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みたまおと  作者: tomoya
第6話 正体
18/30

 ランカの脳内で弾けるような精神波が伝わってきた。理性ではなく、本能が危険を告げている。複数の感情と痛みと情報が交じり合い、脳内で騒がしく音が鳴り響いた。

 ぐわんぐわんぐわん、と幾重にも伝わる衝動の音。

 その意味を読み取るのに時間がかかった。

 気が付いたら、片手をクヅノ博士に強く握られていた。騒音にまぎれて彼の声がする。しかし、それが本当に彼の口から発せられた音なのかどうかがわからない。博士はランカの異常に気が付いたらしい。彼の表情は険しい。

 ニコルが向かいの席から立ち上がって、彼女の傍に来た。彼が手を触れた瞬間、ランカの脳内で叫びまわっていた音の群れがすっと消える。

「はあっ……はあっ、はあっ」

 ランカは息を乱したまま、ニコルの手を強く握りしめた。自分もまた、その存在に魅入られて肉体を乗っ取られたような気がした。ニコルの手を握っているとき、非科学的なことだったが、彼が見たという大天使の慈悲を願っていた。何が真実なのかはどうでもいい。ただ、救ってくれる存在を求めて彼の手にすがった。

 そんな彼女の手を握り、ニコルは軽く彼女の背をなでる。彼の手は少し骨ばっていて、冷たく感じられた。それでも心が落ち着いて行くことに安堵した。呼吸を整えるように手を一定のリズムで動かしながら彼は言う。

「あなたは……彼らが何をしているのかを知っていますね? アメリカであなたはそういう教育を受けたはずだ」

 彼の言葉に触発され、過去の映像が蘇りそうになる。色と匂いで封印した過去の記憶。テレパシー能力を磨くために、幾度も繰り返した訓練について。夫と出会った時の匂い、結婚生活の苦しみ、感情と光の色、幾重にも連なる心の感触。

 再び心がざわめく音がした。ランカは努めて、自分の心を鎮める。

 大きくなっていく騒音の形が見えてくる。

――危険。予想よりもずっと早い。今すぐにここを出ていけ。

 それは自分の意志ではないだろう。外部から操られての思考なのか。これがペルルブランシュの能力だろうか。その存在は最初に出会った時からずっとクヅノ博士の安否を気にしていた。それは、彼の肉体を奪うためなのか。

 その精神波をランカだけが読み取っているのだろうか。

 いや、ニコルは理解できているようだった。彼は再び口を開く。

「あなたと私だけがこの存在に気付いたわけではない。学会場でも幾人かはこの空耳に気が付いて、不審な動きをする人間がいた。十年前に比べて、感応しやすくなった人類が明らかに増えている。これからもっと増えるだろう……ペルルブランシュのような精神性生物は一種類ではないだろう。我々は気づかなかっただけで、彼らのような生物は世界中にいるのだ。いずれ、その正体を世界は知る。そして、世界中の神話が警告していた意味を理解することになる」

 ニコルが手を離して、ランカの傍から立ち上がる。再び脳内に騒音が蘇ってきたが、ランカはきつく目を閉じて、その衝動に耐えた。

 不意に電話が鳴った。

 その場にいた人間たちが、全て固まる。ニコラの目つきが鋭く変わり、黒服の男たちが一斉に自分の背広に手を伸ばした。クヅノ博士が自分の鞄を探り、自分の携帯電話を探す。ランカはこめかみに感じる圧迫痛に耐えながら、自分の携帯電話を取り出した。

 それは、ティエンからの連絡だった。

 通話ボタンを押すと、部屋にいた全員に見つめられる。

「ランカ? 今、どこなんだ?」

 彼の声が耳に流れてきたとき、電話の向こうで風の音を聞いたように感じた。

 扉が開いて、二人の女性が料理をもって部屋に入ってきた。と、同時に廊下を吹き抜ける風の音が部屋の中に入り込む。ランカの背後にあの匂いがした。日本の香り。

 彼が、ここにきた。飛んできた。

 耳元に生暖かい感触を覚えて、軽く身震いした。

 ティエンの声が流れてくる。

「あのさあ、俺は今、外にいるんだけど、飯はどうする?」

「あ、あたし……もう博士と」

「何だよ、俺も呼んでよ……まあ、いいや。かわいい店を見つけてさあ。小っちゃい店だけど、ここに日本の漫画が売られてて、フィギュアもある。本だけでなく生活雑貨も売られてて、コンパクトなんだよ。チェーン店みたいであちこちにあるんだ、この店。一口大のケーキが一つ一つ包装されていて、それがきれいでさ! 日本は清潔でかわいいよな。『おでん』とかいうファストフードも美味い。ここは面白いよ。なあ、後で写真を撮らない?」

「うん……わかった。撮りに行く」

 騒音のなかで、心の衝動が激しくなる。早く逃げたい思いで、そわそわしてきた。危険を知らせているに違いない。早く逃げろと伝えている。ランカは青ざめて「今からそっちへ行く」とティエンに伝えた。珍しく、すがるような声になってしまった。

 心の怯えを悟ったのか、電話の向こうで、一瞬彼が沈黙した。

 ややして、囁くような優しい声が聞こえてきた。

「……どうした? 何かあった?」

「何でもないよ。大丈夫……今、どこにいるの?」

「地下鉄で……何だっけ、カラスマ、とか、言ったっけ。市庁舎の近くだ。ランカは?」

「近くに、清水寺がある」

「迎えに行くよ。すぐに行くから」

 電話が切れる直前、誰かに抱きしめられたような気がした。ランカが体を固くした直後、その存在はティエンだったのではないか、と不意に思いついた。すぐ傍に彼の存在を感じ、心が安らかに緩むのを感じた。

 時空を超えて、彼の香りを思い出す。彼の腕からはいつも石けんの香りがしていた。タバコを吸ったあとは手を洗っていたから。

『タバコが嫌い? 何を言ってんの? タバコは人類が開発した文化だよ。健康を害するからと言われても……いや、俺は別に辞められるけどさ。本気で嫌ならいつでも辞めるけどさ!』

 ティエンは今もタバコを吸っている。ただ、彼女がいるときは吸ったあとに手を洗うようになった。彼は今、石けんの匂いがする。

 思念というものがこの世に存在するならば、それは時間も空間も超えていくのかもしれない。背後から見守る大きな存在を感じる。

 振り返ると、六枚の羽が見えた。

 その人物はかすかに白く発光し、博士の後ろに立っていた。ランカは携帯電話を握ったまま、息をのむ。そっとニコルを振り返った。彼は博士の背後にいるその光をまっすぐ見ている。彼の背後にいる男たちは気づいていないようだ。博士自身も。

 ニコルとランカの目が合った。

 その時、彼と意識が交流した。言葉にならない予感があった。彼はこの光の存在を認知できているのだということが伝わってきた。そして、その感情も。

 ランカと同じく、ニコルは焦りを感じている。怯えにも似た感情だ。

 ニコルは口を開いた。

「また、電話がかかってくる……それをとらないでほしい」

「え?」

 再び電話が鳴った。今度はランカ以外の人間は誰も動かない。彼女の手にある電話に着信している。部屋にいる全員に注目された。

 机の上にお膳が並べられていく。女将が手際よくカラフルな野菜を並べていく。ランカは自分の手の中にある電話機をそっと見つめた。その番号を見て、胸がはねる。

 彼女は眼を大きく開いた後、素早く周囲を見回して電話機を握りしめる。

 電話の相手は、ランカの夫だ。アメリカ合衆国の諜報員で、公にしている名前は、ヨハン・P・シュタインバック。本名は別にあるだろう。ドイツ系の移民だ。

 とっさに腕時計で時間を確認した。アメリカから日本へ、直行便でも十四時間はかかる。彼と連絡を取ったのは朝の七時。どんなに早く来ても、午後二十二時の到着だ。今の時刻は二十一時になる前だった。早すぎる。この電話は何だろうか。

 テレポテーション、だろうか?

 ニコルがもう一度話しかける。

「その電話に……出ないでくれ。奴らは君の居場所をすぐに理解するだろう。君の思念波の特徴を彼らはもう理解できている。ペルルブランシュの存在にも気づかれてしまう。この場所で戦いたくない。今の我々の力では、博士の精神を守りきれない」

 クヅノ博士は日本酒を口に含んでいるところだったが、その言葉を聞いて瞬きをした。戸惑った様子でランカとニコルを交互に見つめる。彼は少し困った顔で頭をかいた。

 女将が料理を出した後に姿勢を正して頭を下げた。彼女はまだ部屋に留まっている。ニコルたちと共にランカは緊張した顔で彼女の顔を見る。女将はこの部屋にいる光の天使に気づいていない。

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