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「旦那様、そろそろお時間です」
「ん? もうそんな時間か。時が過ぎるのは早いな」
執事さんの言葉で、今まで雑談を交わしていたラングロンさんは名残惜しそうな表情を浮かべた。
「悪いが、そろそろ屋敷に戻らなければならないのでな。今日はお前のことが知れて良かった」
「俺も、気にかけてくて本当にありがとうございます」
「はっはっは、これからも励めよ。ハルマ」
フランクに後ろ手を振って、執事とともに畑をあとにするラングロンさんに改めて一礼する。
ラングロンさんと会うことに恐々としていたが、話せて本当に良かった。
「……で、君は帰らないのか?」
「帰ってほしいの?」
隣で一緒にラングロンさんを見送ったノアに疑問を投げかける。
彼女は、フウロを抱えたままジト目でこちらを見上げた。
あまりにも自然すぎて、彼女がいることに疑問を持てなかったことが地味に恐ろしい。
「いやさ、流れ的にラングロンさんと一緒に帰ると思っていたんだけど」
「私は子供じゃないわ。事あるごとにお父様の後ろをついて回るなんて嫌よ」
ラングロンさんがガチ泣きしそうなことを言うな……。
「お父様、エリックさんと会った時みたいに喜んでたわね」
「さすがに、お互いに罵りあってないけどな」
「あれは、一種のコミュニケーションみたいなものだから……。でもいい大人が二人して罵りあうのは見ていて見苦しいけどね」
「ははは……」
リオンの言葉に苦笑する。
あれはあれで、喧嘩するほど仲がいいという言葉を表しているようなもんだからなぁ。まあ、互いの立場を気にしない信頼関係の表れとも言えるかもしれない。
「私、ちょっと安心しちゃった」
「何が?」
「貴方が、お金に目が眩むような人じゃなかったことに」
「……ラングロンさんとの話を聞いていたのか?」
「偶然聞こえちゃったのよー。ねぇ、フウロ」
「くぁー」
俺の相棒がノアに懐柔されてしまった。
驚くべきチョロさである。金髪少女の色香に騙されおってからに。
しかし、傍目から見て俺は金に目が眩むような守銭奴と思われていたのだろうか。だとしたら心外だ。俺ほど、この世界で金に無頓着な男はいないぞ、多分。
「なんで俺が金に目が眩むような人じゃなくてよかったんだよ」
「だって私、今まで楽しそうにアメヤサイを作ってたハルマを気に入っているから、ここにきているのよ? 貴方がお金目的でアメヤサイを作りはじめたら、私ここに来なくなると思うわ」
「……!」
不覚にも、気に入っていると言われ、年甲斐もなく嬉しくなってしまった。
僅かに顔に熱が籠もってしまう俺だが、そう発言した彼女自身はなんとも堂々としている。ここらへんからして、この娘は男らしすぎる。
「といっても金は必要だぞ? 俺だって、何もなしで食っていけるなんて考えてないからな」
「そこまで言ってないわよ。私が言いたいのは、お金だけを目的でアメヤサイを作るのは、なんだか……寂しいじゃない」
「それは……確かにな」
元の世界では、生活する為に働いていた。
そこに楽しさなんてものはない。
そんな世界で俺は、一種の諦めすらも抱いていた。
ああ、俺はこのままずっと働いてばかりの同じような日常を繰り返しながら生きていくのか、と。
そんな折に、この世界にきてしまった俺は、アメヤサイと出会い、野菜作りの楽しさを覚えた。
会社の歯車として働いていく灰色の日常とは違う、彩りに満ちた日常。
苦しさ、辛さ、痛みだってある。
だけど、それでもやり甲斐という今まで持ちえなかった感情を以て仕事に臨めることは、俺にとってなによりも素晴らしいことだと気付かされた。
それを改めて自覚した俺は、肩の力を抜いてノアに話しかけた。
「いいかノア。まず前提から間違っているぞ。俺は、この世界で金なんて儲けてもどう使っていいか分からん。だから、どんなに懐に金が入っても、ほぼ意味がない」
俺のその言葉に、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべた彼女は、おかしそうに肩を震わせた。
「……フフ、確かにそうね。ハルマがこの世界では世間知らずってことを忘れていたわ」
「世間知らずって……」
いや、世間知らずなんだろうけども。
くすくすと笑みを零しているノアに肩を落としていると、抱いていたフウロを地面に下ろした彼女は、アメキャベツが生い茂る畑に目を向ける。
「やっぱりここはいいわね」
「……そこまでよくはないと思うんだが」
アメヤサイという珍しいものは植えてはいるが、傍目はどこにでもある畑と、その隣に小さな一軒家があるだけだ。
ここのどこを見ていいなんて言葉が出るのだろうか。
「景色なんて関係ないわよ。私、自分が思っている以上に貴方達といるのを楽しんでいるの。最初こそは貴方を見張ろうって言っていたけど、摩訶不思議なアメヤサイの栽培を手伝うのも楽しいし、リオンも物静かだけど面白い子だし……それに、貴方もいるしね」
「俺?」
「貴方みたいに普通に接してくれる人ってすっごく貴重なの。村の人達は、やっぱり貴族の娘って線引きがあるから、どんなに言っても畏まられちゃうのよね」
敬語を外せと最初に言ってきたのは君のほうなんだが。
ま、村人達は、貴族の娘であるノアに、タメ口で話すことなんて口が裂けてもできないのだろう。
というより、俺も彼女に言わなければ今でも敬語を使っていた自信がある。
「だから、これからもここに足を運ぶわ」
「見張るためじゃなかったのか?」
「貴方を見張る必要なんてないのはもう分かりきっているじゃない。だから、ここに来る理由はとっくの昔に終わっているの」
それじゃあ、この娘が今までここに来てくれたのって……。
彼女の親切心に気付き少し感動してしまった俺は、内心の感情を表に出さないよう務める。
「ま、一人より二人だ。人手は多い方がいいから、俺としては大歓迎だよ」
「ふふ、そうさせてもらうわ」
嬉しそうにするノア。
そんな時、俺の足下にフウロが頭をすりつけてくる。
視線を向けると、畑の方に視線を向けるフウロ。
どうやら、降らせていた雨が弱くなってきたことを知らせてくれたらしい。
「そうだな。そろそろ作業を再開させるか」
「私も手伝うわよー」
雨が弱まってきた畑に追加の雨雲を放った俺は、ノアと共に毎日繰り返した農作業を始めるのだった。




