森の卒園式
アツシくんは考え込んでいました。メモ用紙を手にしながら、なにやらぶつぶつと呟いています。
今日のお昼、先生がアツシくんに言ったのです。「卒園式の代表答辞、アツシくんにやってもらおうかなー」と。「せんせーい、答辞ってなあに?」と、アヤメちゃんが聞きました。正座をしている先生は、すぐに答えます。「卒園式にね、みんなへの〝ありがとう〟っていう気持ちを伝えることだよ」と。部屋のこどもたちは、それを聞いて大はしゃぎです。黄色い声が飛び交います。
さて、アツシくんは一大事です。卒園式の日までに、自分で〝ありがとう〟の台詞を考えないといけないのです。家に帰ってからもずっとアツシくんは、メモ用紙とにらめっこしていたのでした。
ところがアツシくんはとうとう、メモ用紙を放り投げてしまいました。「あーもうやめたっ」と口が漏らしています。アツシくんはばたんとソファに寝転びました。
その様子を覗いている、一匹の猿がいました。猿はソファに身を沈めたアツシくんを見て、そろりそろりと近づきます。そして「おい」とアツシくんに声をかけました。
アツシくんは驚いてソファから身を起こします。
アツシくんのそんな様子を気に留めることもなく、猿は言いました。「お願いがある」と。
「お願い?」アツシくんは聞き返します。
「そうだ、お願いだ。実はオレ、西森保育園の猿なんだ。明日、卒園式があるんだが、オレが答辞をすることになったんだ」
「答辞……?」アツシくんは、つい今日聞いた言葉を拾います。
「答辞ってのはなぁ、〝ありがとう〟をみんなに伝えることだぜ」と、猿は偉そうに言いました。
アツシくんは、「それで、お願いはなに?」と猿にせっかちに聞きました。猿の偉そうな説明が気に入らなかったようです。
「だが、オレに答辞はなかなか無理なんだ」猿は言います。「オレは、なにか伝えることが下手なんだ。〝ありがとう〟の気持ちがあっても、それをどうやって言葉にしたらいいのかわからねぇ」
「つまり、ぼくに答辞を考えてほしいんだね」アツシくんがそう確かめます。
「ああ」と猿は頷きました。「それで、引き受けてくれるのか?」心配そうに猿はアツシくんの顔をうかがいます。
アツシくんは腕を組んで少しだけ考えてから、「いいよ」と答えました。猿の表情が和らいでいきます。
それから朝まで、アツシくんと猿は寝ずに〝ありがとう〟を考えました。そして出来上がりました。
その日は、アツシくんの保育園がお休みの日です。アツシくんは猿と一緒に、西森保育園に来ていました。
そこは、猿の保育園でした。たくさんの猿が、キノコで出来た椅子に腰掛けています。
「うう、緊張してきたぜ」猿がそう呟きます。
アツシくんは「大丈夫だよ」と囁きかけました。
西森保育園の卒園式が始まりました。アツシくんはキノコに座りました。
卒園式は順調に進んでいき、答辞の時間が近くなりました。猿はなにやら、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロしています。
「次は卒園生の答辞があります。代表は前に出てきてください」
猿がおどおどと立ち上がります。壇に上がって、不安そうな顔で辺りを見まわします。来場者がとてもたくさんいることに驚いて、たまらず猿は壇から下りてしまいました。そして真っ直ぐにアツシくんのところへ走っていきます。
「ごめん、パス」そうアツシくんに言い放ち、猿は逃げていってしまいました。
さて、アツシくんは大変です。みんながアツシくんに注目しました。
だけどみんな猿ですから、アツシくんはちょっとおかしくて笑ってしまいました。そして答辞を読み上げます。すらすらと、上手に読み上げます。
拍手が湧き起こりました。西森保育園を包む、大きな拍手が。
どうにか無事に、卒園式は終わりを遂げました。申し訳なさそうに戻ってきた猿が、アツシくんに声をかけます。「ありがとう」と。
たくさんの猿の卒園生が、親の猿と歓喜の渦を作り上げています。アツシくんと猿は、その様子を眺めていました。
アツシくんはふと、猿を呼びます。この猿の親はどこにいるのだろうと思ったのでしょう。呼ばれて、猿がまたアツシくんのほうを向きました。それは――アヤメちゃんの顔でした。
猿の正体は、アツシくんのおともだちのアヤメちゃんだったのです。
アツシくんは目が覚めました。いつの間にか眠っていたようです。ソファから身を起こします。
「夢……?」と、アツシくんは辺りを見渡しました。
ソファの隅に、放り投げられたメモ用紙がありました。なにも書かれてはいませんでした。
アツシくんはそれを拾い上げます。そして「よおし!」と大きく言いました。
もうすぐ、北森保育園で卒園式があります。