32
今の心境は、授業始まりに抜き打ちテストを言い渡された学生のような心境であった。
シャツに黒いズボンといったあまりにもラフな服装でやってきたラングロンさんの後ろには、依然屋敷で案内してもらった執事と、小さくこちらへ手を振っているノアの姿があった。
な、なぜに二週間の沈黙をぶち破って貴方が来るのですか、ラングロンさん……。
「はっはっはっ、すまない! ノアには俺から口止めさせておいた!」
「ごめんね、ハルマ」
てへっ、と掌を合わせて謝るノア。
悪戯っ子っぽい謝罪に、肩を落とした俺は自分でも分かるほどに震えた声を絞り出す。
「来るなら来るってちゃんと知らせてください……」
「それじゃ面白くないじゃないか」
しかも、故意という茶目っ気っぷり。
さすがは、破天荒を地でいく貴族だ。常識の枠すらも破壊している気さえある。
「いきなりどうして、報せもせずにここへ?」
「実のところ、お前の普段の姿を見ておきたくてな。少し離れた場所から見ていたんだ」
「え」
と、いうことは俺がアメキャベツを見てニヤニヤしているところを目撃されていたというのか?
なにそれ、すっごい恥ずかしいんですけど。
マジありえないんですけど。
一昔前の死語で愚痴ってしまうほどに混乱した俺に、エリックさんは感嘆とする。
「いやはや、物事にうちこむということは素晴らしいことだな。現に君のアメヤサイを育てるその表情は、まさにその道を往く者のそれだった」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
バンバンと背中を叩かれながら、そう言われる。
背を叩く力強さに頬が引き攣る。
これ、リオンとは違う感じで距離感がつかめないぞ。
エリックさんと話をして、できるだけ気張らないようにしようと務めていたが、変にフレンドリーすぎたら不快に思われてしまうかもしれない。
「ほほぅ、これが雨の天候魔法か! 自然現象すらも魔法で作り出してしまうとは……なんとも興味深い」
ズンズンと、擬音がつきそうな歩調で畑まで近づいたラングロンさんは、興味津々と言った目で畑に雨を降り注がせている雨雲を観察した。
「そして、これがアメヤサイ。一見普通のキャベツと変わらないように見えるが、この距離からでも他の野菜とは隔絶した香りが感じられるな」
ノア以上に食い入るようにアメキャベツを観察しているラングロンさんに、呆然としていると、楽しそうな笑みを浮かべたノアが俺の隣にやってくる。
「全く、お父様にも困ったものだわ。子供みたいにはしゃいじゃって」
本当に君とそっくりだ、とはあえて言わない。
苦笑いをして誤魔化しながら、畑を見回しているラングロンさんを見ていると、ノアの足下にフウロがやってきた。
どうやら、知っている顔がきたから寄ってきたようだ。
「あら、フウロ。貴方は今日もハルマの手伝い?」
「ワン!」
「そう、偉いわねー」
花の咲くような笑顔でフウロを持ち上げ、抱きしめるノア。
それに気付いたラングロンさんは、こちらに振り返り目を丸くしながらこちらへ近づいてくる。
「アメオオカミの子供か」
「この子がそうよ。とても大人しいわ」
「そうか……ふーむ」
「?」
ラングロンさんにフウロを見せるノア。
彼は、目を細めてフウロに顔を近づけ、じっと見つめる。
何をしているのだろうかと思い、声をかけようとすると、顔を引いたラングロンさんがにっこりと笑った。
「まさしく無害な生物だな。よし、改めて君がこの魔物を村に住まわせることを許可しよう」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
なんだか一目見て、安全と判断された上に、フウロを村に住まわせる許可をいただいてしまった。
……いいのか? こういうのって、なんか色々な手続きとかした方がいいんじゃないか?
「良かったわねー。これからは、周りを気にせずに村の中を歩き回れるわよー」
「ワン!」
当の一人と一匹はそんなこと意にも介さずに喜んでいる。
やはり、現代人的な許可申請! 書類作成! 認可! に慣れてしまっている俺がおかしいのか。
「……ノア、ハルマと話したいことがあるからしばらく二人きりにしてもらえないか?」
内心で、唸っていると、落ち着きを取り戻したラングロンさんがそんなことをいってきた。
その言葉に、俺と彼の顔を交互に見るノアだが、空気を読んだのかそのままフウロを連れていってしまった。
「アメヤサイが、俺の領地で栽培されることになるとはな。当主になってからこんなことが起きるなんて夢にも思わなかったぞ」
アメキャベツで一杯の畑を見渡したラングロンさんの言葉に、俺は妙な肩すかしをくらいながら返答する。
「出来上がったアメキャベツの一部はラングロンさんへ差し上げるつもりです」
アメキャベツは、ラングロンさんや村人達に分けようと考えていた。
元より、一個人で消費しきれる量ではない。自分たちの分、他の人に分け与える分、そして種をつくるもので分ければいいかなーなんて思っていた。
「いや、アメヤサイを要求したのではなく、お前の今後を心配していたんだ」
「俺の今後?」
「お前がアメヤサイの栽培を成功させたら、きっと王国の方は一種の混乱状態になるはずだ。なにせ、人の手で伝説にも等しい幻の野菜を育てた初めての人間になるからな」
……やっぱり、そうなってしまうのか。
考えがなかった訳じゃない。
俺の魔法でしか育てられない野菜を、育ててしまった。
しかもそれが遙か昔に絶滅したと言われるものだとしたら、その道の専門家が無視できるわけがない。
「それによって、多くの人々がお前に選択を強いるだろう。王国で研究に協力、アメヤサイで一儲け、最悪なのは能力に目をつけてお前を攫おうとする者も出るかもしれない」
攫う、と聞いて一瞬だけ体の芯が凍るように冷たくなった。
表情を強ばらせた俺に、続けてラングロンさんは言葉を紡ぐ。
「アメオオカミだってそうだ。今や生存する個体は、お前の元にいる一頭のみ。その希少性に悪人が気付けば、危険が降りかかる」
ノアと一緒にいるフウロに視線を向ける。
アメヤサイの栽培を成功させることは俺が予想していたものよりも、ずっと危険なものであった。
「俺はここを治める領主だが、お前に選択を強いるようなマネはしない。だが、お前が望むのならば、俺が後ろ盾になろう」
「ラングロンさんが……?」
「俺とて少しばかり名の知れた貴族だ。さすがに国王陛下のような雲の上の存在からの命令は無視できんが、お前を理不尽から守る程度のことはできる」
「願ってもない申し出ですが、それは……」
安易に、受けてしまってもいいのだろうか。
この場では口約束。されど、相手は貴族だ。なんら社会的地位のない俺が、考えなしに了承して、取り返しのつかないことになってしまったら、洒落にならない。
「その強ばった表情からして、俺がアメヤサイの利益を独占するかもしれないと疑っているようだが、俺は元より利益なんていらん。その生態には非常に興味があるがな。……いや、味も気になるな……失われた味と聞けば、嫌でも興味がそそる」
真面目に腕を組んだラングロンさんに肩すかしを食らいながら、この人への認識を大きく改める。
「アメヤサイの栽培に成功したら、お世話になります」
「もっとよく考えてもいいんだぞ? やり方さえ間違わなければ、お前は多くの富を得ることだってできるんだ」
「俺はお金の為にこれを育てているわけではありませんからね」
過ぎたるは身を滅ぼすという言葉があるとおりに、欲張りすぎると大変な目にあってしまう。
事実上、アメヤサイを育てられるのは俺一人しかいないから、商業展開なんてことに手を出してしまえば、アメヤサイの大量生産→人手不足→俺、超頑張る、という破滅の連鎖反応が起こってしまう。
それじゃあ、元の世界での社会人生活と同じようなものだ。
「今は、俺の好きなように野菜を作りたいです。恥ずかしい話、最初は本当になにも考えずに畑を作ってたんですよ? ただ魔法の練習にいいなーって感じで」
だけど、種を植え、土に触れていくうちに次第にそれは別の意思に変わっていった。
俺は、視界の畑を覆うように両手を広げ、ラングロンさんに笑みを向ける。
「アメキャベツの収穫、そして自分で育てたこいつを食べること! それが今の俺のやりたいことです」
俺の言葉にラングロンさんは、おかしそうに笑みを堪えた。
「なるほど、ははは、金銀よりも味を求めるか! 随分とまぁ、無欲な奴だ!」
「味は重要でしょう?」
「確かにそうだ! どんな食物も味が伴わなければ、美食たりえない!」
俺は立場の関係も忘れて、ラングロンさんと笑みを交わした。
「やはり先生が弟子にとった人間だ。変わっているにもほどがあるな」
俺は、ラングロンさんが口にした『先生』という言葉を聞き流さなかった。
かつての生徒と教え子、口ではいがみあってもやはり互いに信頼していることは一緒。それを知れて、妙に嬉しくなってしまった。
「一応、形式としてこちらからお願いしてもいいでしょうか?」
「別にそんな畏まらなくてもいいんだがな。嫌に形式を重視するんだな」
「大事なことですからね」
会社員時代は契約とかそういうのに、気を遣って生きてきたからね。
それに改めて、ラングロンさんにはきっちりとお願いしておきたい。
ゆっくりと息を吸って、ローブを正した俺は背を伸ばしてラングロンさんと向き合った。
「ケイ・ラングロン様。アメヤサイの栽培に成功した折には、後ろ盾として俺の身の保障をお願いします」
「ああ。その言葉、ラングロン家当主、ケイ・ラングロンが聞き入れた。アメヤサイの栽培に成功した暁は、政治的、商業的干渉からお前を守ることをここに約束しよう。アマミヤ・ハルマ」
互いに握手を交わす。
この人とは、これから長い付き合いになっていきそうな気がする。
なんとなくそんなことを思い、手を放そうとすると、突然ラングロンさんが手を握る力を強めた。
「しかしだな。ハルマ。つい今思い出したことなんだが……」
「ん? あ、あれ、ちょ、手が痛いのですが……」
「お前と娘が良い感じになっている……などという噂があるのだが、これはどういうことだ? いや、俺は怒ってはいない。ただ、父親としてのその辺の事情を把握しておきたいという――」
顔に影を作ってぶつぶつとそんなことを言っているラングロンさんに、ビビった俺は咄嗟に否定の言葉を口にする。
「そ、そそそそ、そんなことありません! 年齢的にもありえませんって!」
「ノアが可愛くないというのか貴様ァ!」
エリックさんと反応が一緒ォ!?
ギリギリと握りしめられる手に冷や汗をかきながら必死にラングロンさんを落ち着かせるように努める。
最早、一方的なワンハンドシェイクデスマッチに発展するところで、騒ぎに駆けつけたノアの「迷惑かけないでよ」という鶴の一声によって、落ち着きを取り戻した。
かなりのショックを受けながらノアに謝っているラングロンさんを見て「ああ、やっぱりそこもエリックさんと似てるんだ」などと考えて、思わず納得してしまうのだった。




