プロローグ、昔の俺と今の私。
アットホームラブコメ書かせていただきます。
秋の候には考え事が多くなる。
秋の寂寥感が俺を恣意的にそうさせているのかもしれない。
この歳の頃となって考え始めた事を言おう。
この俺、横山悠介が考える人生観についてだ。
この俺、横山悠介が考える人生観というのは、実につまらなく現実味が溢れんばかり、
という程、一般人とかわらない。
春から高校生という「青春」という響きに多少の憧れを持つものだが、中学の時に、些か患ってしまった「厨二病」という誰にも襲いかかる優越感に浸る自分はもうとっくにいないので、「憧れ」を持っていたとしても「期待」はしないのだ。
そして今一応として高校生である俺が考える事は、まだ浅はかなものであるが、自分の人生未来予想図という物をもう考えてあるのだ。
春から入学した高校を出て、そこそこの大学に入って学業に勤しみ、そして一般の企業へ就職する。そうしたら、まぁ、どこでもいい、世間的に素敵な出会いをして、結婚する。もちろんそうしたら妻と子供を大切にするのだろう。
以上だ。そんな感じで今は不景気だとか、そう細かい事を気にせず、悠々閑々と生きるのが俺の未来予想図であり、もう本当にそうなってしまってもよいと思う程、実は浅はかではなく、真面目なのだ。
まだ人生の5分の1程度しか生きていない俺が、なぜ既にこんなにも面白味にかける想像によって人生を創造しているのか?
というと、実はこれには事情があるのだ。
少し昔の話をしよう。
産まれたときから、俺には家族と呼べる人間、存在が母親の一人しかいなかった。
母は就いている仕事が忙しく、小さい頃からでも必然と家にはほとんど俺一人しか居なく、つまらなく流れる時間、日々を悠々自適のように過ごしてきた。
それが理由だ、まぎれもない事実だった。
だから俺は普通の家族を望んだ、憧れを持った、期待をした。
しかし、今現在、また最近になって考えるのだが、この俺、東雲秋桜(悠介)の人生観は、天地がひっくり返ったように一変してしまった。
なぜかと言うと、今、現在進行形で「俺」という一人称を使っておきながらも、自分が高校一年生の女子の身体となっている状態を深く、そして真面目に考えてしまうからだ。
そしてまた、それがなぜそのような現実味が無く、ましては滑稽にも思われる容態になるという状況にあるのか、なんて聞かれても答えようがない。逆に自分が困ってしまう。
1つだけ言える事があるとするならば、これは、偶然の偶然による、偶然からの産物によったものであるから仕方がない!と断定形でしか言うことが出来ない。
もう1つだけ補足説明をするとしたら、俺は、同じ姓を持ち、1つ同じ屋根の下で暮らしている俺の体の正体、義理のきょうだいであり双子である内の一人と、身体と中身(精神)が入れ替わる、といった、何かと急展開なSF的現象が起こってしまっているのだ。
これらの事がフィクションの本、ラノベやマンガ、もしくは映像といった類であるなら、それは一向に構わない。
いや、そうであってほしい。そうであってくれ。
しかし、俺の願望、程なく打ち砕かれ、これはフィクションでも嘘でもなんでもなく、紛れもなく現実世界でおこってしまった事なのだ。
こんにちは、1週間ぶりです。
水無月旬です。
先日、活動報告でつぶやかせていただいたように、新しいものを書き始めました。
ヒロインの名前は、申し訳ございません、わけあって『恋い焦がれる愉快犯』の登場人物東雲秋桜という人物に設定させていただきました。ストーリーは全く関係ありませんのでお気を付けください。
最初はまず自己啓発文のようになってしまいました。
実はこれが私が小説を書き始めようとしたとき中学生3年で書いた文章です。
いかにも中学生ぽいと思います。
若いなりに頑張りたいと思います。
次回からもお楽しみに。