小さな不快
「すみません、遊佐です。あっ、お疲れ様です。……実は、風邪を引いてしまって――はい、えっと三度八分ほど。……いえ、コロナでは、あっ、はい。インフルでも。えぇ、病院の帰りで。はい、はい。ただの風邪なんですけど、えぇ、すみません。はい。ありがとうございます。はい、お疲れ様です」
心臓の鼓動が細かに刻まれる、わずかな時間。携帯の電子音が耳から遠ざかり、そこへ戻るのは街の喧騒。人の音。静かに、深く吐いた息は、道路を走る自動車に連れて行かれ、遊佐ほのかの胸に残るは、微かな心地良さが染みる罪悪感だった。空は、青い。
「どうだった?」
前を歩いていた佐々木美優が振り返る。彼女のイタズラをした後のような顔に、ほのかの罪悪感は消えていき、親指を立てて笑う。「余裕ゥ」。スマホが鳴り、画面に映し出される『夜、入れる人探しています』のメッセージ。ふっと湧いた申し訳なさと、妙な達成感。完全犯罪の濃厚な味わい。
「良かったァ。じゃあ、これからどうしよ」
「んー」
頭を悩ませる二人の中には、実のところ、何の計画もなかった。ただ高校の終わり、アルバイトまでの時間を適当に潰そうと、街へ出て、ブラブラしていた開放的な快楽に、ふと湧いた――バイトを飛んでやろう。ほのかが口にすると、美優は乗り気に「いいじゃん。やったれぇ」。クスクス、笑いを堪えて押した通話ボタンの感触が、ほのかの指先にひんやりと残っていた。
「カラオケはぁ――」
「んー」
「飽きたよなァ。……ボーリン――」
「あー」
「ないよね。……なら、カフェとか?」
「良いとこある?」
「この辺だったら、ヨタカとか」
「行ったことないや」
「じゃ、行こう!」
ほのかは思った。バイトに行けば良かった、と。しかし、その一方で、美優もまた、カフェかぁ、と納得のいかない心境だった。ほのかはいつも自分の行きたいところを優先させる。淡い不満は、しかし、喧噪の中へと埋もれてしまう。どうでもいい――なんて、感情を消そうともせずに、全くの無意識で、携帯で調べた「ヨタカ」と言うカフェの写真に「えっ、めっちゃ良い感じ」と表も裏もない感想を口にする。
「チーズケーキがね、もうすっごい美味しいから」
と、ほのかの頭もまた、美優への不満を消そうともせずに失って、思い出すバスクチーズケーキの、しっとりとした口触りに、気分を高鳴らせるのであった。




