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みたまおと  作者: tomoya
第3話 接触
10/30

「アジアには既にシナントロプスがいて、ピテカントロプスがいて、ユーラシアを東進してきたホモ・サピエンスと共生していた時期がある。ホモ・サピエンスが入ってくる前に、先住民がいたなら、それはいつその地域への入植をしたことになるだろう? アフリカ起源説では説明できないだろう?」

「ティエン……要領よくまとめると、天狗はホモ・サピエンス以外の人種だと言いたいのか? それも日本に古来住み着いている先住民族で、現在の学説では証明できないルートを通ってこの国に入ってきた生命だと」

「その通り。そして、俺はそれがアメリカを通って西回りに到達したと考えてる。海からね」

「大胆な仮説だね。中華思想にも反論しそうな逆輸入の発想じゃない。ウェゲナーが出てきたということは、人類発祥の時期自体もパンゲア分裂前に設定するつもりか」

「パンゲアが分裂する前って、三億年以上前ってこと? それはいくらなんでも暴論だ。人類発祥が六〇〇万年前なら、地質学的にはそれは第三紀だ。オーストラリア大陸には有胎盤哺乳類がほとんど存在していなかった。それは第三紀には孤立していたから、他の大陸で発達した有胎生物が侵入できなかったからだと言われる。ではアボリジニはいつこの国に入ってきたか……実はそこはまだ学説がまとまっていない。学者によっては、一〇万年以上前に渡来したと考える者がいる。人類はもっと早い段階で船を使えたんじゃないかな。あるいは他の技術……飛翔、とか」

 つまり、人類の拡散が始まったとされる五万年前よりもはるかに古い時代に。胎盤の不完全な有袋類だらけの大陸へ、その人類はやってきた。現在、オーストラリアに暮らしている先住民アボリジニはもちろん、胎盤をもっている。

 哺乳類が胎盤を獲得したのはいつのころなのか。

 ティエンの話では、それは新生代第三紀以降ということになる。第三紀は六五〇〇万年前から第四紀の始まる一六四万年前までの時期をさし、地質学上は五つの世に分類される。人類が登場したのは、第三紀の後半、中新世から鮮新世だと考えられる。

 アボリジニはオーストラリアで発祥したのではないだろう。外から侵入したのだ。

 だが、その孤立した大陸へいつ侵入したのか。氷河期の影響で海面が下がった時期に陸地をわたる……だが、最終氷河期に東南アジア諸島とオーストラリアは厳密には一続きにはならなかった。だからこそ、その天然の要塞は長く保たれてきたのだ。

 人類は海を渡っただろう。

 そして、太平洋上の島嶼部に存在する遺跡の中には、放射性炭素年代測定法で四万年前を超える物的証拠が残っている。人類の拡散が五万年前に始まったのなら、人類は一万年以内に島を渡る技術を得て、半球を回ったことになる。その移動速度は速すぎるだろうか。島嶼部への人類の到達は結局のところ、謎なのである。

 だが、我々が石器時代から現在のIT社会を作り出すまでに至った時間は一万年を超えているだろうか? 文明の発達速度に無理なんてない。だが謎のままにしておきたいのは、過去の人類が我々以上の文明をもっていたと認めたくないからだ。

 人類が最初に船を使い始めたのはいつなのか。大洋をわたって移動したのはいつなのか。ハワイに先住民が入植したのはいつなのか。アフリカから南アメリカへ本当に人は海を渡れなかったのだろうか。謎だ。謎のままにしておいた方が、学術としては安全だ。

 不意にランカは山の民の姿を思い出した。

 赤顔裸体の巨人。天狗は鼻が高くて、鳥のようなくちばしと翼をもつ……赤い肌の人。わし鼻を持った人。体の大きな人。独自の文化を築き、鳥とともに生きた人たち。

「アメリカインディアンが日本にいたら、鬼と呼ばれるのかしら」

「さあね。ロマンじゃない?」

 ティエンは大きな手でランカの背中を軽く叩き「寒くなってきたから、戻ろうよ」と声をかけた。腕時計で時間を確認し、ケーブルカーに戻っていく。

 不意に耳元を風が過ぎた時、彼女はもう一度足を止めた。寒風にさらされた山の上の庭園に人影はない。しかし、その感覚はまだ残っていた。

 空間に浮かぶ視線の感触。透けた檻の中で無数の眼にさらされているような感覚とテレパシーによる警告を感じる。天の意志なのか、人としてのそれなのか。ブラジルで出会った追跡者が日本に来ているのだろうか。どこかからランカたちを監視しているだろうか。

 不意に鼻先に別の匂いがした。水苔のような古い香り。

 鼻先を異臭が通り過ぎ、風に乗って西へ流れていく感触がした。脳内に浮かんだ光景は、森。深い針葉樹林の中に浮かび上がる闇と光の道。杉の清涼な香りと清流のような風の音。尊天を前にした時に感じた畏敬と圧倒的な宇宙のエネルギー。

 天狗だ。鞍馬山で感じた意識と同じ香り。

――警告。汝、眼下を見よ。

 ランカは展望台の端に向かって駆け、手すりにぶつかるようにして下を見た。何もいない。彼女はもっていたカメラを構えて、突然シャッターを切った。ティエンが振り返り「ランカ?」と叫びながら戻ってくる。

 対象が見えない。ピント合わせは勘だ。何もない空間を撮影するのに絞りをどうしたらいいのかと考えたくない。恐怖に突き動かされるようにしてシャッターを切り続けた。怯えるぐらいなら、見えないものの正体を暴く方が性に合う。撮り逃がしたくなかった。

 片手でオートフォーカスのレバーを上げ、連写設定に変えた。手当たり次第に周囲を撮影しながら、カメラ枠の中に入ってくる風景を見た。白い雪のはざまに揺れる影。冷たい日差しの薄暗さ。遠近感の消えた雲の形が、陰影の濃さを変えて動いていく。

 風の香りは眼下へ降りた。その方角に何があるのかを直感的に理解する。あの存在は警告を発していた。なぜなのか。

「ティエン、博士のところへ戻ろう」

 彼女はカメラを顔から離し、傍に来た同僚の体を押した。分厚いブーツの底で凍った大地を削るようにして、展望台を駆け下りる。風はとぐろを巻いて彼らの後を追いかけてきた。

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