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この本堂の前にある広場には、エネルギーの湧き出る石「金剛床」がある。円の中心に埋められたその三角形の小石の傍を通ると、ランカは微かに耳鳴りを感じた。
奥の院へ向かうティエンの後について、寝殿の奥にある登り口へ向かう。その小さな門の奥から冷気が漏れていた。何者かの視線を感じる。この空間にはたくさんの眼がある。
周囲を囲む背の高い針葉樹林。樹林の狭間を駆け抜ける風。それは何者かの言葉のようにも聞こえてくる。不意に、ランカは名を呼ばれたような気がした。大気中に存在する臭気。イメージがわいた……この場所を立ち去れ、と。
――警告。汝、この先に立ち入るべからず。
冠雪を眺めていたら、足がジンジンと痛みを増した。骨にしみる。
「寒いね……戻ろうか。クヅノ博士から、天狗の噂を聞こう」
ティエンは立ち止まっている彼女の傍に戻ってきた。ランカを促して、周囲の写真を数枚撮らせるとその場所をさっさと立ち去った。
鞍馬山の周囲は山で囲まれている。いや、京都の北部は山だ。これは中国から取り入れた風水の影響で北部に山を置くようにしたからだという。鞍馬山が海底火山の隆起から生成されたのは二億六〇〇〇万年前だという。それまでは海だったのだろう。
天狗がどんな生物なのかはわからない。だが、この山の周囲にいたというなら、どのあたりでカメラに収めることができるだろう。鞍馬天狗と呼ばれた生物はまだ棲息しているのか。それとも、古の噂が現代の何者かの姿を語って彩られただけに過ぎないのか。
ランカはノートパソコンで天狗に関する情報を調べていた。なぜ、あの山で身体に危機を感じたのだろう。あの山にはどんな危険があるのか。調べてみると本堂から先の参道は義経が天狗と修業をしたという由来の場所と六五〇万年前に金星から来たと言われる魔王をまつった奥の院があることがわかった。警告される意味がわからない。その場所は昔から観光地で一般の参拝客の出入りを禁じてはいなかった。
ランカ自身に天の御使いが警告したのだろうか。彼女自身に迫る危険があるというのだろうか。ランカは天使にまつわる事件で自分に降りかかる災厄を考えてみた。すぐに思い浮かんだのは、ブラジルでの一件だ。彼らはランカを追って日本へ来ていないだろうか。天狗のDNA解析というニュースは彼らにとっても無視できない情報だろう。
マイキーが英語で書かれたサイトの情報を、二人あてにメールで送ってきた。現地の言葉を翻訳してまとめた空想動物好きの情報提供者がいる。そのアドレスに連絡を取って、元ネタを紹介してもらい、日本語のサイトと文献情報を知る。
「南にも天狗がいる。太平洋側に那智という場所があって、そこに天狗の伝説があるみたい。那智の山から、内陸へ行くとクマノという場所があって……根の国……根の国って何だろう……それを信仰する楽土……極楽浄土っていうのは、天国の意味だから……」
翻訳ソフトを使いながらランカが声を上げる。
ティエンが京都の市街地図を調べながら、答えた。
「日本はあちこちで山岳信仰が盛んだったんだろ? 鞍馬山だけじゃないってことだろ」
「いずれにしても、天狗は霊的な存在だね。天国に近い場所にいて、羽をもってる生き物だ」
「ジャパニーズ天使だな」
二人は作業を続けながら、にんまり笑った。