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みたまおと  作者: tomoya
第3話 接触
8/30

 九角亘博士は愛知県にある研究所から出張で京都へやってきた。今回の研究成果を学会で発表するためだ。演題は採択されたが、当日は反駁されるだろうと心配そうな顔で朝から緊張気味だ。前日から京都入りしていたが、ほとんど眠れなかったらしい。

 くせのある黒髪はやや長い。手入れしていないように見えるが、彼自身は高度なおしゃれをしているようで、ぐしゃぐしゃになっている髪にはよい香りのする整髪料が丁寧につけられている。左手指に大きさのあっている結婚指輪がはまっている。眼鏡を磨く布を丁寧に折りたたんでポケットに入れる。ひげは生えているが毎日整えているように見える。見た目より神経質そうな男性だった。

「昨日は京都の街を案内できずに申し訳ない」

「いいえ、我々は楽しみましたから……それより、今朝は何も食べられないみたいですが、緊張されているんですか」

「ええ」

 昨夜は約束通り十九時にホテル内のロビーで待ち合わせたが、発表の準備があると言って博士とはすぐに別れてしまった。今朝はさらに顔色が悪い。

「今回のデータだから緊張するというわけではないんです。いつもこんな感じで……何年やっても人前に立つことは慣れなくて」

 朝食会場には学会に出る関係者も多いようだ。博士は神経質そうな手つきで、フルーツを二つつまんだら、席を立った。

 ティエンはあわてて食事を止めて、立ち上がったが、ランカは口に目玉焼きを入れているところだった。知らん顔で目を閉じて、無礼な男の存在を無視する。博士は片手をあげて、ティエンを制した。彼は「少しだけ、庭を歩いてきます」と言って、立ち去った。

 ホテルの向かいに公道を挟んで池がある。ホテルの周囲には、気晴らしに歩ける場所というとそこしかない。ここは国際会館という名の建物はあるが、人里離れた山間の僻地だ。京都の中心街までは地下鉄で二十分以上かかる。

 博士を見送って、ティエンが再び席に着いた。

「大丈夫かな」

 彼でなくても、その言葉を言いたくなるだろう。ランカは「大丈夫だったから今の地位なんでしょ」と軽く答えた。いずれにせよ、神経質な九角博士から情報を取り出せるのは、学会発表が終わってからだ。表向き学会会場内に関係者以外の立ち入りはできないが、侵入することは可能だ。博士とは午後の発表が終わった後、国際会館の中庭に面したロビーで待ち合わせることになった。

 食事を終えると、ランカは「マイキーたちに定時連絡」と言いながら席を立った。ティエンはタバコの箱を片手で振って、ホテルの従業員の傍へ向かう。

 彼が喫煙所に案内される姿を見ながら、携帯電話をかけ始めた。

 サンフランシスコとの時差は十七時間。日本が朝七時なら、向こうは深夜の零時だ。しかし、ランカがかけた時、マイキーは「今自宅」と言いながら出てくれた。

「やあ、日本の鳥人はどう?」

「ティエンが、天狗はジャパニーズ天使だと言ってたわ」

「はっはー、あいつはエンジェルが好きだからな。今、ノってるところ?」

「まあ、そうね。九角博士に接触したけど、学会の後でないと話せないみたいよ」

「あ、そう。日本の夜景を送ってくれただろ? 舞妓ダンサーはいいから、もっと薄暗い場所を撮ってきて。ホラーに使えそうな場所」

「本当に写ったらどうする?」

「面白いんじゃない? 日本は仏閣を撮ると罰されるのか?」

「そういう場所もあったね。確認しながら撮ってみる」

 できたら、霊的な光の存在を撮って、と言いながら、彼は電話を切った。いつも調子の良い無理難題を言ってくれる。彼との電話が切れた後、そのままの体勢で別の場所にかけた。指先で操作して、コール先を選ぶ。

 日本との時差は約十二時間。そちらは夜の十九時。

 相手はワンコールで出た。

「要件は」

 端的だ。ヨハンは時間を惜しむ男だった。誰からの電話なのかを改めて述べる必要もない。彼は確認してから出ているはず。ランカは気を引き締めて声を出した。

「今、日本にいるの。新人類と思われるDNAを解析した研究者と接触した」

「日本は危険だ。ブラジルで君と接触した組織が、潜入している可能性がある。君の正体を追っている。あの後、日本の大使館に調査依頼が入った」

「昨日から違和感があって、連絡したの。そのDNA情報は彼らも欲しがると思う。彼らの情報が欲しい」

「もっと早く連絡しろ。日本のどこだ?」

「京都よ」

「現地時刻で今日の午後二十二時に、連絡する」

 すぐに切れた。時間を逆算して、彼が日本に来ることがわかった。ランカは表情が変わらないように意識しながら、電話機を耳から離した。視線を感じて、周囲を見たら、ティエンと目があった。彼はタバコをくわえたまま、ランカを見ていた。ランカはその視線から逃げるようにして背を向ける。

 ヨハンとは離婚調停中だ。社会的な情報を頭に入れ直し、どんな顔であったらいいのかを考えてみる。彼との夫婦生活に愛があったことなんてない。しかし、特別な感情がないと言えば嘘になる。こういう時、彼ほど頼りになる人物はいない。そして、彼はいつもその期待に応えてくれた男だ。

 諜報活動には、協力者がいる。世界中に彼を助ける草の人間がいるに違いない。彼と偽りの結婚生活を送る別の女性もいただろう。

 いつまで偽りの生活が続くのか。

 何のために生きているのか。

 いつか、心の底から「お前が必要だ」と言ってくれる人に出会うだろうか。出会えたとしても、その人に同じ言葉を返せるような生き方を選べるのだろうか。

「旦那に電話していただろ?」

 ティエンが傍に来て声をかけた。かすかに煙の匂いがする。彼がタバコを吸った直後の匂いは嫌いだ。ランカは顔をそむけて「悪い?」と開き直る。

 彼はそれ以上何も言えなくなったようで、口を尖らせて不快感を示していた。

 恋人同士でもないのに、そんな顔をされるとおかしくなる。ランカはティエンの唇を引っ張って「観光に行こう」と誘った。彼は不承不承ついてくる。

 エントランスで九角博士とすれ違う。彼は大慌てで走り過ぎ「ティエンさん、ランカさん、午後に会場で会いましょう!」と叫びながらエレベーターの中に消えた。

 ティエンはタクシーに乗り込みながら「午後っていつだよ」とうめいていた。ランカは「発表の後すぐってことでしょ」と淡々と答えて、彼の後に続く。



 二人が向かった場所は、京都北部に存在するもう一つの霊峰、比叡山だ。日本に存在する最大の湖、琵琶湖と京都を隔てる立地にあり、鞍馬山よりも標高は高い。山頂は二つあり、大比叡八四八メートル、四明ヶ岳八三九メートルとそれほど高い山ではない。冬季には凍結するため、ドライブウェイは不通だが、山頂へは京都府の八瀬と滋賀県の坂本からケーブルカーが通じている。

 開けた印象のある聖地だ。

「天狗がいるようには見えねーっ!」

「初夏にはバラが咲くそうよ」

「似合わないね。いや、クリスチャン的には萌えるけど」

 ケーブルカーを降りた天頂部に雪のイングリッシュガーデンが広がる。ここは観光地だ。冬季は営業していないようだが、周囲を見下ろすにはよい展望台がある。

 京都は山に囲まれた都会だ。

 冬の澄み切った大気で遠方までよく見える。京都の街並みが西に連なり、南方にははるかに高い標高の山々が続く。まるで霞の上にもう一つの空の大陸が存在するように。日本には目に見える土地だけでなく、霊的に複層の世界が連なっていると言われれば、その場で納得できそうな光景だった。水彩画のように淡い山のシルエットが空に浮かぶ。裾はぼやけて見えない。

 それは日本に存在する最大の半島だ。紀伊半島には最高峰一九一五メートルの仏経ヶ岳、大峰山、山上ヶ岳がそびえ、雄大な森の中を伊勢路や熊野街道のような参詣路が走っている。あの盛り上がった山々の向こうに那智の滝があり、アメリカへ続く太平洋へつながっている。

「こうしてみると日本はちっちぇーな」

「そんなことは世界地図でわかるじゃない」

「ランカは日本のどこで生まれた?」

「生まれはロサンジェルス、母の実家は横浜」

「ねえ、横浜にも中華街があるでしょ。ガイドブックに載ってた」

 天狗は昔、山の民だと考えられていた。修験道を行く山伏がそのイメージに影響するようになったのは中世以降のこと。それから、鼻が高く、鳥のようなくちばしと羽翼を持ち、修験者の衣服を着て、錫杖と扇を持ち、背の高い下駄をはく姿が定着した。

 民間伝承では、人をさらい、大木を倒し、投石し、姿を見せずに哄笑するという。

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