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アメヤサイの栽培は案外簡単なんて言った奴は誰だ……!
いや、俺だけどさ、今の状況を考えればそれがどれだけ愚かな思考だったと理解させられる。
「なんだこの、並行作業の嵐はぁ……! 頭が沸騰して死ぬぞこれぇ……!」
種を植えてからの七日間は、まさしく地獄の一週間といっても過言ではなかっただろう。
「ふぅぅぅ……」
雨雲の維持。
土が流れていないか、苗が雨で倒れてしまっていないかの確認。
これらをほぼ同時に長時間、しかも自身が作った雨に打たれながらやらなくてはいけないのが、かなりきつい。
土と苗についての作業は、見方によれば他愛のないものと思えるが、実際はかなり重要なものだ。なにせ雨というものは土を潤すだけではなく、土を流してしまうものでもあるからだ。
土が流れてしまえば、栄養を吸収する苗の根が露出し、成長が妨げられてしまう。
苗が雨の重みに耐えられず倒れてしまうようなことがあれば、しっかりと作物が実らなくなってしまう。
あとは単純に、雨を降らせ続けなくてはいけないことだ。
朝に四時間、昼に三時間、そして夕方に四時間の計十一時間。インターバルを置いてはいるが、そのスケジュールはあまりにも苛烈だ。
というより、これが一番きつい。
しかも俺はこれら全ての作業を平行して行わなければならないため頭をフル回転させながら事に当たらなければいけない。
畑の中、雨に打たれながらその出力を調整し、苗が倒れないような柔らかい雨を降らせる。
そして、その雨によって土が流されないようにスコップで調整していくこと。
「そして、地味にきついのは……」
腰へのダメージが大きいことだ。
雨を防ぐために急ごしらえで準備した麻布で作った雨合羽を被りながら背を伸ばすと、ビキビキと腰から形容できない音が鳴る。
「三〇歳で、とうとう腰痛持ちになってしまいそうだ……。くそぉ、俺に回復系の魔法があれば、腰の痛みなんて気にせず行動していられるのになぁ」
疲労もなにもかもを全て治して、行動し続ける。
疲れと闘う社会人からしてみれば、まさに最高の魔法だろう。エリックさんも多少の回復魔法は扱えるらしいが、本当の適性を持つ者はもっと一瞬で疲労すらも回復し尽くしてしまうらしい。
「ははは、高望みしても仕方ねーか……」
というより、雨合羽が全然機能してくれなくて、逆に笑える。
多少の雨は弾いてくれるが、やはり全身は雨でびしょ濡れになってしまうな。
「服が蒸れて暑い……なんだこれ、生き地獄かなにか? もう、やばい、やばいぃ、やばすぎて、やばいぃ……」
あまりの辛さに語彙力が低下してしまう。
しかも、今日は一人での作業だから、ただの独り言で悪態をついているようなものだ。
俺がまともでいる為に、話し相手が欲しい。
「お、やっているなぁ。ハルマ君」
泣き言を言いながら作業を再開しようとすると、畑のある場所にエリックさんがやってきた。
とりあえず雨の降り注ぐ畑から出て、エリックさんに挨拶をする。
「こんにちは、エリックさん。ここに来るなんて珍しいですね」
「はっはっは、君がどのように作業をしているか、一目でいいから見ておこうと思ってね。しかし……大変そうだ」
「ええ、すっっごく大変です」
「そ、そうか……」
麻布を頭から被り、ずぶ濡れの俺を見てそう言ったエリックさんに、笑顔を変えずにそう言い放つ。
「というより、まず魔法と畑を平行してやるのがかなり難しいですね……」
「ふむ」
未だに畑に雨を降らせている雨雲に近づく、エリックさん。
ジッと雨雲を見つめていたが、十秒ほどするとこちらへ振り返る。
「ハルマ君。君は魔法で雨雲を作るとき、どのようなイメージで作っているのかな?」
「イメージ? そりゃあ……俺の魔力を中心にして雨雲を形作るようにする……感じですね」
全部、俺の魔力で作るとなればかなりの魔力を消費してしまうので、空気中の魔力と水分の取り込むようなイメージで雨雲を作っている。
でも、それがどうしたのだろうか?
「魔法は、本人の感情、意思に強く影響される……これは覚えているかな?」
「ええ、最初に習ったことですから」
だからこそ俺は、感情の昂ぶりによって無意識に雨を降らしていた。
魔法の扱い方を心得ている今になっては、かなり自分のものにできてはいるが……どうして、今それを?
「ハルマ君。想像力によって魔法はどこまでも成長する。確固たる想像力の元で作り出された魔法は、たとえ、自身から切り離した魔法にさえも命令を刻み込むことができる」
「……えーと」
「簡単に言えば、魔法に意思を書き込むことができれば、いちいち操作せずとも勝手に動いてくれるようになるということだ」
……。
そういうことはもっと早く教えてくれませんか!?
「もっと早く教えてくれ、と言いたげな表情をしているが、魔法に動きを与えるというのは非常に難しい技術でね、術者の想像力が重要になってくるんだ」
「ですが、できれば今の作業がもっと楽になると……?」
「うむ、そうだね。試しにやってみようか」
そう言うやいなや、エリックさんは掌につむじ風のようなものを魔力で作り出した。
数秒ほど、瞳を瞑った彼が竜巻を地面に放る。
すると、竜巻はまるで意思を持っているかのように、くるくると俺の右脚を回るようにその場で動き出した。
「わわっ」
驚きのあまり、後ずさりしてしまうが、それでも子犬のようについてくる。
当のエリックさんは瞳を瞑っているので、目で操作するのは無理なはずだ。
「すげぇ……」
「これが魔法に命令を刻み込むこと。今、私が魔法に下した命令は『私が許すまで、ハルマ君の右足を回り続ける』というものだ」
パチンとエリックさんが指を鳴らすと、竜巻は消える。
「やろうと思えば、もっと複雑な命令ができるけど、その分難易度も高くなる」
「なるほど……」
ようはプログラムみたいなものだな。
あらかじめ行動を設定しておけば、いちいち調整するなんていう手間もかけずに済む。
「行動を指定できるなら、こんな馬鹿でかい雨雲をわざわざ作る必要もないな……」
そうと決まれば、早速試してみるか。
畑の上の大きな雨雲を消し去り、手元に三〇センチほどの大きさの雨雲を作り出す。
「ん? ハルマ君? ははは、まさかいきなりなんて――」
「えーと、始点は掌でいいか。効果範囲及び行動指定、目測二〇メートルを往復。速度、時速二キロ。降水量、二ミリ……ってとこか、後は――」
「へ? へ?」
イメージが重要なら、雨を降らせる場所と範囲を注視し、それを言葉で表す。
勿論、速度だとか降水量とか言ってみてはいるが、その通りになるとは思っていない。
あくまで重要なのは、俺の与えた命令がどの程度反映されるかが、問題だ。
強く、深く、すり込むように意識を集中して魔力にすり込む。
「ハ、ハルマ君……?」
呆然としているエリックさんの声を聞きながら、閉じていた瞳を開く。
掌の上には相変わらず魔力で形作った雨雲が停滞していた。
「よし、できた……か、どうかは分からないが、とりあえず放ってみるか」
頭から被っていた麻布を脱ぎ捨てて、畑の一番端の列に雨雲を置くように放す。
「どうだ……?」
掌から離れ、一回り大きく膨張した雨雲。
しかし、そこから迷うように蠢くだけで、動かない。
「だ、駄目か?」
諦めかけた時、おどおどと控えめな動きと共に、小さな雨雲は前へ進み始める。
「おお――!」
「う、うそん……」
イメージとは違ってかなり遅いが、ちゃんと進んでくれている。
三〇秒ほどかけて、畑の二〇メートル先の反対側にまで移動した雨雲は、俺のイメージ通りの場所で止まり、雨を降らせながらそのまま引き返し、元の道を進んでいく。
「おおぉ!! これ、すごいですね! エリックさん!!」
「私としては、君があっさりとできたことに、驚いているんだが……え? よほど明確なイメージが出来上がっていたの? それとも、彼と天候魔法の親和性はそれほどまでに高かったと言うことか? どちらにしても尋常じゃないぞこれは……才能溢れすぎじゃねぇ?」
エリックさんは考えに耽っているようだけど、これは本当に革新的な技術だ!
これと同じ方法で雨雲を五つ作れば、かなり簡略化できるぞ!
「ハルマ君。ハルマ君」
「はい! なんでしょうか、エリックさん!」
これもそれもエリックさんのおかげだ。
やっぱりこの人は、頼れる人だ。頭が上がらないとはまさにこのことだ。
「君、私の弟子にならない?」
「? ……ははは、なに言っているんですか。俺はもう貴方の弟子じゃないですか」
「いや、そうじゃなくてな。大賢者の後を継ぐ的な……」
「さーて、なんだかやる気が出てきたぞー!」
「……まあ、いいか」
ん? エリックさんが何かを言ったような……気のせいか。
とりあえず、同じような手順で雨雲を作っていく―――が、どうしてか四つめの雨雲には命令が機能しなかった。
どこかで、間違えたのか? と思って、もう一度試してみてもできない。
「今のハルマ君では、三つが限界ということだね。こればかりは、数をこなして慣れていくしかない」
「そう、ですか……」
「なーに、心配はいらないよ。君なら、数をこなして慣れていけば、命令を下せる数も増えるさ。幸い、ここは君にとって最高の訓練する環境でもあるしね」
「……そうですよね。最初からうまくやろうだなんて甘い考えはもっちゃいけないですよね! 日々精進あるのみ! 経過を以てして結果はついてくる! 何事も積み重ねにあぁる!」
小さい頃に見た映画『ベストキッド』だってそうだった。
あの主人公だって、最後まで師匠を信じて頑張っていた。なら俺も、魔法の師匠であるエリックさんを信じて、前に進み続けるしかない。
「ちょっと焚き付けすぎたかな? まあ、元気なのはいいことだけど……。あ、そうだ、ハルマ君」
「よし、まずは想像力と工夫で補って……はい? なんでしょう?」
三つ作れる雨雲で、いかに畑全体に雨を降らせていけるかを考えていると、エリックさんが声をかけてきた。
「君の服装のことなんだけど、やっぱりそれじゃ不自由だよね?」
「え? ええ、まあ……ずぶ濡れですしね……」
先程までに雨に打たれに打たれまくって、濡れていない部分がないほどにびしょ濡れだ。
「それじゃあ、ハルマ君、明日、お金をあげるから村の仕立屋で、ローブを買ってきなさい」
「……はい?」
いや、そんなお使いを頼むみたいな気軽さで頼むには、あまりにもハードなんですけど。




