カンナの花言葉
デジャブだ。
いつかと似たような気分を味わった。
そう、あの夏の終わりにあったあの出来事と同じような。
何処からか虫の鳴く声が聞こえて、そして薄暗く見える風景は、夕焼けの赤色と、少し淀んだ色が混ざった秋の空。
そしてその上には決まって俺がいた。
俺の顔が目の前にあった。
そして困り果てたようなその心配している顔は、俺の物であって、俺ではない。
秋桜がいた。
俺はぼんやりとしている眼を開けた。
寝ていたのか?どこで?
見ると、見慣れない個室の天井があった。
そしてそこがどこであるかを確認する前に、少年と少女が抱き着いてきた。
確認しなくても分かる。秋桜とかんなだった。
「悠っ!」
「悠介!」
俺は夏なのに分厚い掛布団をかけていて、そしてその上へと、掛布団へ埋もれるように二人は飛びついてくる。
「「ばかっ」」
二人は嗚咽して、息がろくにできないような声が重なった。
そして俺はまた、二人が双子である事を気づかされる。
俺は、頭に敷いている大きな枕をするすると動かして、そして力を込めて起き上がろうとする。
二人が重くて、それどころかじゃなかった。
「秋桜、かんな…」
二人はまだ布団に顔を押し付けたままで、顔をこちらに向けようとしない。
やっとのことで俺は起き上がることができ、そして少し右肩が痛むことに気が付いた。
(そうか…)
今の今まで寝ていた俺は、あの事が実は夢ではないのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
右肩にはしっかりと包帯が巻かれていて、そして今俺は病院に居ることがわかった。
二人の名前を呼ぶと、二人は顔をゆっくりと起して、俺の方を向いてきた。
目にはいっぱいの涙を溜めていた。
さっきまで顔を預けていた布団には少し涙でシミができている。
「ごめん…」情けない声だった。
「ゆるさない…」秋桜は俺の声でそう言った。
今にも泣き崩れそうなその表情は、俺の胸にずきずきと打撃を打った。
それに対して、かんなは何も言わなかった。俺の方を向いたあと、かんなは俺から眼を反らし、そして何も言わなかった。
かんなの表情からは、何を言いたいという事がはっきりわかった。お得意のポーカーフェイスが崩れていた。
俺はやっと、頭が正常に回り始めた。
「今、何日の何時?」俺はあたりを見渡す。
秋桜が俺のベッドの隣の、机に置いてある時計を見て言った。
「九月三日、六時四十九分」
とすると、俺が犯人を捕まえようとして…。
「ええ?俺、約一時何くらいしか気絶してなかったってこと?」
「うん、たいした怪我じゃなかったって」
「そっか…」
たいした怪我じゃない…か。
俺はまたあたりを見渡した。そしてかんなの方を見ても、やはりかんなは顔を背けたままだった。
「ねぇ、悠…」
秋桜は、心配そうな趣で俺の顔を覗く。
俺は秋桜の方を見た。
未だに姿が変わらない俺の顔を見た。
俺は秋桜に言わなければいけないことが山ほどある。言っても言い切れない程ある。
それでも、俺は大事なものを失いたくはないから…。
何を言っているのかわからなくていい。自分が今したい事をしなければならないと自分で思うのだ。
「秋桜…」俺は下を向いたまま、目の前の真っ白いシミのついた掛布団を見て呼びかけた。
「なに?」
そして秋桜の方を向いた。
俺がその時どんな眼をしていたのかわからない。それでも、それに呼応して返してくる秋桜の眼を見れば今自分が迷いなく生きている眼をしていることがわかった。
「少しだけ、時間が欲しい。かんなと話がしたい」
そう言った。
「えっ?」声を出したのは秋桜ではない、かんなだった。
一瞬の事で顔をこちらに向けた。その顔は、驚きの顔というより、何かにおびえているようにも見えた。
そして秋桜は、
「うん、わかった」と言って、そしてそれ以上何も言わずに立ち上がる。
かんなは何が何だかわからない様子で、動けない様だった。
バタン。秋桜は少し広いこの病室を出て行き。
そして俺とかんな二人だけになった。
「どうして?」かんなは訊ねる。相変わらず眼をこちらに向けてくれなかった。
「今、かんな病室から出て行こうとしただろ」
かんなは何もかも見透かされたような顔をして、俺を見つめた。
秋桜の眼とは違う、何かに迷っている顔だった。
「俺と、秋桜が二人で話せるように、部屋を出て行こうとしただろ」
俺は心が痛んだ。かんなに話す一言一言に棘があった。自分でもわかっている。
「…んで」
唇を震わせて、かんなは口を開いた。
「なんで?」
「それは俺が聞きたい」
かんなを見つめる俺の視線は決してずらさなかった。
女子の顔をしていながらその圧力をかけた視線に耐えかねたのか、かんなは徐々に視線を俺と合わせようとして、やがて、かんなは俺を見た。
その瞬間、かんなはまた視線を外して、こう言った。
「言いたい事があるんだったら言ってよ」
本人は強がっているつもりでも、俺はそんなかんなの気持ちが嫌というほど見据えていた。
「それは俺のセリフだ」
「ずるいよ!さっきから同じように返しているだけじゃない!なんでよ、なんで何も言ってくれないのよ」
かんなは、また透明な宝石のような液体を、頬に伝わせ、そして顔をこっちに向けて、怒鳴りつけた。
「じゃあ、俺も一つ聞いていいか? なんで、かんなは昨日、一人で帰ったんだ」
そう言うと、かんなは、肩をびくんと震わせて、そしてまた俯く。
「そ、それは…楽器屋に行くって」
「俺も、秋桜も馬鹿じゃないんだ。昨日かんなが楽器屋に行っていないことだって、知ってるし、なんでなのかも大体察しがついている」
「そ…」
「なに?」
「それは…」
かんなは言葉に詰まる。言い返せることなんてないのだ。
「さっきなんで、俺が同じことしか返せないって、聞いたよね。それは、俺はかんなが聞いてくることには全部答えられるから、なにも言わないのは、かんなに言ってほしい言葉があるから」
「何が言いたいのか全然わからない…」
かんなは座っている膝の上で力強く手を握り締めているのが見えた。
「悠介が何を言いたいか全然わからない。ただ、ただ私は…」
腕をまっすぐにのばして、そして肩を震わせていた。
「私は、悠介と、秋桜に幸せになってほしいだけ!私は悠介の事が全然、何とも思っていないし、けれど大切な家族だとは思ってる。けれど、けれど、秋桜は違うから!あの子は言葉にしないだけで、それでも私は分かっているから、私は…」
「私は?」
「……」
「自分を犠牲にしてもいいと思ってる」
「うっ」
「だから、俺と秋桜に気を使って、自分は別に帰ろうとした。自分は秋桜と俺から離れて、別でいようとした。そうだよな」
「だから、だからなによ。悠介だって、自分犠牲にしようとして、こんな風になってるじゃん」
「かんな、朝顔の花言葉って知ってるか?」
「何、急に…」かんなは見えないように、向こうを向いて、両腕で泪をふいた。
「友情、愛着、固い約束、愛情の絆、そして儚い恋」
「だから」
「朝顔には別名があって、東雲草っていうんだ」
「東雲草…」
「何か運命みたいのを感じないか?考えても見てよ、朝顔がなんで東雲草なんて知っている人がいないし、俺にはなんでそんな風に言うのかもわからない。けれど、何かそこに運命みたいのを感じるんだ。俺はつい一か月ちょっと前まで、横山って苗字だったんだよ、それが、こんな花言葉を持つ花、草と同じ苗字を持った。だから俺はこの花言葉を大事にしたいんだ」
「……」
「言いたいことは分かるか?かんなには間違えないでほしい。俺も、秋桜も、母さんも、伸仁さんも、そしてかんなも、皆、東雲を持っているんだ。さっき言ってくれたよね、俺の事全然何とも思ってないけど、大切な家族だと思ってるって」
「思ってるでしょ」かんなは今までのかんなではなかった。
駄々をこねる子供の様だった。
「本当に思っているのか、かんなは、昨日みたいな接し方が、家族だと思っているのか?」
「思ってるって言ってんじゃん!」かんなは怒鳴る。ここは病室なのに…。
「あと、これも教えてもらったんだ。カンナの花言葉って知ってるか?」
「それくらいは…」
「言ってみ」
「何、急に」
「いいから」
「永続、情熱、堅実な未来…」
「そう、まさにその通りだと思う。かんなにぴったりだ」
「何が言いたいの?」
「かんなは頭が良い。何より人付き合いがうまい。そして情熱を持ってる」
「何教師っぽい事言ってんの?」
「俺は一生かんなとは家族なんだ。それは揺るがない。揺るぐことなんかない。永久に永続に俺はかんなの家族で、きょうだいだ」
「だから何?」
「俺はそれを崩したくない」
「………」
かんなの眼が点になった。一瞬何を言われたのかわからないというような顔をした。
「俺は何よりも、それを壊したくない。東雲草の持つ花言葉の意味も、そしてかんながかんなであり続ける限り、かんなにはカンナの持つ花言葉の意味を持っていてもらいたい。俺は俺の理想を押し付ける。けれど、かんなの理想は受け取れない。俺と、秋桜が幸せになれるように。それはかんなの本当の理想じゃないって分かってるから、俺は、俺の理想『俺も、秋桜も、そしてかんなが幸せでいられる』そんな理想をかんなに押し付ける。俺はそれが言いたい」
「…なんでよ」
「……」
「じゃあなんで、悠介は、わざわざ不審者に立ち向かったの?それが悠介の理想通りの物だったの?悠介が犠牲になって、悠介が傷ついてもいいものなの?」
「だったら」
「だったら?」
「だったら、俺達に遠慮するなよ。俺は、本当に自分は馬鹿な事をしたって分かっているし、本当にかんなにも申し訳ないことをした。だけど、逆切れをさせてくれ、かんなが、かんなが俺達に遠慮をして欲しくないんだ。もちろんそれは俺の所為でもある。けれど、そんなのは間違っている。家族だから、俺たちは東雲だから」
もう何が言いたいのかわからなくなってきた。迷いがある訳じゃない。けれど、かんなに分かってほしいという思いが絡まって、それで、言葉が詰まってしまう。
結局俺は、ただの高校生だ。一介の高校生だ。
「だから、俺はかんなの味方であり続けたいと思ったんだ」
そう言って、沈黙になった。
静かになってみると分かる。病室とは思っていたよりも静かな場所なんだ。
たぶん、今の話は全て秋桜に筒抜けだろう。
秋桜はどう思っているのかな。秋桜と同じ気持ちを持っていたら、俺は嬉しいと思う。
そしてその気持ちをかんなももってくれたら、と思う。
辺りはもう真っ暗だった。外ではやはり絶えず虫が鳴いている。
「わかった」子供のような幼い声が帰ってきた。
「えっ?」
それがかんなの物だと知ると余計驚いた。
「時間がかかるかもしれないけど、努力するよ」
なんでだろ。
なんで、俺が涙出してるんだろ。
頬に液体が伝わるのが感じられる。
なぜかわからなかった。
それでも、かんなの顔を見ると、止まるどころか、溢れる程涙が出てくる。
「ちょっと、悠介?」かんなが、覗くように、俺を見る。
かんなってこんな顔してたっけ。まるで幼い子供の様に見える。
今まで自分より、精神年齢が上だと思っていたのに、なぜか、どうしても妹のように可愛く見えてしまう。
「ごめん、大丈夫。少し緊張が取れて」
嘘ではなかった。かんなと話すことが、どれだけ辛かったのか、自分でも測れない。
今まで逃げていたのかもしれない。他人より心が読みにくいかんなだから、秋桜と話すよりも奥手だったのかもしれない。
それでも、もうそんな心配はなくなった。その気のゆるみで涙が出ているのだ。
「じゃあ、私、飲み物でも買ってくるね」
かんなはどうしようもなさそうにしていた末に、病室を出て行った。
後は俺一人で泣いていた。
そして涙を流しきった後に、ドアが開いたのかと思うと、
俺が立っていた。
秋桜が立っていた。




