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みたまおと  作者: tomoya
第4話 幻惑
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 日本で開かれる国際学会は公用語が英語であっても、発表者が日本人の場合、ネイティブには聞き取りにくいので欧米の研究者には人気がない。会場内は黒髪の日本人が多く、欧米の参加者はめったに見られなかった。ティエンがこの場所に潜入しても、目立つことはない。ランカのカメラバックだけが違和感を持っていたが、見咎められることはなかった。大らかな学会らしい。

 学会は、日本で最初に作られたという国立の国際会館で行われた。一九六六年に建てられたその建物は、日本古来の合掌作りという建築様式と近代建築を融合させたものだ。コンクリートで作られた無機質な空間の中に、日本の造形美が浮き立つ。六〇年代の近未来を意識したエントランス空間は少し懐かしいSF映画を思い起こさせる造詣だ。赤い絨毯が敷き詰められ、屋内は各国からやってきた生物学者が会場内を歩いている。中庭に面したロビーにはコーヒーとワインを片手に談笑する研究者の姿が見えた。

 九角博士が講演するD会場は流線型のホールで三百人が入れる大きさだったが、会場内はがらんとした印象だ。ティエンとランカが中に入った時、正面の大きな壁には英語で記載された遺伝子情報の概念図が写っていた。しかし、博士の講演は日本語だ。ティエンはランカに鞄を押し付けるとICレコーダーを取り出して録音を始める。彼は近くの座席についてメモを取り始めた。日本語の専門用語がわからないまま、英語で書かれた映像を見つめ、発表内容を推測する。メモを取りつつ、ティエンは独り言のようにつぶやく。

「世紀の大発見を発表……最初の反応はこんなもんだよな。偽物、と呼ばれるのさ」

 会場内にいる人の数はまばらだ。オカルトや超能力研究の成果を発表する時、このような光景は見慣れている。熱烈に歓迎されることはめったにない。ティエンのメモは発表内容ではなく、会場の印象と発表時間、それが日本語で行われたということ、講演を聞きに来た人間の数と人種であった。

 冷めた空気の中、九角博士の講演は定刻内に終わり、質問は実験手順の内容に留まった。博士は技術的な質問に落ち着いた様子で応えて、降壇する。本番には強い人間だったらしい。糾弾されるような激しい場面もなく、平穏無事に終了する。



 東ユーラシアは人類史上、不可思議なミッシング・リンクだらけの場所だ。日本はその中でも特異な位置にある。

 その理由として挙げられているのは、それが島国であることと、小さな島の集合体にもかかわらず、深い海に囲まれていることだ。氷河期に海水面が下がったからと言って、全てが陸続きにはならない。特に最終氷河期では九州地方が孤立している。

 だが、そのすべての場所に人類は到達できていた。異なる時期に、少なくとも二回の氷河期を隔てて拡散したか、南方から船で入植したかのどちらかだ。

 もし、異なる時期に二度の氷河期を経て入植が行われたのなら、一二万年前の氷期よりも古い時代に入植したことになる。船で入植したのなら、少なくともその頃の人類は船に乗って移動する技術があったことになる。日本に存在する考古学的な証拠は四万から三万五〇〇〇年前に集中している。日本人はいかにして海を越えたか。

 日本人のルーツは人類史の中でも多くの謎に包まれた話題だ。

 二人は九角博士と待ち合わせた後、少し遅い昼食を一緒にとって、その話の続きを話した。講演を終えた直後の博士は興奮気味にティエンの話を聞いた。そのために、ティエンが饒舌になり、ランカは退屈な昼食を体験することになった。

 話題を変えるために、ランカの方から「二時から茶会がやってるんじゃなかった?」とティエンに促して、会館の中庭にある宝松庵という庵へ二人を連れだした。

 DNAを採取した有翼生物の写真を撮るのが仕事だ。ランカとしては、早いところ仕事を終えて、何事もなくこの国を去りたかった。

「天狗かどうかは不明だが、それは羽のある直立歩行生物だ。ティエンさんの仮説とは異なるが、彼らは哺乳類というよりは、爬虫類か鳥類に近い。羽は独自の進化を遂げていて、普通の鳥類とも異なる。現生鳥類は始祖鳥から連なる系譜だ。解剖学的には上腕と体側の間に体温を調節するために発達した水かきのような皮膚が変異したものが翼となり、木々を渡るうちに飛翔技術を身に着けた、というのが現在の鳥だ」

 広大なため池を眺める立地に近代的な日本庭園が広がる。その手入れされた庭を歩きながら、博士は話し始めた。

 ランカはティエンを前に出し、博士の相手をさせながら、周囲を見ていた。ティエンは録音しながら話を聞く。音声が入りやすいよう、博士の隣に行った。

「今回採取したDNAは鳥類とも違っていた……ということ?」

「それは単純には言い切れないな。遺伝子から読み取るのは難しいよ。結局のところ、僕たちはリンネ博士の分類法にならって、形態から推測するよりない。ヒトゲノム計画が今後他の生物でも進展し、ヒトやサル以外の遺伝子情報も詳細に分析できるようになってからだな……確かなことを言うのは」

「我々が生きている間に夢を見られるだけの情報をくださいよ。つまり、博士の推論としては、それの翼は鳥類とどう違うんですか」

 ランカの背後から突風が吹いた。地面に積もっていた雪を吹き飛ばすほど強く、前を歩いていた二人は一度口を閉じてランカを振り返る。ランカは薄曇りの空を見上げていた。目に見えない存在だ。しかし、もう彼女は迷うことなく、心の眼をそれに合わせて存在を見つめていた。

 何かを感じ取る。共感。気持ち、心、思念。テレパシー。

 ティエンはランカの視線をたどって一度虚空を見たが、すぐに博士に目を移し、取材を再開した。

「どんな翼ですか」

 彼の問いに対して、博士は一度足を止めて空を見上げた。ふと顔の表情が変わった。細かい雪が降り始めた。彼は片手をあげて、空に手を伸ばす。そのとき、空からあの風が再び降りてきた。

 ランカは博士の周りで起きている情報の渦に集中し、見えないものを嗅ぎ取ろうとしていた。それは博士の周りに存在している。どんな形であるのかは理解できないが。常識を超えたものがそこにある。触れることもできないのはなぜなのか。

 博士は手のひらに乗った雪を見て「茶室へ行きましょうか」と言い、足の向きを変えた。庭園の奥にある小屋の中に入っていく。

 茶会は学会関係者が多かった。博士は座敷の中に知り合いを見つけて軽く頭を下げた後、次の茶会を待って、入り口付近に用意された椅子に腰かけた。すぐ隣にティエンが座り、二人の傍にランカが立つ。そのとき、背後でふわりと風の感触がした。

 炭の焼ける匂いと火の爆ぜる音。優しい温もりのある大気。

「どんな翼、か……難しいね。飛ぶためのものではない、と言った方がいいかな」

「飛ぶためのものではない?」

「羽ばたくために翼を使わない。あの翼は鳥類とは異なる発達をして得たものなのだろう。ねえ、君は恐竜には詳しい? 剣竜っているでしょう」

「は、はあ……」

「ステゴサウルスは背中に盾のような骨板が二列に並んでる。これは敵に背面から噛みつかれることを防ぐとともに、左右に振って体液を冷却させたと考えられている」

 ランカは背後を見て、見えない存在がもつ翼の形を想像しようとした。背中から板のような骨が二列ずつ出ていて、動かすことで体液を冷却させる。

 天使の羽は六枚。

 半透明な板が六枚、空中に浮かんで見えた……気がした。しかし、心が驚きを感じたとたん、その姿は見えなくなった。心に制御をかけているのは自分自身だった。そんなものが見えたら、大変だと考えて、無意識に心を閉じたのだ。

 彼女は自分の傍にいる匂いの正体を夢想した。過去の記憶の中から、目の前の波長に近い形を探す。脳内は活発にそのものを当てはめようとしている。その匂いはそこに物体があることを教えている。存在だけは実感できている。快楽と不快の狭間に揺れる感情。強い野生の香りがする。日本の匂いだ。

 ランカは不意に父を思い出した。

 親日家だった父は、生前、休日になると香木を焚いて書斎に火をともした。暖炉ではなく、火鉢の中で炭に火を入れる。分厚い本を何時間も読んでいた。彼の青い目と赤い炎の記憶がよみがえる。幼少期、振り返ることのない父の横顔をずっと見つめていたことを。

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