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みたまおと  作者: tomoya
第4話 幻惑
12/30

「……背びれのようなものが翼に発達した生物ということですね。博士の話だと、それは爬虫類に近いのでは? 古生代の二畳紀には爬虫類は現在よりも多様で哺乳類と見た目の変わらないものもいたそうですね。羽や毛の生えた爬虫類もいたとか。それが中生代に入って、哺乳類に駆逐されるまでは全球を席巻したと聞いています。リンネの分類法では、爬虫類と哺乳類を見分けるのも本当は難しいのかもしれませんね」

 ティエンが再びそう聞いた。類人猿の中で人間ほど体毛の少ない生物もいない。いつから人間は体毛を失っているのか。その形状は爬虫類に近い哺乳類だ。

 博士は少し苦しそうな顔で「そうだね」と答えたあと、続けた。

「厳密には翼は十二枚ある。だが、最も大きくてよく見えるのは六枚だ。背面に背骨に沿って二列に並んでついている。それは、骨というよりは鱗のようなもので、第三胸骨の裏側から始まって第八胸骨で終わる……だから、彼らは裸体で過ごしている。彼らも体毛は少ない」

 背骨に並んだ骨板に皮膚がかぶっている。そこには血管を効率よく広げるために進化した毛が生えているだろう。羽毛のような形になっているのか、うろこのような形になっているのか、毛髪のような形になっているのか。

「ああ……」

 ランカは思わず声を漏らした。だが、今度は心が驚きを感じないように平静を保ち、視界の変化から目をそらすことを辞めた。

 はじめ、それは陰のあるせむしに見えた。雪男がそこにいるような気がした。全身が毛むくじゃらで、黒くて、獣のような。しかし、思念が安定しないまま、その形は不規則に変わっていった。見えそうで見えない過去の映像を思い出すようなものだった。現実の空間にぼやけた影が見えてくる。

 夢を見ているのではないか、と思った。その瞬間、それは消えてしまう。ランカは大きくため息をついた。博士はそんな彼女を見て、かすかにほっとした顔になる。

「その翼は飛ぶためのものではないが、意思に応じて動かすことができるようだ。それは不意に動いてきれいに見えるよ」

 博士の隣でティエンが質問を再開した。

「人の言葉を話すそうですが?」

「音として話しているのかどうかはわからないな。テレパシーのようなものかもしれない。もしかしたら、その翼から意思が漏れてるのではないかと思うよ。翼が大きくなると彼らの声も大きく聞こえるんだ」

「アンテナみたいなもの? 大きさが変わる?」

「アンテナかもしれないな。彼らは物理法則を無視して存在しているように見える。空を飛ぶとき、彼らは羽ばたくことがない。まるで空間に溶け込むようにして……そうだな、あれはテレポートだよ。気が付いたら、傍にいるんだ」

「もしかして、今、傍にいますか? 彼らは周囲の景色に擬態しますか?」

「ああ、するよ。いや、我々の視覚のぎりぎりの場所にいる」

 視覚のぎりぎりの場所。

 人間が光を可視できる波長域は、実は狭い。三八〇ナノメートルから八一〇ナノメートルの長さの波長域のみだ。世界にはあらゆるレンジの波長が存在する。人間の五感はそのうちの一部を体内に取り入れるための感覚器官で成り立つ。五感がカバーできる波長域から外れた刺激に対して、人体は無防備だ。感じないからと言って、影響がないというわけではない。細胞または遺伝子レベルで影響を受ける波長もある。たとえば、放射線、電磁波、宇宙線などだ。

 見えない存在がそこにいると理解することは、本当は生存にかかわる問題だった。その生物が敵対するものではないとなぜ言い切れるのか。ランカは左肩の方からうっすらと冷えてくる感じを覚えた。それは恐怖に対する本能的な反応に違いなかった。

 その物体を拒絶した途端、強い風が屋内に発生した。

 茶室内は突然のことに驚き、大きな悲鳴が漏れた。閉まっている障子を振り返り、内部で発生した風の正体を理解できずに怯えた顔をしている。席主が穏やかな声で「天狗がここにいらっしゃいましたなあ」と客を和ませた。

 博士は小さく頭を下げて、客に微笑んだ。その場にいた客たちは、今日の講演で博士がそんな話をしたことを思い出したのだろう。それから、博士は客に話しかけられて明るい社交辞令の話を返した。

 ランカとティエンは通り過ぎた突風を思い出し、二人で目を合わせていた。夢や幻でないのなら、見えないものをどう捉えるか。二人の課題はそこだ。



 ランカが取材用に持ってきた機材は、一眼レフと高感度フィルム、遠赤外線を使用したCCDカメラ、それとデジタルカメラだ。可視光域を超えていると言われた時点で、デジタルカメラを用いた撮影は諦めた。高感度フィルムを用いて直感のままにファインダーを覗くか、CCDカメラで映像を収めるか。

「やあ、おはよう! 僕を寝不足で殺そうという魂胆だね、素晴らしい働きぶりに感激するよ。やっほー! ハロージャパン! 二人は今どうしてる?」

 今の時刻は午後三時半を回った。サンフランシスコは朝八時半だ。八時間前に定時連絡を受け取った直後に寝たであろうマイキーのモーニングコールになっただろうか。

 ティエンがパソコンを立ち上げながら、話しかけた。

「クヅノ博士に接触完了。目標は、十二枚の羽板をもつ爬虫類でカメレオンだ。今、ランカはシューティングの計画中だよ。俺はこれからホテルにこもって、学術ネタのどぶさらいを開始する」

「おーけー、おーけー、エブリバディ、ナイスジョブだ」

「飛翔技術は不明だが、ものすごい風の量だ。幽霊じゃないね。俺たちは、ランカがブツを撮り終えたら、国外に脱出」

「イエース、カモーン、ファンタースティックッ! 今度は本物を拝めるだろうな?」

「いつも本物だよ」

 ゴッドブレスユーッ!……とやけにハイテンションな叫び声を聞き流し、ランカは赤外線カメラを肩に担ぐ。あの天狗はどういうわけか、クヅノ博士の周りに出現したがる。博士は天狗を認識できるようだった。これから、彼に張り付いて撮影三昧だ。不要な光線を遮断するハイパスフィルターをバックパックに詰めて、ランカは「んじゃ、行ってくる」と部屋を出て行った。

 ホテル内の廊下を通り過ぎ、博士が泊まっている場所へエレベーターで移動する。階段で行っても間に合う距離なのだが、このときは何の疑問も感じることなく、エレベーターのボタンを押して到着を待った。

「今回の取材は協力的で早く終わる」

 そんな独り言を口にしながら、周囲を見まわしてガラスの中に映る自分の姿を見た。撮影するときは、どんな体勢でも撮れるように汚れてもいいシャツとズボンを身に着けていた。色気も何もないね、と思いながら苦笑いしたら、背後に人が立った。振り返ることなく、その人物の気配を読み取る。その人を知っていると思った。

 振り返る前にガラスの中でその姿を見る。

 半透明な空間の中に、見えにくい境界線でそのものは描かれている。ランカの姿が水の中に存在するような形で不明瞭に浮かび上がっており、その背後にクモのような男が立っていた。背中から無数の腕が伸びているような。

 体は鱗と羽毛で覆われ、鏡のような羽は輝かしい光で反射してよく見えない。男の背後から後光が差しているように見えるのだ。だが、ランカは彼の匂いを覚えていた。その姿が見えた時、ようやく目に入れた、と思った。

 その時、羽がきらめくと当時に、脳にイメージが湧いた。

――危険。警告。クヅノが危ない。階段を使わなくては。

 その男はランカの背後からすっと消え、光の筋がガラス面を横切るのが見えた。ランカはあわてて背後を振り返り、その存在を探すが屋内にそのものは見えない。光の姿もだ。

 振り向いたその視界の中に上階へ続く階段が見えた。とっさに、彼女は駆け出していた。階段を駆け上がりながら叫ぶ。

「今のはっ、テレパシー!」

 誰もいない空間に怒鳴りつけ、初めて目にしたあの姿を思い出そうとした。だが、記憶はあいまいで、光り輝く翼しか思い出すことができない。体中に浮かんでいた鱗と毛並みの模様もあったのかどうかあいまいになる。

「記憶……あんたは記憶も操るのか」

 短期記憶は側頭葉で作られるタンパク質によって固定されるという。作られたばかりの特定のタンパク質を分解する音があるだろうか。ランカは片手で片耳を押さえて音を遮るようにしながら、階段の上部にある空間を睨んだ。

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