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01 貧民街の町医者

第1章 貧民街の町医者


帝国エデンは、外から見れば光り輝く都市だった。

大理石の街路、行き交う馬車、風に翻る帝国軍旗。強大な国力を有する帝国エデン、しかしその輝きは表面上だけであった。

きらびやかな帝都から一歩外へ踏み出すと、そこに広がるのは決して光に当たることのない帝国の影。長年続いていた戦争によって一番傷を負っているのは市井の人々だろう。大多数の民衆は今日を生き延びるのに必死だった。


数人の部下を引き連れて、帝都から遠く離れた平民区に滞在し始めてから数日が経っていた。軍から課せられた任務のためにこの数か月、帝国中を転々としている。しかし一向に進展がないまま、心身共に疲労感に満ちていた。

部下と二人、大通りを歩く。町の中はすっかり夜の帳に包まれ、人通りもほとんど無くなった。それでもなお任務のために歩みを進めようとする私に、部下が声をかけてくる。


「ヴァルデュール大佐、少しお休みになってはいかがでしょうか」


今日一日街の中を歩き通しだったが、この程度で根を上げるような部下だっただろうかと振り向くと、彼女の表情を見て私を気遣っての発言だったことに気づく。普段余計な口を開かずに淡々と仕事をする彼女がそう進言してくるほど私の顔色は最悪だったらしい。報告のために他の部下は一度帝都に戻っている。少しでも調査を進めるためにここに残ったが、この状況では効率的な仕事は望めなさそうだった。少し力を抜くように息を吐くと、拠点としている宿へと足を向けた。


「・・・・・・報告に行った者たちが戻ってくるまでは調査は中断だ。それまでは中尉も休息を取るといい」

「承知致しました」


拠点としている宿屋は今にも崩れ落ちそうなほどに古びた家屋だった。埃と黴の匂いが充満しているが、これでもこの辺りの宿屋の中では比較的まともな部類である。もっとも、今まで経験してきた戦場に比べればこんなところでも天国のような環境だ。申し訳程度に備え付けられた椅子に外套をかけ、固いベッドへと身を投げた。すると一気に睡魔が押し寄せてきて、自分が思っていたよりも疲労していたことに気づいた。私はそのまま襲い来る睡魔に身を任せ、意識を手放していった。




***


辺りを包み込む土埃と鳴り響く砲声、体に染みついた鉄錆と硝煙の匂い。人の命がこの腕に抱えた鉄くずより遥かに軽くなる。銃弾の雨が降り注ぐ中を進んでいく。もう自分が何処に向かっているのかもわからなかった。


『アルジェント!』


自分の隣から名前を呼ぶ声がする。自分と同じ軍服をまとったそいつは私の背中を押し出した。次の瞬間、巨大な爆発音と同時に、彼はもう私の名前を呼べなくなった。


『フィン———』


***


声にならない悲鳴をあげながら飛び起きた。月明かりが窓から差し込み部屋の中を照らしている。まだ夜明け前だった。だけどもう一度眠る気には到底なれない、酷い夢だ。

まだ心があの戦場に置き去りにされている。あの場にいたほとんどは自分と同じだろう。それほどまでに酷い場所だった。全員が生きたいと思っているのに自ら炎の中を進んでいく。何もかもが歪んでいる。

気を紛らわすために少し外でも歩こう。そう思い外套をはおり部屋の外へと出ると、数秒後に隣の部屋も音を立てずに開いた。


「大佐、お出かけになりますか」


まったく、随分優秀な部下である。暗に私の護衛に付くといっているのであろうが、私の次に働きすぎな彼女をこんな早朝に連れ出すのもあまりいい気分はしない。それに今は一人になりたい気分だった。


「護衛はいらん。むしろ私に危害を加えられるような奴がいたら、わが軍に勧誘したいぐらいだよ」


そう言うと中尉は少し笑って敬礼をする。


「承知しました。ですがくれぐれもお気を付けください」

「ああ、中尉も休息とはいえ油断しすぎないように」



宿の外に出ると冷たい風が頬を突き刺すように吹いてくる。夜明け前とはいえまだ秋になったばかりでこの寒さとは、冬はどれほど厳しいものになるだろうか。

誰もいない街中を歩いていく。気の向くままに足を運んで数十分は経っただろうか。宿屋周辺よりも更に荒れ果てた路地に来ていた。いつの間にか貧民街の方まで来てしまっていた。この街についてからまだこの辺りは足を踏み入れていない。だが無意識のうちにここまで来てしまった。見覚えのある狭い道を進んでいく。少し開けた場所に出ると、一軒の小さな小屋が見えてきた。中はほのかに灯りがともり、人の気配がする。誰かが住んでいるようだった。近くの瓦礫に腰を下ろし、ぼうっと小屋を眺めた。

私の眼には、幼い少女と母親というありもしない幻影が浮かんでくる。だけど、その幻に私は懐かしさを覚えてうずくまった。

すると、ガチャリと目の前の小屋の扉が開いた。なるべく気配を消していたつもりだったがここの住人に気づかれたらしい。こんな時間に家の前に見知らぬ人間がうずくまっているなんて不審極まりないだろう。慌てて立ち上がりこの場を去ろうとすると、その人物は私に声をかけてきた。


「具合が悪いのですか?どうぞ中に入ってください」

「は、いや、私は……」


不審な人物を前にしてずいぶんと危機感のない事を言う奴だ。この辺りはさほど治安が悪くないとはいえ仮にも貧民街に住居を構えている人物がこんな警戒心のない発言をするだろうか。ふと顔を上げると、小屋の上の方に看板が掛けられていた。『診療所』とそれだけ書かれている。なるほど、この住人は診療所を営んでいて、こんな時間に目の前でうずくまっている私を見て患者だと勘違いしたようだった。


「散歩をしていたんだが少し休憩していたんだ。ここが診療所とは知らず申し訳ない」

「そうですか……。ですが顔色が良くないですよ。本当に具合は悪くないですか?」


灰色の髪をした小柄な男は、私の顔を見て少し驚いたような表情を見せたが、すぐにこちらを心配する様子を見せた。普段の自分であればさっさとこの場を立ち去るはずなのに、なぜか目の前の男との会話を続けてしまった。


「いや、最近仕事が忙しくて少し疲労がたまっているだけだ。それ以外は特に体に問題はない。こんな時間にすまなかった」

「あ、いえ……こちらも余計なお節介をしてしまって申し訳ないです」

「お気遣いありがとう。では失礼する。」


もと来た道を戻ろうと踵を返す。すると、背後から男がまた声をかけてきた。


「あ、あの!」

「?どうかしたか」


男は思わず声をかけてしまったという雰囲気だった。視線をうろうろと漂わせたが、やがてもう一度口を開いた。


「夜も明けていないのに女性の一人歩きは危険ですよ。良ければ明るくなるまで中でお茶でもいかがですか。疲労に効くお茶もあるんです」

「いや、私は……」


見ず知らずの人間にここまでするだろうか。仮にも私は女である。今は任務のために軍服もまとわずにいるため傍から見ればただの女だ。一応、貴族令嬢という立場も持ち合わせているため、社交界では私に不快な視線をよこしてくる奴もいる。大人しそうな顔をしてこの男も実は私になにかしようとでも考えているのだろうか。だが、目の前の男からはそんな邪な雰囲気は一切せずに、ただただこちらを心配して声をかけているように見えた。純粋な善意が見て取れたのだ。

私は少し考えこみ、やがて小屋の方へと足を踏み出した。


「では、お言葉に甘えてお邪魔しよう」

「よかった、いまお茶を沸かすので腰掛けて待っていてください」


少年のような、どこか心地よいその声を聞いてなぜか私は、この男ともっと話していたいと思ったのだ。


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