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二〇〇二年一二月 アメリカ合衆国 サンフランシスコ
記憶を取り出すという研究は眉唾の科学として有名だ。実用化されつつあると聞いても、なお、嘘くさいサイキックの匂いがする。
「脳内画像の解析度はそれほどよくないな」
ティエンの研究所で、ランカは頭に微小電極を取り付けたままあくびをしていた。彼のお手製ブレインインターフェースで頭から無数のコードが伸びている。
築五十年以上と言われる雑居ビルの三階に彼の住宅兼研究所がある。アンティーク好きの彼が親類から譲り受けた古い雑貨で全体的に黄ばんだ印象のある部屋だ。そこに最新のコンピューターとモニターが六台ずつ据えつけられている。そのうちの一つにランカの脳波が映し出され、もう一つにモノクロの不鮮明な画像があった。
今、ティエンはランカの脳から発生する微弱電流を変換し、白黒の画像にしている。彼女が見た記憶を取り出そうとしているのだ。彼は大学で大脳生理学を修め、研究員資格を持っている。本職は科学分野のジャーナリストで、助言をしてくれる相棒なのだが。
世界中で頻発している天使の目撃情報を二人で追っていた。
カメラで写真を撮ることもあったが、ティエンが始めたのは、人の記憶を外部に取り出すことだ。天使とは全く違うものを、人は天使と見間違えるのではないか。
「だけど、その証明のための技術が眉唾じゃあ、しょうがない」
「こら、しゃべるなよ。頭頂部に電流がノイズで入っちゃうだろ」
こっちの分野は彼の趣味だ。仕事の方はきちんとフィルムで仕上げて、編集に持ち込んだ後の話である。
彼は眠っている間だけサイキックを発揮するが、目覚めたらほとんどの記憶を忘れているので付き合いやすい。テレポテーションについての情報は全く記憶に残っていなかったし、ランカの夢から彼女の記憶を覗いたことも忘れている。現実社会での彼は、もっと大量の情報処理をしているのだから、起きたとたんに流れていく情報に脳が忙殺されていても仕方がない。そして、それらの記憶は夜に寝ているとき、真っ先に長期記憶として定着する。ランカとの交流で見た夢なんて、優先度の低い記憶順位なのだ。
ランカは彼の思念を読み取ろうとしたが、かつてほどうまくいかない。彼から流れてくる情報のほとんどは、現在に関することと、手を触れている間に高揚している彼女への思いで占められている。
ランカは呆れた顔で話し続けた。
「あのさ、技術的な話をすると」
「こらこら」
「後頭部に電極を入れて、刺激をすれば目を閉じていても何か光刺激を認知することはできるよね。逆もありだ。目から入ってきた信号を電極から読み取ることができるだろう。でもね、海馬の位置は脳幹部だから、ぐるっと、こう、ほら、脳をさ、ぐるっと中に入ってるわけよ。ねえ、頭の表層部から直接そっちの」
「あー、もー、ノイズだらけだ、くそ!」
ティエンが白衣を羽織った姿で、頭をかきむしったら、扉を叩く音がした。ランカとティエンは二人で振り返る。
雑誌編集者のマイキーが吹き出しそうな顔で立っていた。彼はグローバルサイエンス社に勤めている。その出版社が出している「ニューエイジ」という科学雑誌を編集していた。科学と言いつつも、オカルトめいた話題や迷信を取り扱う眉唾の科学である。彼とティエンは出身大学が同じで、古い仲間だ。
彼は人畜無害そうな人好きする笑みを浮かべ、中に入ってきた。
「お邪魔だったかな?」
ティエンは腕を組んだまま、彼を中に手招いて笑う。
ランカも立ち上がろうとしたが、片手で彼に頭を押さえられ、座っているように無言で指示された。彼女はため息をついて、椅子に座りなおす。
マイキーはもっていた茶封筒をティエンに渡しながら続けた。
「新しいパスフィルターの開発はノイズ処理が大変そうだね」
「うん、コンセプトから考え直すべきかな。海馬は脳のど真ん中にあるんだ。取り出すのは容易じゃない。頭皮から得られる情報は、全て彼女の髪の毛に邪魔される」
「ははは! 今度は坊主頭でやってみろ」
髪の毛なんかノイズのうちに入らない。二人のジョークをランカは白けた顔で聞き流した。二人が大笑いしている横で、ランカは片手を伸ばし、ティエンから茶封筒を引き抜いた。中を覗いて、新しい依頼の内容を知る。
ランカは封筒の中から出てきた新聞記事を見て「天狗?」と聞いた。
マイキーは笑いを収めて頷いた。
「日本にそういう生物がいるらしい。背中に鳥の羽が生えて、長い鼻をもっている……天狗を見たという人間がいる」
「確かな情報なの? 確かに日本には天狗の話があるけれど、それは民間伝承で、本当のところは山伏のことと言われてるわ」
「ヤマブシ?」
「山で修業をする修験僧のこと。特異な能力を開発し、超人的な体力で飛躍をするから、背中に羽があると言われたけれど、実際に羽があるわけではないわ」
マイキーは困った顔でソファに腰かけた。ティエンも息抜きがてら、彼にコーヒーを沸かしてもてなし始めた。
革製の古いアンティーク調のソファに座ったマイキーはランカに話しかけた。
「最近、アジアはいいな、と思っていたんだ。中国や日本でこの手の話を探していたら、ちょうどいいものが出てきたから『不思議の国JAPAN!』というタイトルで、表紙もジャパニーズな感じで」
「流行りものに手を出したね。ミレニアムはどうしたの? 天使の予言については、あんなに騒いだのに」
「もうすぐ二〇〇三年だよ? ミレニアムなんて古いさ。天使の写真もそれほど売れなくなってきたんだ。アニミズムで、羽のある異国の怪物を撮った方が面白いじゃないか」
マイキーは羽に魅せられた編集者だ。
ティエンがコーヒー豆をミルに入れ、挽きながら答えた。
「聖母マリア出現事件は結局、追跡取材を行わないのかい? 世紀末に世界中で天使が出現した理由は? 俺たちが撮っていた写真は結局どうでもいい偽物扱いで終わるのか。それとも、その中には本物のメッセージがあったのか」
彼は真面目な男なのだろう。だが、マイキーはそこまで真面目な男ではない。羽の大好きな異端編集者は深刻そうな顔で腕を組んでいるが、出てきた言葉は現実的だ。
「あのね、ティエン、売れないんだ、それ」
「はあ……俺はたまにマイキーのそういう態度が気に食わないよ。夢を追えよ。世界を救えよ。日本の天狗が世界の何を語るというんだ?」
「日本の未来は語るかも。小さい国だけど世界に影響を与えているでしょ。ほら、スポンサーがいるからさあ、僕たちの仕事は」
ランカは予想通りの結末に、声を押し殺して笑った。ティエンはカップを人数分用意しつつ、ランカを見て「もう降りていいよ」と声をかけた。ランカは配線をつないだまま、席から立ち上がって、ソファに座る。
彼女はマイキーの前に茶封筒を滑らせて返した。
「日本の化け物を写真に収めるのは難しいよ? ほとんどが日本人の精神世界の中で生み出された空想動物なのに」
「どうしてそう決めつけるのかな。君はもう少しロマンを持てよ……言っただろ? 僕たちにはスポンサーがいるんだって」
マイキーは上着の奥から名刺を出して、机の上に置いた。
何の変哲もない白い紙に書かれたカードだ。そこには日本人の名前が載っている。知らない名前だ。所属は、日本霊長類研究所、遺伝子解析部門 室長、とある。
学術的な所属名に、ティエンの顔色が少し変わった。依頼主が研究者なら、一定の評価は得られるだろう。天狗のミイラでも分析するのだろうか。その研究結果と写真を数点。
ランカとティエンは取材の段取りが頭に浮かんで、真顔に変わる。今度の取材は比較的安全で、得るものもありそうだ。さらに異国でのバカンスも味わえる、かもしれない。
二人の様子を見て、マイキーはほっとした顔になった。彼は言う。
「今度の鳥人は確実に空を飛ぶ。しかも、人の言葉を話す……いや、よくわからないけれど、人と意思疎通ができる、と言っていた。その遺伝子を解析したというんだ。うちで取り上げてほしいと言われた。分析者本人がまだ信じていないみたいなんだが」
「何よ? もう大方のストーリーはできてるの? つまらない取材じゃない」
「まあまあ、話は最後まで聞けよ。その遺伝子は人間じゃない」
最初、そんなことは当たり前だ、と思ったが、次の瞬間、頭が混乱した。人間ではないものが、人と意思疎通をできる、それも言葉を話す……空を飛ぶ……それは何者なのか。いや、その前に、遺伝子解析できるほどの確たる物証を残している生物なのだ。