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雨男、雨女という言葉がある。
何か計画を立てても、その日になると決まって雨に見舞われてしまう人のことをそう呼ぶ。
そういうものは決まって、当人の思い込みが原因なのだが……俺の場合は思い込みだとか、そういう生易しいものではなかった。
俺、雨宮晴真の人生には常に雨がつきまとっていた。
小学生の時も、中学生の時も、高校生、大学生の時も行事がある度に雨が降り注いだ。俺が晴れの日に運動会や遠足に参加したことなんて一度もないし、就職したあとも変わらず雨に見舞われ続けた。
そんな俺に”雨男”という渾名がつけられるのは、当然だった。
最初にそう呼ばれたのは、小学四年生の頃。遠足が四年連続の雨で延期となった時だった。
当時のクラスメートも、きっと悪ふざけでそんなことを言ったのだろうが、当時十歳の俺にとってはとてもショックなことで『そんなことを言われるなら、遠足なんていかない!』といって、遠足を仮病でサボってやった。
ただの子供の癇癪だった。
雨男は俺じゃない。それを分かって欲しかった。
だけど、運命はどこまでも残酷で――、
遠足の日は普通に晴れてしまったでござる。
晴れて俺は“雨男”という渾名が決定してしまった。
実のところ、薄々気付いてはいたのだ。
あれ? もしかして俺のせいで雨が降っている? って。
勿論、無駄に前向きだった俺は行事の日に何度も仮病を繰り返して雨が降るかどうか検証したが、結果は同じ、どう足掻いても俺が休んだ日に限って晴れる。
最早、これは呪いだ。
俺には、大事の時に雨が降る呪いがかかっている。
楽しみなことを前にしてワクワクしているときも、悲しいときも、緊張しているときも、天気予報にない雨が俺の頭上から降り注いでくる。
どうして俺だけ。
どうして普通に行事に参加できない。
どうして……雨男なんて呼ばれなくちゃいけないんだ。
ずっとそれを考え続けていた。
だが悲しいかな、年を重ねていくうちにそんな自分の特性に折り合いをつけていき、順調に就職を果たした俺は、実家から遠く離れた都会でフツーの営業マンとして日々身を粉にして働いていた。
「今日も疲れたなぁ」
仕事を終え、コンビニ弁当の入った袋を持ちアパートへの帰路を歩く。
時刻は既に夜の二十二時、帰り道に人気はなく、街灯に照らされた道が目の前に広がっている。
「俺も、とうとう三十路か……」
就職してから八年。
社会の苦い部分だけを知ってきた俺は、精神的にかなりスレていた。
最初こそは、都会で働きたい! と若いなりに闘志を燃やしていたが、社会の荒波に揉まれ、あえなく鎮火してしまった訳である。
気付けば、これといった出会いのないまま三十路に突入してしまったが、これから先もこれまでと同じ毎日が続くと考えれば考えるほど、悲しくなってくる。
「……父さんと母さん、元気にしてるかなぁ」
たまにしか連絡を取らない実家の両親のことを頭に思い浮かべる。
農家である両親は、毎日のように畑仕事に明け暮れていた。俺は、そんな両親の姿を小さい頃から見て、いつしか『こんな土臭い仕事なんてやりたくない!』と思うようになっていた。
そんな生意気なことを考えながら都会の大学へ入学し、就職したが、今となっては楽しそうに仕事ができる両親のことが羨ましいと思っていた。
自分の好きなことをやろうとしているつもりだった俺は、あまりにも理想とかけ離れた現実を目の当たりにしてしまったのだ。
正直に言おう。
人生舐めてた。
社会も舐めてた。
今は、浅はかだった自分に滅茶苦茶自己嫌悪している。
「あぁ、人生ままならないよなぁ……」
雨男と呼ばれ続けて。
自業自得で自分の人生に絶望して。
俺の人生は、暗雲に包まれてばかりだ。
内からこみ上げる感情に、暗い気持ちになっていると、俺の鼻先に冷たい何かが落ちた。
「……あー、はいはい。分かってますよ」
数えるのも億劫なほど同じ経験をしている俺は、すぐに鞄の中に入れてある黒い折り畳み傘を開く。
俺の予想通りに、次の瞬間にはポツポツと雨が降り始めた。
月も見えない空を傘の下から見上げた俺は、唇を歪ませる。
「やっぱり、晴真って名前は皮肉だよなぁ……」
名前をつけてくれた両親には申し訳ないが、雨男な俺に晴真という名前は皮肉でしかない。
だから、俺は自分の名前が嫌いだ。
親がどんな想いを込めてこの名前をつけたとしても、俺自身が自分の名前を受け入れることができない。
雨が強くなり、傘を握る手に力が籠もる。
「今日は、いつにも増して強いな」
風はないが、ポツポツと傘を打っていた雨が、今やボツボツというやや重い音を響かせていた。
雨が強いせいか、心なしか目眩がする。
「風邪でも引いたかな……?」
それとも仕事のし過ぎか?
どちらにせよ、体調が悪くなっていることは確かだ。
早く帰って飯食って風呂入って寝よう、と傘を肩で支えながら歩き出そうとする――が、不意に足に力が入らなくなる。
「……は? え、なん――」
自分の体に起きている異常を理解できずに、崩れ落ちるようにその場で倒れてしまった。
地面に鞄と弁当の入った袋、最後に傘がぱたりと落ちる。
まるで、何かに固定されたかのように体が動かない。
視界は、景色そのものが歪んで見える。
「これは、やばい、かも……」
気付かないうちに無理をしていたのかもしれない。
雨が俺の体を叩くように打ち付けられる。
雨に苦しめられてきた人生を送ってきた俺は、雨の中で死ぬのか。
皮肉どころか、最低で最悪な最後だ。
雨にばっかり見舞われて、結局どうしてそんな呪いじみた体質を持って生まれた理由も分からずじまい。
視界に映る景色がグルグルと歪み、暗くなっていく。
もう、助からないと悟った俺は、涙混じりに声を震わせる。
「あ、あぁ……次に、次に生まれ変わるなら――」
――自分の名前が好きになれるような人生を送りたかった。
そこで俺の視界はブツリと切れて真っ暗になった。
ひたすらに雨に打ち付けられ冷えていく体、死を受け入れ瞳を閉じようとすると、突然の浮遊感が俺の体を襲った。
「ぅわ!?」
その浮遊感も柄の間、バシャリと俺の体が地面に叩きつけられた。
相変わらず、俺の体には雨が叩きつけられているが、地面から受ける感触は自分が倒れたコンクリートの感触とは違ったものだった。
「……ぅ」
それに伴い視力が元に戻り、最初に目に入ったのは、茶色い土の地面。
……俺、なんで土の上に寝ているんだ?
朦朧とする意識のままかろうじて顔を上げると、周囲の景色は俺の知っているものとはかけ離れたものであった。
「……!?」
そこは、自分がいた都会とは違った自然の中。
コンクリートの地面も、街灯も存在しない世界。
自身に起こった出来事に混乱していると、倒れている俺の目の前に一人の少女がいることに気付く。
頭をフードですっぽりと覆った少女。
――また意識が朦朧としてきた。
「く、ぁ……」
俺は、かろうじて動かせた手を少女へと伸ばした。
助けてくれ、という声も出せない俺は、ただ少女を見上げることしかできなかった。
俺の手を見た少女は、手に持っていた籠のようなものを地面へ下ろし、こちらへ駈け寄ると、雨に濡れることも厭わず被っているフードを外し、俺の手を両手で握りしめた。
「―――」
不自然さを感じさせない、綺麗な灰色の髪の少女。
今まで見たこともない髪色だが、そんなことが気にならないほどに安心しきった俺は、意識を保てずそのまま気を失ってしまった。