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みたまおと  作者: tomoya
第10話 転写
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 予感がした。

 彼はペルルブランシュを見つけたかもしれない。チップの解析を終えて、真っ先に連絡をしてくれたに違いない、と。

「もしもし」

「あ、ランカ? まだ起きてた?」

「こっちはサンフランシスコよ……チップの件をマイキーから聞いたわ」

「そう。マイクロチップは奇跡的に生きてるよ。日本は偽物の観葉植物を飾ってるんだね。俺は気が付かな」

「余計な話はいいから!」

 気が焦って大きな声になってしまった。彼女は「写ってた?」と繰り返した。

 ティエンが電話の向こうで一瞬沈黙した後で答えた。

「チップの中に残っていたデータを全て君に送るよ。俺はよくわからないっていうか……ランカにしては珍しい手ブレ」

 ランカは再びコンピューターの前に座って、メールの到着を待った。

 あの時構えていたカメラは何だったか。シャッタースピードも絞りもオート設定にして、とにかくレンズを被写体に向けていた。

 メールの到着を待っている間に、彼女は憂鬱な気分になった。撮れているだろうか。

「はい、データを添付して送りましたよ」

 ティエンの声と同時にデスクトップ画面にメールの着信を知らせる点滅が入った。メールをクリックする時、指先にかすかな痛みが走る。

 忘れていたものを思い出した。

 メールを開いた瞬間、画面から風が吹いたような気がした。ランカは息を止めて周囲を見た。霊的に空間がつながった。こんな風にして飛んでくるのだ。あれが向こうからやってきたように感じられた。しばらく周囲を見て、異常を確認するが、あの生物の香りはしない。

 耳元でティエンが「どう?」と確認する声がした。

 ランカは書斎の中に異常がないことを確認してから、再び画面に向き合った。

 メールは既に開かれている。ティエンが画像を添付したという文章を書いている。添付書類は画像が三つ。ランカはそれらをクリックして画像を見た。

「最初の一枚は手ブレだろ? 真っ白い何かが写っているようにも見えるけど、露出がおかしいんじゃないか」

「今見てるよ……真っ白だ」

 あの時、使ったカメラはCCDカメラだっただろうか。画面はモノクロ、いや、ほとんど白い闇だ。靄のような影が灰白色のグラデーションで写っている。何かが写っていることは間違いない。だが、手ブレにしては変な画だ。

 ランカは画像処理用のソフトを起動して、画像を拡大した。ぼやけた影が糸のような筋を作って、大きく画面を横切っている。

「カラー……ではないな。持って行った高感度フィルムはカラーリバーサルだったはず」

 呟いた直後にランカは苦笑いする。この画像はフィルムではない。チップの中に入っていたことを思い出した。赤外線を利用したCCDカメラ画像だ。モノクロだからと言って色がなかったかどうかは不明だ。

 画像処理ソフトでレベル補正をかけて薄い影に隠れている形を浮かび上がらせる。デジタルデータにフィルタをかけて、別の色をつけて浮かび上がらせる。

 形はうまく撮れていない。何かが流れて消えている。

 彼女は二枚目の画像を開いた。似たような絵だったが、白い闇の奥に階段が見えた。

 ランカは目を開いてその背景を見る。

 カメラの前に、白く映る何かが横切っている。あの時、ランカは何もいない空間にレンズを向けたはずだった。レンズはとらえている……ランカは直感的にそれを確信した。

 二枚目の画像にフィルタをかけて、影の形を浮かび上がらせた。ゆがんだ影が左下から上部を覆っているのがわかる。それ以上の形は判別できない。白い闇の向こうには、ぼやけて見える階段がある。ピントがずれているものの、ぶれはない。

 彼女は自信を取り戻して、口を開いた。

「ティエン、これは、ぶれじゃない。白い何かが横切ってる」

「何が横切った? くしゃみしたとか」

「気の利かない冗談を言ってくれるね。あたしはあいつをとらえてる。プロとして使える画ではないけどね」

 光が入射して乱反射した可能性はあるか。チップ内のデータが変質した可能性はあるか。どんな物理的な現象がこれを説明できるだろうか。

 ランカは三枚目の画像を見た。

 階段の上から差し込む光の姿が写っていた。階段の前にも上にも何もいない。これは普通の写真だ。しかし、このとき屋外は既に日が落ちて夕闇が広がっていたはずだ。屋内に入り込む光の存在は何を示すだろうか。二枚目の写真と最後の写真を見比べて、ランカは頬杖をついた。

 写っているのに、撮り逃がした……彼女は悔しそうに口を尖らせて、事実を睨みつけていた。声に出すのが悔しいらしく、彼女はそのまましばらく黙っていた。

 電話の奥でティエンがため息交じりにあくびをして「そろそろ寝るよ」と呟いた。彼は最後にお決まりの台詞で「君とファランの夢を見たい」と言って、キスをしていた。耳元で切れた電信音をそのままに、ランカはイライラした顔で画面を見つめる。

 廊下から遠慮がちにマイキーの声がした。

「ランカ? どうだった? 入ってもいいのか」

 彼の声で現実に戻ると、ランカは大きく背伸びしながら、マイキーを招き入れた。マイキーは書斎に入って、ランカの傍にやってきた。コンピューターの中にある二枚の画を穴のあくほど近くで見つめてから、口を開いた。

「んー……真実を追うものは幾度もこういう感情を味わうよなあ」

 のんびりした口調でそう言った後、彼は少しうれしそうな顔で「何か羽っぽいものが写ってるねえ」と続けた。ランカはその瞬間、肩の力が抜けて笑顔が戻った。

 ランカは席を立ち、彼に声をかける。

「ティエンが戻ったら、三年前の記憶を呼び出して脳内を見てみようか。あたしはあいつの姿をまだ覚えているかな? 白い毛の生えた天使だったよ」

「本当か! どんな特集を組めば天使の記事を載せられるかな。ティエンはまだ脳と記憶の研究をやってる? 次号は『宇宙人来訪!』というテーマでやろうと思ってるんだけど、宇宙人は人の視覚で認知できるかできないか、という科学記事を」

「ティエンが戻ったら、そういう提案をしてみて」

 ランカは途中で彼の話を切り上げて笑った。

 居間に戻ったランカの前を懐かしい香りが横切ったような気がした。彼女は微かに予感がした。胸が小さく「とくん」と鳴る。

 ファランは居間の中心で夢中になって画を描き続けていた。

 黒い影のようなカオナシには羽が描かれてあった。大きな六枚の羽を持った丸いせむしのような生物が大きな白い卵を抱えているように見える。ランカが傍に行くと、ファランは顔をあげて彼女に部屋の隅を指差した。

 その場所には鏡があった。中には何も映っていない。彼女は記憶の底からある言葉を思い出した。

 クヅノ博士はあの生物を「白い真珠」と名付けた。その理由は何だったのだろう。彼はこんなことを言っていたはずだ。

『ペルルブランシュ・ニューラルジアはチンパンジーとは別の系統樹で生き抜いた爬虫類だ。彼らは卵を生んで繁殖する』

 彼らは二四対四八個の染色体を持つ生物。チンパンジーと同じ染色体の数だ。博士は夢うつつの中で、チンパンジーの遺伝子を解析しただろうか。ならば、彼はなぜ、ペルルブランシュ、と名付けたのだろう。チンパンジーは決して卵を産まない。

 この世界には、卵からかえった天使がいたのかもしれない。博士はいつ彼らの存在に気づいたのだろう。もしかしたら、彼は卵の頃から育てて、知っていたのかもしれない。その生物の生態を。

 ランカは息子の画を見ながら考えていた。その卵をどこかで見たことがあるような気がする。

 ファランは彼女の手を握り、天使のような優しい笑顔を見せる。彼女は息子の手を握り、彼の青い目を見つめ返した。天使のような青い目はどこか懐かしい気がした。日本の香りを思い出す。



 二〇〇五年二月一三日 ファティマに聖母が出現して以降、第三の予言を守り続けてきた聖女が天に召された。

 同年、二月三日にはイラクで暫定政権が誕生していた。二〇〇三年三月の開戦以降、ルシアが天に召された二月一三日までにこの地で亡くなった米国軍の死者の数は千四百人を超える。二〇〇五年の時点ではイラクから多国籍軍はまだ撤退しておらず、アメリカのみならず、イギリスなど多国籍軍の兵士が集っていた。かの地から完全に兵士が撤退したのは二〇一一年一二月のことである。

 その戦争とファティマのかかわりを示唆するものは何一つない。天使と聖母はなぜ出現したか。何のために現れたのか。ルシアに何を託したのか。その言葉は聖女の胸にのみ記されている。

 聖女の昇天以降、天使と聖母の出現報告数は減った。

 いまだ世界に真の平和は訪れていない。



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