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みたまおと  作者: tomoya
第10話 転写
29/30

二〇〇五年一月 アメリカ合衆国 サンフランシスコ



 ペルルブランシュの遺伝子解析の件はあっという間に世間に忘れ去られた。

 ランカは生まれた子供の遺伝子を解析するべきかどうかをティエンと二人で悩んだが、親子関係を判定するための遺伝子鑑定に彼は反対の立場だった。だから、ヨハンの子供として認定した後も、彼は父親であり続けることができたのだろう。

「やあ! ランカ、元気? ファロンは? お土産だよ」

 久々に家までやってきたマイキーが、大きなポップコーンの土産をもって入ってきた。ランカは既に仕事を辞めて、専業主婦だ。たまに、風景写真を撮ってブログに飾ることもあるが、二人目の子供ができてから半年近くカメラに触っていなかった。

 一番上の子供はティエンの父親が「ファロン」という名前を与えた。見た目は絶対に中国人ではないのに、絶対に中国の名前を付けると言って譲らなかった。彼とランカは今でも仲が悪い。逐一、やることなすこと口を出してくる偏屈爺さんだが、孫には甘い。孫を抱きによく家に来るので、玄関先に風水グッズが増えていく。ランカは全て捨ててやりたい気分なのだが、ティエンが絶対に許さない。

 ファロンはマイキーからポップコーンをもらって笑顔になった。一人で静かにソファに座り、小さな指で白い菓子を取り出して口に入れる。

 その隣にマイキーが座ってファロンを見つめたまま、話し始めた。

「ランカ、三年前に京都に行った時のことを覚えてる?」

 ランカはファロンのためのフルーツジュースとマイキーに出す紅茶を作りつつ、片手間に答えた。

「収穫がなかった奴?」

「なかったと言えばなかったけど、君たち家族は大収穫だったね」

「何よ、嫌味?」

 腰に手を置いて威嚇しながら彼を睨んだが、マイキーはファロンからポップコーンをもらって目じりを下げていた。子供と一緒におやつを食べて会話が変わる。ファロンはあまりおしゃべりが上手くない。けれど、絵を書くのが好きで、マイキーは彼に写真を見せるのが好きだ。早速、ファロンが喜びそうな写真を鞄から取り出して、二人で写真の話を始めてしまっていた。

 ランカは苦笑いして、紅茶の茶葉を見つめる。時間を計算しながら、カップを戸棚から取り出した。

 マイキーは先週末に映画の試写会に行ってきたらしい。ハウルの城の写真を見せると、ファロンの眼が大きく輝いた。その反応を見て、マイキーは満足そうに微笑む。おやつを食べ飽きたのか、宮崎駿アニメの好きなファロンはテーブルの上に白い紙を出し、カオナシという化け物の絵を描き始めてしまった。三年前、ティエンが空港でお土産として「千と千尋の神隠し」というアニメのDVDを買った。彼はそれをファロンと一緒によく見ていた。カオナシはその映画に出てくるキャラクターの一つだ。

 神の国に行った女の子の話、だ。日本ではそれを「神隠し」と呼ぶ。古来、日本では神による誘拐事件が頻発していたらしい。

「今朝、ティエンから連絡があったよ。京都は二度目で同じホテルを利用することになったんだけど、同じ部屋になったらしくて、運命だって」

「うちにもメールがあった。君と過ごした部屋だとか、運命だとか、歯の浮くようなことをいろいろ書いてたよ」

「あいつはエンジェルハートだからね。それはいいんだけどさ、三年前に、君は何か忘れ物をしなかった?」

「え? あたしが? なんだろ……日本に忘れてきたもの……恥じらい?」

 マイキーが大笑いして「前から持ってない!」と答えた。ランカも一緒に笑いながら、紅茶を彼のカップに入れた。お茶をもって、ソファの傍に行く。

 ファロンの画を見てから、邪魔にならない場所にトレイごと置いた。マイキーと斜め向かいになって、子供の遊びを眺めながら会話を再開させる。

 マイキーは明るい笑顔のままで続けた。

「あいつは、夢で会ったらしいよ」

「夢……バク? 人の夢を食べちゃう妖怪」

「そんな妖怪がっ……またの機会にする。僕は羽がないと萌えない」

「夢で会ったって、何? 天使? また天狗の話?」

「そうそう。天狗」

 ティエンは今、日本にいる。アメリカ合衆国が関与している対イラク戦争への反戦活動をマイキーたちと計画していた。日本の京都で世界軍縮会議が行われる。場所はあの国際会館だ。今回はジャーナリストとして真面目な取材に行っている。昨今、幻想ネタは売れないという。マイキーらしい理由で現実路線へ転換中だ。

「で、天狗が何だって?」

 ランカは子供向けのグラスにストローを入れながら聞く。

 マイキーは紅茶を受け取ってから答えた。

「夢の中で、君の忘れ物があると教えてくれたようだ。ティエンは目覚めてからしばらくそのことを忘れていたらしいんだが、ついさっき昼過ぎ、いや、日本では何時なの? 寝る前に思い出したと言ってたよ」

「夢を一日中覚えていられるってすごいと思う」

「天狗の言葉通りの場所に君のデータチップが見つかったらしい。三年前に君が撮った画だよ。どうして、鉢植えになんか植えられていたのか知らないけどね」

 その瞬間、過去の記憶が蘇った。

 博士の宿泊している部屋の前で黒服の男たちに会った。とっさに逃げた時に、カメラからデータチップを取り出して、観葉植物の鉢植えに隠したのだ。そのチップを見つけたのだろうか。あのチップの中には……ペルルブランシュが写っているかもしれない。

 記憶が蘇る――。


 踊り場の上から、揺らいだ水のような大気が降ってくる。

 虚空に鏡が浮かび上がった。体側から八本の手を伸ばした人物像がゆがんで浮かび上がり、宙に光がはじけるように広がる。八本の手を持つ人物、いや、二本の腕と六枚の板羽を持つ人物像に代わる。

 それは階段の踊り場で立ち止まり、ランカを見下ろしていた。

 色の失せた世界。視界のチャンネルが切り替わった。周囲の色や形を同時に把握することができない。両目を使って立体視する時に、視野を動かしていくような眩暈に似た感覚を味わう。

 ピントをどのように合わせたらいいのか、わからない。この物体を自分がどうやって認識できているのかがわからない。ランカは眉間に鈍痛を覚えつつ、カメラを両手で構えなおす。

 銀色の鱗と白い羽毛を持つ、人だった。色をきちんと認識できない。光を体感したから、銀と白を認識しただけかもしれない。

 これは天使だろうか。

 だが、手を耳から離したら、画像が掻き消えた。

 ランカは数枚シャッターを切った後、頭痛を耐えて階段を駆け上がった。


――あの時の、映像が残っているのか。

「三年間、植木に水はやらなかったのか? チップは土に入れたんだ。三年間、データが壊れずに残ってるわけがない」

 ランカはうわ言のようにそう言って、立ち上がる。その後は熊のようにうろうろと歩き回る。でも、奇跡的に映像が残っていたら、博士の研究が気のせいだったかどうなのかがわかるはずだ。ペルルブランシュが実在している証拠になるかもしれない。

 マイキーが幾度も首を動かして「言いたいことはわかる」と受けた。

「ティエンはチップの解析をもう終わらせたかもしれないと思って、こっちに来たんだ。一番初めに君に見せるんじゃないか、と思ってさ。ティエンから連絡は来てないの?」

 彼に言われた直後、ランカは居間を出て行った。マイキーはにっこり笑って、紅茶を一口すする。ファロンは彼の傍でクレヨンを手にして色を塗り始めていた。

 自分の書斎に入ると、真っ先にコンピューターに電源を入れた。立ち上げを待っている間に、携帯電話を確認して、彼から新しいメールが入っていないかと確認する。

 デスクトップの画面が変わり、コンピューターが使える状態になると、メールの受信を確認した。二件ある。ドキドキして開封したのだが、支払の確認を知らせるメールだ。ランカは大きなため息をついて、座椅子にぐったりともたれた。

「……日本は今何時なの?」

 時計を振り返って、携帯電話をつかんだ。ティエンはチップを本当に解析できるのだろうか。まだ手間取っているのかもしれない。

 彼女が電話番号を探している間に、着信があった。ティエンだ。

 胸が「どくん」とはねる感触がした。

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