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みたまおと  作者: tomoya
第8話 停止
23/30

 京都で座敷を持つというと、畳の上で座るイメージがあったが、その店にはテーブルがあった。足腰の弱いご隠居が通うからだという。少し開放的な部屋で板場の様子を見ながら、料理を頼むことができる。少し家庭的な感じのする小料理屋だ。ここは「一見さんお断り」という制度で経営されている。一見さんお断り、とは紹介制の店ということだ。

 正座に慣れない外国人にはありがたい料理屋だ。

 ティエンとニコルの間に緊張感が漂っていたが、ペルルブランシュの話になると、双方ともに熱の入った会話になってきた。ランカは途中で折を見て「夜の八坂神社を撮影」と言いながら出てきた。ティエンには「それはジョークじゃなかったのか」と叱られたが、無理やり店を出た。

 夜の通りに人影は少ない。それでも観光客がまばらに歩いていて、日本の治安の良さを感じさせた。道を歩いている彼らに警戒心がない。無目的にうろつく不審な人間もたむろしていないし、浮浪者はどこにもいなかった。暗闇でありつつも、街として統一された意識を感じる。ちりひとつ落ちていないきれいな道だ。

 午後二十三時を過ぎて、ヨハンから連絡があった。

「京都駅へ来ないか」

「やめてよ。さっき、そっちから来たところなのに」

「どこで待ち合わせをするつもりだ」

「八坂神社へ来て。電話でなんて話したくない」

「いいだろう……私に不信感があるらしいな」

「そうやって、勝手に人の思考を読み取るのはやめて」

 突然電話が切れた。ランカは携帯電話を切ってから、歩き始めた。

 先斗町を出て四条大橋を渡り、アーケード街に沿って歩くと突きあたりに祇園の交差点がある。街は既に灯が落ちている。人通りも少なく、車もまばらだったが、観光客は意外といた。祇園の交差点の向かい側に八坂神社の西楼門が闇に紅く浮かび上がる。楼門を階段下の正面から一枚撮って、境内へ入った。

 冬の八坂神社は厳かな空気が漂っている。夜二十三時とはいえ、商売を終えた店主が寺に詣でて手を合わせている。日本は宗教に疎い人種だと言われている。だが、そんな姿を見ると、世界でもまれな宗教心をもっているのではないかと思えた。

 彼らはいつも行っている手馴れた手順を繰り返す人たちに特有の、無意識にプログラムされた行動に、心を入れ忘れたロボットのような正確さで細かい作法を繰り出し、あっという間に立ち去った。それが習慣なのだろう。

 傍を通るときに無言で頭を下げられた。思わず、ランカもそっと頭を下げて彼の姿を見送った。夜に詣でる人の数は多くない。だが、全くいないわけでもない。彼らは通り過ぎる人たちに次々と頭を下げている。この町の住民は一体感を持っているように見えた。

 三脚を立てて、カメラを据え付ける。寒い闇の中、撮影は始まった。本殿の背面にある拝殿には夜を照らす無数の提灯がついている。

 数分後、南楼門の外にタクシーが止まった。ランカは三脚を抱えてカメラを腕に抱く。ヨハンはタクシーを待たせたまま、中に入ってきた。

 全身を黒いスーツで覆い、白い皮の手袋をつけている。裾の長いマントを翻しながら、やってくる。久々に見た彼の姿に心はざわめいたが、ランカは彼が傍に来る前に声をかけた。

「美人になる泉があるそうよ。ラストの撮影に付き合って」

「君は美人だ。不要じゃないのか」

「仕事だから」

 そっけなく彼に背を向けて、社寺の奥へ歩いていく。

 彼に聞きたいことは、何をしたのか、ということだ。電話を通じて自分に何をしているのか。ランカから何か情報を引き出していたのか。どのような言葉で聞いたらいいのかわからない。まだ、衝撃は残っている。夢か幻を体験しているような儚い衝撃が。

 二人は砂利道を歩き、本殿を回って東へ向かう。

 ヨハンが歩きながら話し始めた。

「奇跡査問委員会の全貌はまだつかめていない。こちらから提供できる情報は少ないのだが、滞在中は君に護衛をつけよう」

「あなたたちは作戦を変えたのね。職業スパイを送り込むのではなく、一般人の脳波から欲しい情報を取り出す方が危険は少ない。あたしはいい実験台だった?」

「それで怒っているのか」

「望んでスパイになっているわけではないわ。今更何よ。人の精神を斥候に使わないで」

 泉の傍に来ると、ヨハンは立ち止まり、ランカの撮影を見守った。ランカは手際よく三脚を立てて、構図を決めるとレフ板を放り投げて、一人で撮影を始めた。

 背後から彼らを守るように二人の男が付いてくる。少し離れた場所で周囲を見守る。

 ヨハンは声を出した。

「こちらが望む情報を思考と言う形で取り出すことはできない。認識できるのは、個別の信号だけだ。君の匂いを示すシグナルは解析済みだ。ニコル・クルスベリーの臭気もな」

「あたしが彼に会ったことを遠隔操作で理解できたわけ?」

「できるはずだ。電話越しに音波を送り、君の声紋に特有の反応が現れるかどうかを測定しようとしていた。だが、君が電話をとらなかったので、君の身に何かあったと思った」

「あたしたちに何をしたの? あれは、サイコキネシス、なの?」

「何かあったらしいな……君の声に浮かんでいる不安は何だ? テレパシーのことは君にも理解できているだろう? サイコキネシスとは何だ? 何をされた?」

 ヨハンの反応は想定外だった。ファインダーから視線を外し、彼を見る。隠し事をしているかどうか、確かめるために。だが、それは不要だった。ランカに嘘は通じないことを彼は理解できているはずだ。彼女がそういう能力者だからこそ、彼は彼女との結婚期間中に傍に寄りつくことがなかったのだから。

 直感的に、違う、と感じた。ヨハンは失われた一時間の記憶を操ってはいない。

 不意に背筋に嫌な汗が浮いてきた。彼女の異変に気が付いたのか、ヨハンが彼女の傍に寄り添って、背中をなでて落ち着かせた。ランカはシャッターから指を離し、彼に囁く。

「あなたでもない、奇跡査問委員会でもない……あの生物がやったんだ。クヅノ博士の安全を守るために」

「クヅノ・ワタルと接触したのか。未知の生物を解析したという研究者だろう?」

「もう彼に接触しても無駄よ。彼は何も覚えていない。ニコルたちももう彼には何もできないわ。博士は昼に学会で報告したけれど、その記憶も作り替えられてしまった……たぶん、彼はこれから『少し物忘れがひどくて』別の研究をすることになる」

 ヨハンは彼女の背をなでる動きを止め、そっと手を離した。最後に彼女の頭を一度だけなでて、離れていく。

 ランカは数枚写真を撮った後、彼に話しかけた。

「ここが現実だと証明してくれない? あなたは本当にあたしの前にいるの?」

 ヨハンは周囲を見てから口を開いた。

「認識の話を求めるなら、改めて聞き直そう。ここが夢ならば、この認識は誰のものだ。ここが君の夢ならば、君以外のものに存在理由を聞くのは馬鹿げていると思わないか。この世の神は君自身だよ」

「煙に巻くのがうまいね。さすがは虚偽の結婚生活を送っただけはある」

「嫌味を聞かせる相手として、私は君に召喚されたのかもしれないな。夢ならもう目覚めたまえ。不毛な問いかけだ」

 彼女は撮影を終え、カメラを三脚から取り外した。カメラバックの中からレンズカバーを取り出し、カメラを分解しながら、片づけていく。ヨハンは彼女の傍から一歩遠ざかり、泉の中に手を伸ばした。白い手袋が闇の中にボウッと浮かび上がって見える。

 彼は小さな声で続けた。

「離婚の調停中だったな……喧嘩して別れよう。君の友人が迎えに来たようだ」

 ランカは手を止めて、周囲を振り返った。砂利の鳴る音が近づいてくる。ティエンは急いで走ってきたらしく、息が上がっている。彼は周囲にいる見張りの数を見て、不審な顔に変わる。

 ヨハンがランカの脇を通り過ぎて、南楼門へ向かう。ランカは彼の背中に「待って」と声をかけた。

「あなたはあたしに何をしたの? 脳に障害が残るような何かをしたんでしょ? 何に追い詰められたの? あたしはそのせいで記憶が混乱しているのかもしれない」

 ヨハンは一度足を止めた後、少し背後を振り返った。彼はかすかに笑って答える。

「よく覚えているな……そんな情報を」

 目覚めれば忘れる、と言いながら、彼は彼女から離れていった。

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