02 銀の軍人
第2章 銀の軍人
診療所の中は外観からは予想できないほどに清潔で整えられた空間だった。いくつかのベッドと診察台、奥に仕切られた場所には大きな薬品棚も見える。その横を通り過ぎて奥の扉まで手招きされた。隣の部屋はこの男の居住スペースになっているようだった。簡素なキッチンと、それよりスペースの大きい調合台らしき長机、薬草を乾燥させているのか、天井や壁には様々な植物がつるされていた。部屋の隅には診療所のものより幾分か年季の入ったベッドが置いてある。診療所に比べて少し散らかった印象を受けたが、ほとんど気にならない。この小屋全体がどこか暖かみのある雰囲気に包まれている。この男の印象をそのまま部屋に落とし込んだようだった。
「すいません狭いところで。そこの椅子に掛けてお待ちください」
男に告げられてキッチンの横の椅子に座る。男はこちらに背を向けて棚のあちこちを開けていた。自分でも調子が狂うほどに警戒心がなさすぎる。自分も、あの男も。
毒でも盛られて身ぐるみ剝がされる恐れだって十分にある。普段の自分であればこんな状況にはなっていないし、この男もこの男で見ず知らずの人間を家にあげるなといいたくなる。だが最初に口をきいてから、この男に対してなぜか警戒心は働かなかった。自分の勘がこの男は安全だと言っていた。
することもない為、茶を入れる男を観察する。一応、軍人のプライドとしておかしなものを混入させないかと目も光らせておく。
灰色の乱雑に切られた髪、大きな丸いメガネはどこか不格好だった。頬や鼻にはそばかすが広がっている。少し高めの落ち着いた声は医者に向いてそうだと思った。純朴そうな、見るからに人が好さそうな男だった。
(……片手で倒せそうだな)
小柄で細い体躯を見て、男性に対して失礼な感想を抱いた。まあ医者と現役軍人を比べるのも可哀想な話だが、こんなひ弱そうな男がこんな貧民街でやっていけてるのかと勝手に心配してしまうほどだった。そんな風に思われてるとはつゆ知らず、男は二つのカップを持って向かいの席に座った。
「お茶入りましたよ。良ければ一緒にお茶菓子もどうぞ」
脇に置いてあった籠を差し出してくる。中にはいくつかの焼き菓子が入っていた。
「君が焼いたのか?」
「まさか、多少の料理はしますがお菓子作りはてんで駄目で……。近所の、この診療所に手伝いに来てくれる女の子がたまに差し入れしてくれるんですよ」
「そうか」
なぜだか少し残念に思った。本当にわからない。初めて会ったはずの男にどうしてこうも気を許しているんだ?それにどこかで見たこともあるような気が……。
渋い顔をする私を不思議そうに見つめていた。不審に思われる前にカップに口を付けた。少し独特な風味がしたが、嫌いな味ではなかった。むしろ好きな部類かもしれない。同じ茶葉から入れていたし、舌にも特に違和感は感じないため毒などは入っていなさそうだった。
「・・・・・・美味い」
「お口に合って良かったです。さっきも言いましたけど疲労回復にいい薬草をブレンドしているんですよ。良かったら帰りに持って行ってください」
「そこまで世話になるわけには……」
「いいんです、まだたくさんありますから。むしろたくさん作りすぎてしまったので嫌でなければ飲んでもらえると助かります」
「では、お言葉に甘えるとしよう」
ここまで言われては遠慮するのも失礼な気がして茶葉を受け取ることにした。後で中尉に淹れてもらおう。彼女もお茶を淹れるのが上手い。
「ところでどうしてこんなところを散歩してたんですか?この辺りに住んでるって訳でもないでしょう?」
「ああ、仕事でな。数日前からこの町に滞在しているんだが、夢見が悪くて気を紛らわそうと散歩していたらここまで歩いてきてしまった」
「お仕事ですか……こんな田舎町まで大変ですね」
「土地の調査のために帝国中回っているんだ。しかし、少し根を詰めすぎてしまってな。部下に休息を取るように苦言をもらった」
「あはは、優秀な部下さんですね」
この男の疑問もまっとうである。用意していた言葉をよどみなくつらつらと並びたてた。勿論話の内容は半分以上噓だった。実際の私の任務はとある人物の捜索だった。軍内部でも一部の者しか内容を知らない極秘任務。と言っても見知らぬ人物が街をウロチョロとしていては怪しまれるため、表向きは土地の調査ということになっていた。
ハルティア・マーガレット、優秀な医者であり科学者でもある。帝国お抱えの若き女医師は、数か月前から行方をくらましていた。それも、重要な研究資料を持ち出して。
彼女が行方をくらませて数日後、任務を受けたあの日を思い出した。
***
帝都軍本部の会議室は、いつ来ても息が詰まる。高い天井、磨き上げられた長机、壁に掲げられた帝国旗。そこに座る者たちは皆、戦争を終わらせた英雄であり、同時に戦争を続けさせてきた者たちだった。
私は机の前に立ち、敬礼をする。
「アルジェント・ヴァルデュール大佐、参りました」
返礼はない。
代わりに、書類をめくる乾いた音だけが響いた。
「本題に入ろう」
老将の一人が淡々と口を開く。
「軍医ハルティア・マーガレット。二年前、戦時研究部に所属。三日前、研究資料を持ち出し逃亡。現在、帝国内に潜伏中と推定される」
私は表情を変えなかった。変えられるはずがなかった。この老いぼれ達に少しの隙も見せてはならない。
「貴官には、彼女の捜索および確保を命じる」
予想はできていた。彼女が失踪したことは部下が情報を掴んでいた。覚悟していたことだったが、こうして改めて聞くと胸の奥がじくりと痛みを感じる。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
許可も待たずに口を開いた私に、数名の視線が向けられる。ここにいる半分程度は私に良い感情を持ち合わせてはいないだろう。
「彼女は優秀だ。だが同時に精神的に不安定で、追い詰めれば自害の恐れがある」
老将は、まるで天候の話でもするかのように言った。
「よって、過去に面識があり、感情を刺激せず接触できる人間が必要だ」
詰まる所、その条件にあてはまるのが私だった。連中はどこまで知っているのだろうか。
「加えて」
別の将校が続ける。
「貴官は冷静だ。情に流されることはないと判断した」
思わず、口の端が歪みそうになる。冷静。その言葉が、これほど残酷に聞こえたことはない。本当にそうならどれほど良かっただろう。
「……もし、彼女が抵抗した場合は?」
「生死は問わん」
即答だった。
「だが、資料は必ず回収しろ」
そうだろうな、と心の中で独り言ちる。彼らにとって重要なのは、最初から人ではない。だからこそ帝国は発展し、同時に腐敗しているのだから。
「拒否権はない。これは命令だ、ヴァルデュール大佐」
間髪入れずにそう告げられる。こいつらにとって私は実に都合のいい存在だろう。
「承知いたしました」
私は敬礼をした。しなかった場合に起こる未来を、あまりにも正確に想像できてしまった。
会議室を出る直前、背後から声が落ちてくる。
「期待しているぞ。彼女は……貴官を信頼していたそうだからな」
私は振り返らなかった。廊下に出た瞬間、胸の奥に沈んでいたものが、ゆっくりと形を持つ。
———これは、試されているのだ。
私が、
命令と、
過去と、
彼女の命の、
どれを選ぶのかを。
「……相変わらず、性格が悪い」
誰に向けた言葉でもなく、私は小さく呟いた。それでも足は止まらなかった。止まれるはずがない。彼女を追うのが、私だと決まってしまった以上。たとえこの先が、地獄だと分かっていても。
***
「———どうしました?」
声をかけられてハッとする。長く黙り込み過ぎた。
「すまない、少しぼうっとしていた」
「いえ、大丈夫ですよ。お疲れですからね」
「ああ、思っていたよりも疲れていたらしい。……ところで、ここに住んでいるのは君一人なのか?」
「ええ、そうですよ。なにかありました?」
「いやなに、見たところ食器などが二人分そろっているのが見えたからな。ベッドは一つしかないが……恋人でも一緒に住んでいるのかと思ったのだ。まあ、君が誠実な人間だというのならば、恋人がいるというのに女性を家へ連れ込むということはしないと思いたいがね」
そう言うと男は一瞬間をおいてから、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げた。なるほど、いま気づいたらしい。
「す、すいません!そうですよね、いきなり男が女性に家に上がれなんて非常識にもほどがありました……!あ、いえ、決して変な意図などはなくてですね!?」
慌てて弁明をする男に可笑しくなる。なんとも純情な反応だった。私は思わず吹き出してしまった。
「そんな笑わないでください!というか僕が言うのもなんですがあなたみたいな綺麗な女性があんな時間に出歩くのだって本当に危険ですからね!」
「本当に君が言うのもなんだかだな……」
しかしこんな風に笑ったのはいつぶりだろうか。信じられないことに、私はこの出会ったばかりの男に思っていた以上に心を許していた。こんなことは生まれて初めてだった。
気がつくとずいぶん長く居座っていたらしい。窓の外に見える空は明るくなり始めている。
「もうこんな時間か、長く居座りすぎたな」
「え、あっ、本当だ。すいません、こんなに引き留めてしまって」
「いや、こちらこそすまなかったな。そろそろ退散するとしよう」
そう言って席を立った時だった。コンコンコンと、軽やかなノックの音が診療所の戸口の方から聞こえてくる。続いて鍵を開ける音が聞こえて警戒する。その様子を見て男は私を制した。
「ああ、大丈夫ですよ。さっき言っていた手伝いに来てくれる子です。家政婦のようなこともしてくれていて、鍵を渡してあるんです」
そう言っている間に足音は部屋の前までやってきて、開いた扉の向こうから一人の少女が顔を出した。
「おはよう先生!今日は早起きね」
「おはようメアリー」
メアリーと呼ばれた少女は12歳くらいだろうか。胸の辺りまで伸びた赤毛を三つ編みにして、少し丈の短いワンピースを身につけている。メアリーはキッチンのそばに立っている私を見て、ひどく驚いた顔をした。
「せ、先生が銀髪美女を部屋に連れ込んでる!!」
「メアリー!人聞きの悪いことを言わないでくれ!」
「だって女っ気ひとつもない先生がいきなりこんな絶世の美女を部屋にあげているのに、驚かない方が無理があるわ!これに驚かなかったらわたし、もう幽霊見たって驚かないわよ」
「彼女は体調が悪そうだったから少し休ませてただけだよ!失礼になるからやめなさい……!」
先ほど純情そうだと思ったのは間違いじゃなかったようだ。慌てている男を見るのは面白かったが、そろそろ助け舟を出すとしよう。
「ご期待に沿えずすまないねお嬢さん。その先生の言ってることは本当だよ。少し体調が悪かったもので偶然この診療所の前に通りかかったから休ませてもらっただけなんだ」
「あら……ごめんなさい、早とちりしちゃって。遂に先生にも春が来たのかと思ったわ」
「それは余計なお世話というものだよメアリー。まったく……すみません。帰るところでしたのに変に騒いでしまって」
気にすることはないと伝えて部屋を出ようとした。しかしメアリーがその足を引き留めてきた。少女に向き直るとぺこりと頭を下げた。
「わたしメアリーって言います。先生の助手みたいなことをやらせてもらっていて……。あの、もしよければ一緒に朝食を食べませんか?わたし、いつも先生に朝食を作りに来てて、体調が大丈夫でしたらぜひご一緒にいかがでしょう?」
思ってもみなかった提案に少しあっけにとられる。慌てたように男が口を挟んできた。
「メアリー、この方はお仕事で忙しいそうなんだ。それに初対面でいきなり食事に誘うなんて……」
「だってわたしこんなに綺麗なひと見たことないもの!こんな貧民街にいたんじゃ一生お目にかかれない人だわ!それに見たところお茶しか飲んでいないみたいだし……少しぐらいご飯を食べてから帰った方が先生も安心じゃないの?」
メアリーにつらつらと言葉を投げつけられて男はいや、でも、などつぶやいている。そう言われて初めて自分が空腹なことに気づいた。そういえば最近ろくに食事も取っていない。
つくづく今日は思いがけないことが続く日だ。
「そうだな、君がよければご相伴にあずかるとしよう。勿論食材費と手間賃は払わせてもらう」
「えっ」
「初対面で茶に誘われるのも初めてだからな。どうせなら食事もご馳走してもらおうと思ったまでだ」
「そ、それを言われると……。わかりました、一緒に食べましょう。あと、こちらが無理を言ったんですからお金は大丈夫ですよ」
「じゃあ3人分ご用意しますね!えーと・・・・・・」
「アルジェントだ。君はメアリーといったね。朝食、期待しているよ」
そう返すとメアリーは嬉しそうに瞳を輝かせて頷いた。なにか手伝おうとしたが座って待っているように言われてしまった。メアリーが食事を用意している間、男はカトラリーを用意してから、作業机の方からもう一脚椅子を持ってきてそこに座った。
「すみません。お時間とか大丈夫でしたか」
「かまわない。さっきも言ったように部下からも休息を取るように言われていたからな。今日ぐらいは大丈夫だ。それに、ああも懇願の目で見られてはな」
「ははは……、メアリーはいい子なんですけど少し押しの強いところがありまして」
「そのぐらいがいいだろう。これからの時代、女も強くなくてはな」
軍での私に向けられることばを思い出した。女が高い地位にいるのがどうしても気に入らない奴は多かった。実力でものを見ずに表面上だけを見て評価を下す人間は酷く不快だ。
「ところで君の名前を聞いていなかったな。君より先にメアリーと自己紹介をしてしまった」
「そういえばそうでしたね。僕はアッシュといいます」
「アルジェントだ、よろしく」
そう言って右手を差し出すと、アッシュは戸惑うような表情を見せた。
「なんだ?握手を知らないのか?」
「ああ、いえ・・・・・・こちらこそよろしくお願いします」
ぎこちなく握り返してきたその手は白く、柔らかな感触をしていたのだった。




