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「そう、なんですか……」
「あまり、驚かないね」
「なんとなく、分かっていました」
衝撃は少なかった。
心の底では分かっていたが、理解しようとしていなかったからだ。
外の景色を見たその時点で、俺がどこかも知らない遠い場所に来てしまったということを。
だけど、納得したわけじゃない。
「心当たりはあるだろう? 君は元の世界で常にあることに悩まされ続けた。本来、君のいる世界に存在するはずのない力……この場合、突然変異とでも言うべきなのかな? そのせいで君がこの世界に来てしまったと考えれば辻褄があう」
「まさか……」
エリックさんが言う、俺の持つ魔法。
俺は、その正体が分かってしまった。
「君は雨雲を作り出す『天候魔法』の使い手だ。その力を持つ者は、感情の高ぶりと共に雨を作り出してしまうと言われている」
「……」
雨雲を作り出す、魔法。
それじゃあ、今まで俺を苦しめ続けていた雨はみんな魔法のせいだっていうのか。
「君の世界では存在することのない力を生まれながらに持っていた君は、無意識にその力を発動していた。あくまで推測に過ぎないが、本来存在しない力を有していた君は、とうとう世界から弾かれ、この世界へ入り込んでしまったんだ」
異常だとは思っていた。
雨男なんていう渾名をつけられていたが、まさか本当に俺のせいで雨が降っているなんて考えたくなかった。
前向きなことが取り柄だが、それは目に見える現実から目を逸らしてきたからだ。
加えて、エリックさんの話を聞いた俺は、一つの結論を導き出した。
「異常な力を持っていた俺は元の世界にいるべきではなかった、ということですか?」
「恐らく、そうだろうね」
悲しげな表情を浮かべるエリックさんだが、俺は未だに現実を受け入れらなかった。
俺の持つ魔法のせいで、元の世界から弾かれ、今いる世界に流れ着いてしまった。
つまり、世界に弾かれてしまった俺は、帰ることすらできなくなったということだ。まるで胸の真ん中がぽっかりと空いたような喪失感に襲われる。
実家の両親は?
まだ連絡を取り合っている友人達は?
会社の同僚達は?
もう会うことがない人々を頭に思い浮かべ――とても、悲しくなった。
「……」
悲観に暮れた俺の手に誰かの手がのせられた。
冷たい手に、びくりと肩を震わせながら顔を上げると、無表情のリオンが俺をジッと見つめていた。
「え、なんだ?」
「最初に見つけた時も、手を握ったの。そうしたら、眠ってくれたから」
俺は子供か。
けど……まあ、いいか。
「沈んでいてもしょうがない、な」
現実から目をそらしても何にもならない。
どんなに絶望的な状況でも、前を向いていればきっと良いことがある。
それが、雨に見舞われてきた人生の中で、俺が見つけ出した教訓の一つだ。
むしろ、この状況で何をするべきかを考えよう。
「ありがとう、リオン」
「眠くなった?」
「ね、眠くなったというより、安心したかな」
「そう、良かった」
……やっぱりこの子はどこかズレてるな。
だけど、彼女の純真さに俺は元気を取り戻した。
俺はまだ生きている。
それだけで、希望ってものはあふれてくるものだ。
……そろそろ手を離してもらったほうがいいな。エリックさん、俺とリオンを見ているし。
目に力が籠もっているように見えるのは気のせいではないだろう。
最悪、孫娘に触れてキレる可能性も少なくはないのだ。
「……っ、リオン。優しい子に育ってくれて、私は幸せだぁ……ッ」
違ったわ。
祖父として孫の成長を見て、感激していただけだったわ。
「孫娘に触るなァ!」とか豹変しなくて良かったと思うべきか、先ほどの頼れるイメージが崩れてしまって残念と思うべきか。
……これも孫を想うが故、と納得しておこう。
気を取り直して、依然として感激しているエリックさんに声をかける。
「エリックさん」
「なにかね?」
「俺に、魔法の使い方を教えていただくことはできませんか?」
元の世界から弾かれてここに来てしまったということは、見方を変えればここが俺が本来いるべき世界とも考えられる。まずは、今まで無意識に発動してきた力を、自分のものにすることから始めよう。
俺の言葉に、エリックさんは柔らかな笑みを浮かべる。
「こう見えても、私は“北の大賢者”と呼ばれた魔法使いだ。君が私に教えを請うことを望むのなら、喜んで手を貸そう」
「ありがとうございます!」
了承してくれたエリックさんに、深く頭を下げる。
北の大賢者……実は凄い人に頼んでしまったのかもしれない。
「はっはっは、私も天候魔法の使い手を弟子に取るのは初めてだ。文献でしか知ることのなかった希少な魔法。どのように鍛えるか、想像するだけで楽しみでしょうがない」
雨を降らせる『天候魔法』。
この世界のこと。
分からないことは沢山あるけど、それは今から覚えていけばいいだけの話だ。
何事も最初の一歩が肝心。
この時、俺はその一歩を踏み出すことができたのだ。
「さて、手が止まっているぞ、ハルマ君。まずは食って体力をつけることから始めよう」
「ええ」
緊張して手つかずだった朝食を食べようと、スプーンを手に取る。
考えれば、気絶する前も結局夕食は食べずじまいだったから、四日ぶりの飯と言っても過言じゃないかもしれないな。
苦笑しながら、スプーンで掬ったスープを口に運ぶ。
口にいれた瞬間、ポテトスープのような舌触りとほどよい塩味が、口の中に広がり、自然と口角が上がる。
「美味い……!」
五臓六腑に染み渡るとはこういうことをいうのだろうか。素朴な塩味の中に確かな野菜の甘みがある。
久しぶりの飯ということを抜きにしても美味しかった。
今までコンビニ弁当だとか、不健康な食生活を送ってきた俺にとって、野菜を使った手作りのスープは、母の料理を思い出させるような懐かしいものであった。
スープに舌鼓を打った俺を見たリオンは、得意げな表情を浮かべた。
「私が作ったから当然」
「え、リオンが作ったのか。本当に美味いぞ」
「ふふ、ありがとう」
初めて表情を崩したリオンの表情は、年相応の可愛らしいものだった。
感情が乏しい子だと思っていたけど、どうやら違うようだ。
「……そうだ、ハルマ君。言い忘れていたことがあったんだ」
「何がですか?」
パンに齧り付こうとした俺に声をかけるエリックさん。
表情こそは笑顔だが、先ほどとは違いうすら寒いものを感じる。
「孫娘に手を出したら、ただじゃ済まさん」
「えぇ……」
飛び出した言葉に、軽く引く。
俺って、貴方にどういう風に見られているんだ。
そんなことをするつもりは絶対にないので、今のうちに断言させてもらおう。
後々の予防線にもなるだろうし。
「心配いりません! 年も全然違いますし、そういうことは絶対にありえません!」
「ありえない……」
しゅんと落ち込んだリオンに、瞳を鷹のように鋭くさせたエリックさんが立ち上がる。
「リオンが可愛くないと申すか貴様ァ!!」
「ええ!?」
温和さを放り投げて、激昂するエリックさん。
どう答えれば正解だったんだ、と思いリオンを見やると彼女は彼女でエリックさんを無視して、いつの間にかお替わりをしていたスープとパンを上機嫌に食べていた。
「は、はは」
そういえば、賑やかな食卓というのは、このようなものだったな。
今まで、一人寂しいアパートの中でコンビニ弁当ばっかり食べていたから、忘れていたよ。
久しく忘れていた懐かしい感情を思い起こしながら、俺は新たな世界で前へ進むことを始めるのだった。