20
正体不明な卵の殻。
その存在は、村に少なくない影響を与えた。
森になにか得体のしれない生物が住んでいるかもしれない。
凶暴な生き物かもしれない。
今、森の入るのは危険。
そんな憶測が飛び交い、村の人々は不安を抱いている。
村を襲う未曾有の危機。
しかしそんな中でも、俺は変わらずに畑に雨を降らせていた。
「どんな生き物が出てこようとも、俺の日常は変わらず畑だ」
あの卵の殻をリオンが見つけてから三日が過ぎたが、俺だけは特に変わらずにいつも通りのアメキャベツを育てる日常を送っていた。
今日もエリックさんに魔法を付与してもらったローブに袖を通して、外に出る。
さすがというべきか、魔法のローブは軽く、そして暑さを感じさせない快適なものであった。
しかも、裾の長さもギリギリ地面に着かないほどなので、地面で引きずることなく普通に歩くことができる。
畑についたら、愛用している鍬を取り出して、掌に雨雲を作り出す。
「さーて、今日も頑張りますかっと」
三つの雨雲に命令を与え、畑に放る。
放たれた雨雲は、ゆるやかな曲線を描くように移動しアメキャベツに水を与えていく。
全てのアメキャベツに均等に雨が行き渡っていることを確認したら、フードを被って畑に足を踏み入れ、アメキャベツの様子を見る。
雨が着ているローブに降り注ぐが、風の魔法を付与されたローブは滑るように水を弾いていく。
「……見て分かるくらいに大きくなったな」
苗の状態から一回りほど大きくなったアメキャベツの葉を一つずつ確認し、虫がついていないかを確かめ、土の状態もチェックしておく。
……ん? 土がちょっと少ないな。雨で流れちゃったのか。
肩に担いだ鍬を用いて、アメキャベツが植えられている隣の地面を掘り返し、土の少ない部分を補う。
一日目は、どんな作業も苦行でしかなかったが、慣れれば楽しくなるな。
何より、このアメキャベツという作物を自分で育てている実感がある。
「余裕もでてきたし、畑を広げてみようかな」
アメキャベツは順調に育っていることだし、その後のことを考えて畑を広げてみるのも一つの手だ。
「――くぅん」
「ん?」
今、なにか聞こえたような。
周囲を見渡すが、何もない。
「……気のせいか」
やっぱり疲れてるのかな。
「ハルマ、来たよ。……どうしたの? そんなところで呆然として」
「ん? リオンか。いや、なんでもないよ」
リオンが来たようだ。
気を取り直して作業に戻ろう。
リオンにサボっているだなんて思われたくないし。
再度、しゃがみこんで作業に戻っていると、定位置に座ったリオンが声をかけてきた。
「そういえば、ハルマ。気をつけた方がいいかもしれないね」
「……なんでだ?」
リオンの言葉に首を傾げる。
「アメヤサイって、育つごとに野菜特有の甘い匂いを発するんだって。それに生き物は引き寄せられるらしいよ」
「それって、虫とかも?」
「虫とかは、ハルマの天候魔法でしっかりと管理すれば問題ないらしいんだけど、動物のほうはそうはいかないみたい」
ということは、これからは森からやってくる動物にも気を付けなければいけないわけだな。
「まぁ、ここらへんに住んでいる動物は、それほど大きくないから危険はないよ」
「猿とか出るのか?」
「少なくとも、私は見たことないかな」
元いた世界でもそうだが、野生の猿ほど厄介な野生生物はいないからな。
鹿とか猪とかも思い浮かぶが、大きく危険な生物はいないと言ってくれているので、気にしなくてもいいだろう。
「村の人達は柵を作って動物が入るのを防いでいるから、ハルマもやったほうがいいんじゃない?」
「へー、そうなのか。じゃあ、俺も柵を作ってみようかな」
確か、家の裏手に木材が積んであったな。それに、釘も金槌もある。
それを使って簡単な柵を作ってみるか、今の時間から作り始めれば暗くなる前には完成するだろ。
「そうと決まれば、早速取りかかるか」
気分は日曜大工。
先ほど聞こえた鳴き声のことを思考の隅に追いやりながら、上機嫌に木材を取りに行くのだった。
――この時、俺は楽観視していたのだろう。
所詮、動物だからそこまでの執念はないだろう、と。
柵を越えられないと分かれば、すぐに帰るだろう、と。
だが、俺は分かっていなかった。
アメヤサイという至上の野菜が持つ魔性の香りと旨さ。
そして、それに引き寄せられる暴走した草食動物の恐ろしさを。
翌日、俺はそれを思い知らされた。
なぜならば、頑丈に作ったはずの柵が見事になぎ倒されていたのだから。




