃないけれど。どうしてそう思ったんだ?」
「なんだか目の前の景色に見入るっているように思えたから」
そうか、俺は見入っていたのか。
俺にとって、雨の降っていない森の景色は新鮮なものだったからな……。
「俺の生まれたところって、ここと同じくらい自然に溢れた場所でさ。小さい頃はよく森に遊びにいったんだよ」
「そういえば、ハルマの実家は田舎って言ってたもんね」
「でもさ、その時から魔法を無意識に発動していたからさ。森の中で駆け回ってる時も大雨が降って大変だったよ」
両親にはいつも大目玉を食らっていたけれど、幼いころの俺は自分の持つ力なんて考えもしなかった。雨とか晴れとか関係なしに、子供時代を楽しんでいた。
「危なくなかったの?」
「そりゃあ、危なかったさ。雨が酷いと小さな川でも氾濫したりするし。一番記憶に残ってるのは、あれだな。森の中で野犬に出くわしたときだ。怖くてしばらくの間は森には入れなかったよ」
たった一人で森の中にいるときに野犬と遭遇すると、マジで死を覚悟する。
しかも俺が遭遇したのは結構な大型犬だったから、一瞬狼かと思った。その時は猛烈な豪雨が俺の周りに降り注いだことで、犬はどこかに逃げていったんだが……思えば、あれは俺がこれ以上にない恐怖を抱いたからだったんだなと思う。
「ちょっと私も分かるかも」
「え、リオンもか?」
「私も今は平気で山菜とか採りに行けるけれど、一度だけ私と同じくらいの大きさの魔物と遭遇したことがあるんだ」
「え、大丈夫だったのか!?」
いくら彼女が小柄な方だといっても、それは人間基準でだ。野生動物が人間と同じ大きさだと考えたら、怖いってもんじゃない。
「フォレストホーンっていう鹿。光り輝く角、穢れのない澄んだ瞳、緑色の体毛を持っていて、森から森へ、大陸すらも渡る豊穣を司る化身とも言われてる魔物なの」
「……そ、それってそこらへんにいる魔物なのか?」
「正確には魔物かすら怪しいんだけどね。なにせ捕まえることすら叶わない存在だから」
思った以上にすごい存在と会ってた……!?
え、それって俺達の世界で言うツチノコとかカッパ並みにすごいやつなんじゃないか?
「見たのは七歳くらいの時だったから、本気で信じてくれたのは、お父さんとお母さんに、おじいちゃん。こっちに来た時にラングロンさんも話してみたら、彼も信じてくれた」
「まあ、あの人たちなら信じてくれるだろうなぁ」
むしろ、ラングロンさんとエリックさんなら『自分も見たかった!』と悔しがりそうだ。
「豊穣を象徴する魔物でもあるから、すっごく縁起がいいんだよ。特に農家の人達の間では、フォレストホーンに踏みしめられた畑や田んぼは豊穣が約束されるって言い伝えがあるし」
「へぇ、すごいな。俺も一度は見てみたいなぁ」
「機会があればハルマも見られるかもしれないよ。人生なにが起こるか分からないからね」
「ははっ、それもそうだな」
ああ、確かにリオンの言う通りだ。
何が起こるか分からないのが人生だ。
彼女と笑みを交わして前を向き直ると、視界の端に丁度良さそうな真っすぐな枝が二つ並んでいるのを見つける。
「これなら丁度良さそうだな」
長さも太さも申し分なし。少し曲がって入るけれど、そこはかとなくオシャレな感じもするから、これはこれでオッケー。
革製のホルダーに入れていたのこぎりを取り出し、できるだけ慎重に枝を切り落とした俺は、先ほど運んでいた枝と一緒に紐で縛って一纏めにして、肩に担ぐ。
「よし、じゃあ先に進もう。まだ山菜も採るんだろ?」
「え、私に付き合わなくてもいいよ、悪いし」
確かにリオン一人だけ森に置いていくことは心配だというのもあるが、それとは別の理由――。
「下手すりゃ帰り道を間違えて遭難しちゃうからな。俺が」
「……なんだか、ハルマって時々ドジだよね」
呆れてため息をついた彼女に苦笑いを返した俺は、うららかな日差しが降り注ぐ穏やかな森の中を歩いていくのだった。




