家を追い出された令嬢が幸せを掴むまで
「すいません」
大きな屋敷のドアノッカーで訪問を知らせる女性。
「すいません」
確かにここのお屋敷のはずよね。
屋敷のドアの前で待つこと10分。ガチャ。
「ん?新しくきた使用人かい?」
出迎えたのは恰幅のいい女性だった。服装からは使用人だと言うことはわかる。
「あの……私は……」
「さぁ、入って今日は忙しいのだから、先ずは着替えて……部屋はこっちだよ」
「あの……私は……」
「今日は大切なお客様が来るからね。着替えたら玄関ホールの掃除だよ」
使用人の女性は屋敷の中へ招き入れ使用人の部屋へと案内する。
「ほら、ここがあんたの部屋だよ。随分と細っこいのが来たわね。制服を持ってくるから待ってな」
案内された部屋は狭いがきちんと掃除してあり、陽当たりのいい部屋であった。
「ここが、今日から私の城ね。お父様は嫁入りと言っていたけど使用人として行けという事だったのね」
荷物を片付けていると先程の使用人の女性は制服を持って戻ってきた。紺色のワンピースに白いエプロンの制服であった。綺麗に洗濯されアイロンがけされた制服にドキドキしたのだった。早速着替えるアシュリー。
「着替えました。よろしくお願いします。アシュリーと言います」
「似合っているじゃないか。私はメアリーだよ。昔からこの屋敷で働いている。さあ、お客様を迎える準備があって忙しいからね。来て早々悪いが、よろしく頼むよ」
「こちらこそお願いします」
早速、玄関ホールへ連れて行かれ掃除道具を渡される。メアリーと一緒に掃除をするアシュリーであった。
「すまないね。今日は人手が足りなくて階段の掃除ができていなかったんだよ」
メアリーはアシュリーに雑巾を渡し指示を出す。一緒に階段や窓など綺麗に拭き掃除をする。玄関や階段には高そうな壺が置いてある。
丁寧に拭きあげると一層キラキラと輝くのだった。
「アシュリーは、随分と手際がいいね。助かるよ」
「実家でもしていましたので」
次に案内されたのは厨房だった。
「アシュリーだよ。使用人として旦那様が雇ってくれたようだ」
「よろしくお願いします」
本日の夕食の準備を手伝うアシュリー。料理人は忙しそうに下処理中である。
「嬢ちゃん、早速だが洗い物を頼めるか?俺はハンクだ」
「アシュリーです。こちらのお皿ですね。」
「すまないね、急に知らされてたもんでな。前もって言ってくれれば良かったのだが」
綺麗な食器が並べられている。棚の奥から出したのだろう、埃が被っている。それを落とさないよう丁寧に洗い拭いていくアシュリーであった。
「嬢ちゃん若いのに随分と慣れているな」
「はい。実家でも私の仕事だったので。ハンク様、次はこちらの皮を剥くのですね」
「いや〜助かるよ。今日は、旦那様の新しい奥様が来るからな」
洗い場には綺麗に洗われた野菜類が水に浸かっている。冷たい水の中から野菜を取り出し包丁で次々と皮を剥くのであった。
「まあ、それは楽しみですね」
「まあ、旦那様はミザリー奥様の事があってな……。まあ、嫁いでくる新しい奥様には辛いかもしれないが、せめて幸せな結婚となるように旨い食事でもな」
「まあ、そうなんですか……旦那様にはミザリー奥様を今でも想っているだなんて小説のようですわね」
「いや……別の理由だよ。まぁ、働いていればわかるよ」
「別の理由ですか……」
意味深な表情を浮かべるハンクであった。使用人の数は全員で10名であり、ほとんどが古くから屋敷に努めているとのことであった。
「さぁ、嬢ちゃん、次はこっちを手伝ってくれ」
「はい。ハンク様」
◆◆◆
「旦那様……いよいよですね」
「あぁ、しかし私はミザリーの事が……」
「旦那様……」
「わかっておる」
執事は隣で嫌そうな顔をする主を見つめる。
主はハルト・ランクスベル公爵28歳である。先日、大旦那様より家督を譲られた男ハルトは25歳の時に1度結婚するも妻は結婚前から付き合いのあった不倫相手と旅行中に馬車の事故に遭い亡くなったのだった。
バツイチとなったが元々見た目のいいハルトは未亡人や令嬢たちから言い寄られるも前妻の浮気からかすっかり女性に対し不信感を抱くようになっていたのだった。前日、父親から届いた1通の手紙。そこには自分が新しい妻を迎える事になった事と本日その女性が屋敷に来るとの知らせであった。ハルトは1人息子であった為、他に後継ぎはいない。そして前妻との間にも子はいなかった。
「坊ちゃん……諦めてください」
「……坊っちゃんはよせ」
「はい、旦那様……」
◆◆◆◆
「料理長、味見をお願いします」
「うん。旨いじゃないか。実家でも料理をしてたのか?」
「はい、実家は貧しくて……いや私だけ貧しかったので、掃除、料理、洗濯は私の仕事でした」
「嬢ちゃんだけ貧しいのか……坊ちゃんは優しいお方だから、長く勤められるといいな。嬢ちゃん名前は?初めに言ってくれたが忘れてしまったわい」
「アシュリーです」
「そうか……ん?どこかで聞いたような……」
「どこにでもある名前ですわ」
「そうだな、嬢ちゃん盛り付けを頼む」
実家から、この屋敷に嫁げと言われ家を追い出された女性の名はアシュリー・トリスタン17歳侯爵令嬢である。
5年前アシュリーが12歳の時に母が病で亡くなった後、数日後に突然やって来たのは以前から父の愛人であった女性とその子供ミーシャだ。勿論、ミーシャは父の子である。私と同じ年齢……母はなぜ我慢していたのだろうか、さっさと離婚すればよかったのに。
そして、父は母が亡くなり半年もしないうちに再婚したのだった。
新しく義母となった女性メリンダは、私の母のせいで父とは結ばれなかったと言い私にキツく当たる。それを見ても父は何も言わない。そして義妹となったミーシャは私の物を全て奪ったのだ。日当たりのいい部屋、母から譲り受けたドレスや宝石類……そして大好きだった婚約者も。
「お義姉様……私とエリオット様は愛しあっているのよ。だから私と結婚することになったから」
「え……」
「アシュリー……君との婚約は解消しミーシャ嬢と婚約をする」
少し顔色の悪いエリオットはアシュリーに婚約解消を告げる。
「お父様……エリオットとミーシャがですか?」
「そうだ、アシュリーよりもミーシャの方がエリオット殿にお似合いだからな。エリオット殿これからも我が家をよろしくお願いします」
「パパ?ここで私とエリオット様は住むのよね……お義姉様に虐められたら私……私……とても、怖いわ」
――ミーシャ?何を言っているの?私の方がお義母様とあなたに虐められて怖いのよ。
「そうだなアシュリー、お前は今すぐ、この家から出て行け。既にお前とエリオット殿の婚約の解消の手続きも受理されている。それにお前にも既に縁談を用意しているからな。喜べ相手はランクスベル公爵だ」
「パパ……公爵なの?」
ミーシャは父親に尋ねる。そしてミーシャは思う。エリオットの実家は貴族ではない、大きい商家だが平民なのだ。私より上の身分にアシュリーが嫁入りするなんて許さないわ。
「ミーシャ、安心しろ……ランクスベル公爵は今年60才だ。介護要員の為の結婚だろう」
「そう……それならいいわ」
パパが私よりいい所にアシュリーを嫁がせるはずがないと安心するミーシャであった。
「……エリオット様、色々とお世話になりました。お父様、お世話になりました。それでは失礼します」
アシュリーは角部屋の薄暗い部屋へと戻る。
「とっくに両家での話し合いはしていたのね」
ノックの後、アシュリーの部屋のドアが開く。
「アシュリー……大丈夫か?」
「エリオット。大丈夫?見られたら大変よ」
「大丈夫だ。手洗いに行くと言ってきた」
「幸せにな」
「エリオットこそ……しかし既に解消手続きが済んでいたなんてビックリよ。エリオットも教えてくれないのだから」
「君が悲しむだろうからと、あの女が言うなと脅してきた……性格が悪すぎるよ」
「さよならだね。エリオット……寂しいわ」
「僕もだよ」
エリオットはアシュリーを抱きしめ頬にキスをする。
「アシュリーには恋人らしいことしてあげてなかったからな。好きだったよ。可愛い僕の天使」
「今だから言うけど私の初恋だったわ……ずっと大好きだったのよエリオット……幸せにね」
眼を見開くエリオット。
「アシュリー……君は俺の事を?」
「大好きだったわ。だからお母さまに婚約者は誰がいいかと聞かれ、エリオットと答えたのよ。エリオットにとって私は妹だったのでしょう?ほら、早く戻って、ミーシャに見つかると大変よ」
「あぁ……行くよ。困ったら手紙を……って無理か」
「ありがとう、エリオット」
「公表はまだしていないが今はランクスベル公爵家はね、後継者が変わったんだよ。だから介護要員ではない。きっと幸せになれる。だから、できるだけ悲しそうな顔をして出て行くんだよ」
「わかったわ。エリオット……幸せに」
「あぁ……」
――アシュリー幸せにな。俺では君を救えなかった……俺はアシュリーには相応しくない男だ。しかし、アシュリーも私の事が好きだったとは……あの女達がここに来なければ、もう少しアシュリーに自分の気持ちを伝えていたらアシュリーと結婚する未来もあったのかな……。
エリオットは再びアシュリーを強く抱きしめ、頬や瞼に何度もキスをするのであた。そしてアシュリーは最後にエリオットの唇に口付けをし部屋から押し出すのであった。1人となった静かな部屋で朝まで声をひそめて泣くのであった。
エリオットとの婚約が解消され翌朝早朝にアシュリーは父親から相手方には本日伺うと知らせを出していると父から告げられ、馬車代を渡され家を追い出されたのであった。荷物はカバン1つ。
中には隠し通した母からの形見のペンダントとエリオットからもらった宝物と数着の洋服だけだった。アシュリーはあの家から出られた事に感謝したが心残りはエリオットの事だけだった。
辻馬車で行こうと停留所で待っていると、一台の馬車が止まる。エリオットが手配した馬車だった、ありがたく馬車で嫁入り先のランクスベル公爵の屋敷へと向かう。
エリオットとアシュリーは5才歳が離れていたが幼馴染であり婚約者であった。2人が婚約したのはアシュリーが10才、エリオットは15歳の頃だ。アシュリーの母は病気であり、先の事を心配しての婚約だった。ところがアシュリーの母が亡くなり、父親の愛人と子が屋敷に来てからはアシュリーに対する嫌がらせが始まったのだ。さらに義妹ミーシャはアシュリーに対する嫌がらせと見目のいいエリオットを手に入れようとエリオットに近づいてきたのだった。
そう……エリオットの見た目はいいのだった。商売の為ならと数多くの未亡人とも関係を持っていた事もアシュリーは知っていた。エリオットは家の為の道具として扱われていたが自分と結婚することで彼が家族と離れる事が出来ればと思っていた。
アシュリーの家は男爵ではあったが古くからの貴族である。貿易商を営むエリオットの両親は、それを存分に利用しようとしていた。貴族との縁続きは商売にも充分に役立つ為、アシュリーとミーシャの婚約者の交換を承諾した。商売を考えると姉妹のどちらと結婚しても問題はなかったからだ。エリオットも両親にとっては後継ぎとして長男がいるため次男であるエリオットは商売の為の駒にしか過ぎない、そのためエリオットには家の商売の為と言い未亡人の夜の相手をさせていた。
エリオットは最初、嫌がっていたがアシュリーの為だと言い、そして結婚したらあの家からアシュリーを出す事を条件にエリオットは嫌々、未亡人の相手をしていた。
◆◆◆
アシュリーとエリオットの婚約が解消となる少し前。
「父上、約束が違う。なぜアシュリーの妹と結婚するのですか?」
「アシュリーの父親からの打診だ。約束は守るよ」
「どういうことですか?」
「アシュリーはランクスベル公爵の元に嫁入りする。嫁を探していると聞いたからな。これでアシュリーは家を出ることができるぞ」
エリオットは急ぎランクスベル公爵の元へと向かうのだった。それが後にエリオットとアシュリーの運命を変えることになるのだが、まだ先のことである。
◆◆◆
「坊ちゃん……婚約者殿に何かあったのでは」
「遅いな……確かに今日で合っているよな」
「はい……本日お越しになる予定です。もうすぐ日が暮れますね」
その頃、アシュリーは何をしていたかというと。
「遅いですね。新しい奥様」
到着が遅い奥様を待つアシュリー。
「そうね、少し旦那様に様子を伺って来ようかね」
「私も一緒にいいでしょうか、まだ雇い主である旦那様に挨拶をしていないのです」
「おやおや、それはダメだ。一緒に行こうか」
「はい。メアリー様、よろしくお願いします」
使用人のメアリーと供にハルトの元に向かうアシュリーであった。
◆◆◆
コンコンコン。
「入ってくれ」
メアりーとアシュリーは執務室にはいる。
「旦那様……あの奥様は?」
「まだ……来ない」
「まだって……もうすぐ日が暮れるのに」
「きっと……私と結婚するのが嫌になり駆け落ちしたんだよ……だから嫌だったのだ。再婚なんて……」
机に向かいブツブツと言っている男。
「あの……」
「ん?君は?」
ゆっくりとハルトは顔をあげる。
「おや、旦那様、新しい使用人ですよ。新しい奥様の為に雇ったのですよね。とても働いてくれて可愛らしい子ですよ」
「は、はじめまして。アシュリーです。アシュリー・トリスタンです。今日からよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるアシュリー。
「ん?アシュリー?トリスタン?」
「はい。父から、このお屋敷に行けと」
「……メアリー、そちらのお嬢さんはいつから屋敷に?」
「はい、今日の朝早くに1人で……」
「1人で?」
「はい……、ここまではある方のご好意で送って頂いたので予定より早く到着しました。これから、よろしくお願いします。精一杯お仕事します」
「…………あはははは」
突然、笑い声をあげる男。
「坊ちゃん?」
執事は驚く。
「ふふふっ、坊ちゃんはよしてくれ。さて、私の花嫁は既に到着し家の使用人と仲良くしていたのだったのだな。よろしく。君の夫となる予定のハルトだよ。ハルト・ランクスベルだ」
「あなたが?」
目の前にいる男ハルトはサラサラの金色の髪にブルーの瞳で笑うと目元が下がる可愛らしい顔付の男だった。
「メアリー……来客の際は確認してほしいな」
「しかし……坊ちゃん。アシュリー……いえ、奥様は1人で……荷物もカバン1つだったので……てっきり使用人かと」
「メアリー様……アシュリーとはもう呼んでくれないの?」
「あ、あの坊ちゃん……」
メアリーは困ったようにハルトを見る。
にこやかに頷くハルト。
「アシュリー様、よろしくお願いします」
「嬉しいです。メアリー様」
「私の方こそ『様』は、いらないよ」
「旦那様?」
アシュリーはハルトに問う。
「可愛らしいお嬢さんから旦那様と呼ばれるのは悪くないな」
「私の夫となる方は……もっとお年を召していると聞いています」
「あぁ……私は先日、家督を譲られたのだ。発表はしていないからね、君の父上は君にどう説明したのかを知りたいから夕食の後に時間をもらえるかな」
「わかりました」
「さぁ、花嫁がきたので食事をしようか」
使用人も一緒に夕食を囲み、とても楽しく美味しい食事となった。
その際に、改めて皆の前で紹介されるアシュリーであった。
「坊ちゃん……アシュリーが作った料理ですよ」
「アシュリーが?」
「はい、実家では私の食事はありませんでしたので……それに1人で食べていたので、今日は夢のようです」
「アシュリー……偉かったね。まだ17歳なのに何でも出来て、ここでは、皆が家族だからね」
嬉しそうに笑顔で礼を言うアシュリーにハルトの顔は紅く染まるのであった。
その後も食事会は続いた。
「ん?アシュリー?寝てる?」
「朝からずっと働いていたからね。坊ちゃん……良い子が来てくれましたね。それに……色々と訳ありでしょうか」
「そのようだね。でも……私もとても楽しい食事だったよ。皆……ありがとう。話したい事が沢山あったけど、明日にするよ。誰か……アシュリーを部屋まで……」
使用人は誰も動こうとしない。
「………………誰か?」
「坊ちゃんしか、いません」
「そう?」
「夫となる人の役目ですよ」
「わかったよ」
アシュリーを抱き上げる。
「随分と軽いな……17歳だったよね。子供みたいだ」
ハルトはアシュリーを本来使用するべき部屋へと運ぶ。ゆっくりとベッドに寝かせて寝顔を眺める。
「参ったな……随分と可愛いらしい子が嫁としてきたな」
そっと頭を撫で額にキスを落とすハルトであった。
執務室に戻るハルト、そして執事にアシュリーの実家について調べるよう指示をだす。すかさず執事は資料を差し出す。
「大旦那様からです。聞かれたら渡せと」
「さすが父上だな。ゆっくり読むから下がっていいぞ。お疲れ様」
執事はハルトに一礼し執務室を後にした。
「はぁ……」
資料を途中まで読み、天を仰ぐハルト。
資料には実母が亡くなり半年後には後妻と腹違いの同い年の妹。そして実家での生活が書いてあった。どこからこの情報を手に入れたのか不思議であった。本来なら外に隠すべき内容である。アシュリーの実家の使用人からの情報だろうか。母が亡くなり後妻と義妹からの嫌がらせ、守ってくれない父親との生活……アシュリーは1人で食事を摂ると言っていた。ハンクからアシュリーは自分だけ貧しかったと聞いていた。最後まで読み進めると情報源はアシュリーの幼馴染であり婚約者だった男の名前が書いてあった。その彼は義妹の婚約者となった事も。
「アシュリー……君は……」
気がつくと再びアシュリーの眠る部屋へと来ていた。
すぅすぅと寝息を立て眠るアシュリーは小さく身体を丸めて眠っていた。アシュリーの部屋のソファに横になる。
部屋にはアシュリーの寝息が聞こえる。その寝息を聞きながら……眠る。身体が痛くなり目を覚ますがまだ夜明け前であった。身体にはアシュリーが使用していた掛け布団がかけられており、ベッドには身体を丸くし眠るアシュリー。
「寒いだろ……」
そう言い、眠るアシュリーに布団をかける。ハルトは少し悩みベッドへと横になり一緒に眠った。
モゾモゾと腕の中で動くアシュリー。
「ん?アシュリーおはよう」
アシュリーは自分が抱きしめられいる事に驚いている。
「……ハルト様、おはようございます」
「うん。おはよう。もう少しこのままでいいかい?」
「…………」
「少し君の話を聞かせて、夫となるからね。隠す必要もないし、ここでは君は大切に……いや、幸せに暮らしてほしいからね」
アシュリーは話し始める。実母の事、父親、義母、義妹の事を……そして最後に婚約者の事を話す。
「ゆっくり夫婦に、そして家族になろうね」
アシュリーは泣きながら抱きついてきた。頭を撫でながら抱きしめる。ハルトにとっても心地いい時間となった。
その後は、一緒に朝食を取り屋敷の中を案内する。
使用人と仲がよいアシュリー、時折、屋敷の掃除も一緒に行う。その様子を時々ひっそりと見ているハルト。
アシュリーが屋敷に来てから1ヶ月が過ぎた。
少しずつ仲良くなる2人は手を繋ぎら時々キスを交わす関係となっていた。
いつものように夕食後に2人で過ごす。
アシュリーは夕食後、2人で過ごすこの時間が好きだった。ランプの光に照らされたハルトの髪はオレンジ色に染まる。そして、並んでソファに座るアシュリーの肩を引き寄せ話をする。ハルトからは、自分と同じボディソープの匂いがする。
「アシュリー、来週パーティーがある。私のお披露目式だよ。アシュリーにも参加してもらいたい。私としては妻として紹介したいと思っているがどうかな?」
「あの……ハルト様。私でいいのでしょうか?」
「ん?」
「ハルト様は、とても素敵で私よりも相応しい人がいるのではないかと」
「アシュリー、こっちへ」
「私は……」
「どうしたのだ?」
「あの……私の話を聞いて欲しいのです。もし、妻として認められないのなら使用人としてでも置いて欲しくて……」
「どうした?大丈夫だから話してみろ」
「あの……私……」
――――純潔ではないのです――――
「旦那様、すいません、すいません。追い出されたら私……私……」
「大丈夫だ。だから少し話をいいかい?」
「うっ、う……はい」
「純潔を失ったのは合意の上かい?誰かに乱暴されたり、強要されたのではないのか?」
「違います。私は……私達は……合意の上で……」
「相手は元婚約者かい?」
「はい……彼は悪くないのです。私が……私から求めたのです」
「家族は知っているのかい?」
「私の家族は知りません。どうか……追い出さないで下さい」
「彼との事を教えて、大丈夫だから」
アシュリーは話す。エリオットとの事を。
「そうか……彼もまた家族の犠牲者なのか……男娼ね。しかし、なぜ義妹の婚約者に変わったのかな」
「義妹は私の全てを奪いたいのです。私達が関係を持ったのは母が亡くなり……2年程たった頃です。家族との関係を知った彼は私を連れ出そうと……しかし、彼の両親に見つかり、私の父に内密にする代わりとしてエリオットに……未亡人の相手をし仕事となる縁を繋げと……」
「酷い話だな」
「それで、私は……私達は初めてを……それからは……彼が未亡人の相手をする事になり、心を病んでいく彼を見ていられずに互いに求めるように……」
「最後にしたのは?」
「2ヶ月前です。きっとその頃から婚約解消の話があったのかと思います」
「そうか……子は?」
「先日、月のモノも来ました」
「そうか、私も初めては前妻ではないし、前妻もそうだ。だから純潔にこだわりはない。アシュリーは私と肌を重ねるのは嫌かい?」
首を振るアシュリー。ハルトはアシュリーを抱き上げベッドに運ぶ。
「さて、本当の夫婦になるよ。籍を入れる前だし嫌なら待つが……」
アシュリーはハルトに抱きつく。
「私はアシュリーの事を好きになってしまった。そして可能ならば、このまま抱きたい」
「ハルト様、わたしも大好きです。私をハルト様の妻にしてください」
そして2人は身体を重ねた。
翌朝。
「坊ちゃん……まだ寝てるのですか?」
ハルトの寝室に入るメアリー。
「いないわね。まさか……」
アシュリーの部屋をノックし静かにドアを開ける。
「ん……メアリーかい?アシュリーはまだ寝ているから……起こさなくていい」
ベッドから出てくるハルトは裸であり、床から下着を拾い着用する。
「坊ちゃん……?」
「先に頂いた。私は自分が思っていた以上に独占欲が強いようだ」
そっとアシュリーの額にキスをする。
「坊ちゃん……そのままでいてください。飲み物と食べ物は廊下に置いておきます。アシュリー様が起きた時に1人だと不安に思いますわ」
「そうか……すまないな。私ももう少し眠るよ」
「はい、それでは失礼します」
日が高く登った頃、目を覚ますアシュリー。
「ん……旦那様……」
「おはよう……」
アシュリーにキスをするハルト。
「名前で呼んで欲しいな。できれば『様』もいらない」
「ハルト様……ハルト」
「いいね。アシュリー、結婚式の準備をしようか」
「結婚式ですか」
「あぁ、すぐに私の妻にしたい。君をあの家から籍も抜いてしまいたいと思っている。あの家の子でいた方がいいかい?」
「いいえ、あの家から出たいです」
そして、急ぎ準備をし街の教会で結婚式を挙げたのだった。翌週の夜会でも発表され多くの女性のため息が会場内に響くのだった。
入籍から3ヶ月後。
「ハルト様……あの……聞いて下さい」
「ん?どうしたのかな?」
「私……私、お母さんになります」
「え……」
「ハルト様はお父様です」
「アシュリー、俺が父親に?」
「はい」
「アシュリー、ありがとう、ありがとう」
ハルトはアシュリーを強く抱きしめたのだった。
その頃、アシュリーの実家では。
「ミーシャ、お前は何という事をしたんだ」
「だって……エリオット様は……それに公爵が代替わりをして、あんなに素敵な方がアシュリーの夫となるだなんて悔しくて」
「そうじゃない、なぜ2人きりで王族と……王弟と会っていたのだ?お前は王城に呼ばれた、これから一緒にいくぞ」
「え……いや……私は……ただ」
「いいか、ミーシャ。私は怒ってはいない。よくやった、エリオット殿との婚約も解消となるだろう。側室になれるぞ、子は?王弟との子は出来ていないのか?」
「パパ……」
エリオットの実家でも同じ頃。
「父上……私は」
「ミーシャは王弟と関係を持ったようだ、王弟も彼女を気に入ったようで王家から婚約解消をしてくれとな。エリオット、よくやった。これで王家から多額の慰謝料がもらえる。他にも色々とな。エリオットは以前と同じ様に我が家の為に働け。またいい縁を探す」
「…………」
――結局、僕は逃げられない。逃げてしまいたい。
◆◆◆
アシュリーの妊娠がわかり半年が過ぎた。
「アシュリー、だいぶ大きくなった」
「はい、楽しみですねハルト」
夫婦の大切な時間、2人で仲良く夕食後にのんびりとする。アシュリーの大きなお腹を撫でながらハルトは言う。
「あぁ、そうだ……子供の名ま……がはっ……」
突然ハルトは吐血する。ハルトの血で2人が赤く染まる。
「へ?何……ハルト。いやっ……ねぇ……誰か……誰か来て」
大きな声で叫ぶアシュリー。
急ぎ執事は2人の寝室に入り、血まみれのハルトに抱きつくアシュリーを見る。急ぎ、使用人に指示を出す。
「アシュリー……大丈夫だよ」
「ハルト……私……私……」
執事は医師を呼び、ハルトは診察を受ける。
夫は今、診察中である。
「大丈夫かしら……」
「奥様……大丈夫ですよ」
ガチャ、医者が顔を出す。
「先生……夫は……」
「奥様……中に」
部屋に入るとハルトはベッドの中だ。
「はっきりといいますと、公爵は病ですね」
「え……嘘よね。ハルトは死んじゃうの?私……ハルトと離れたくないの。私達を置いて行かないで」
「あの……奥様……聞いて下さい」
泣きながら夫であるハルトに抱きつくアシュリー。
「ハルト様は胃潰瘍です。ストレスによるものです。お薬を飲んでもらい、これからはしっかりと休息を取って下さい」
「へ?胃潰瘍?ストレス?ハルト?」
「すまない、最近……忙しいからな」
気まずそうな顔をするハルト。
「ハルト?大丈夫なの?私達を置いて行かないの?」
「あぁ……アシュリー、愛している。ずっと側にいさせて欲しいな」
「私も愛してるわ。ずっと……一緒よ」
アシュリーは泣きながら夫であるハルトに抱きつく。ハルトはアシュリーを強く抱きしめる。そして、医師に頭を下げるハルトであった。
コンコンコン。
ハルトの元を訪れたのは執事である。
ランプの灯りに照らされた室内。聞こえるのはアシュリーの穏やかな寝息。静かに執事はハルトに声を掛ける。
「坊ちゃん……」
「すまないな……アシュリーは泣きながら寝てしまったよ」
「奥様は疲れたのでしょう。ぐっすりと眠っていますね」
「……すまないな。私は長く生きられないようだ。胃潰瘍ではなく……その……」
「坊ちゃん……最後まで言わなくていいのですよ」
執事はハルトが幼い頃から屋敷に勤めている。もう1人の父であり兄の様な存在であった。前妻の不貞に心を病み社交の場から退いたハルトを支え、新たに妻として迎えたアシュリーとの穏やかな生活の為に支えてくれた信頼する男である。
「……あぁ、アシュリーと出会う前はいつ死んでもいいと思っていた……しかし、彼女と出会い結婚し……子供も生まれる。私は……生きたい……彼女の側で子の成長を見ていたかった……」
泣き疲れて眠るアシュリーの頭を撫でる。
「……坊ちゃん」
「医者の見立てでは短くて半年……長くても数年だと……」
「坊ちゃん、私共に出来る事は?」
「第一はアシュリーの幸せだ。そして、私がいなくなった後……彼女を支える人を……ずっと考えていた。思い当たるのは1人の男だ」
「……アシュリー様の元婚約者……」
「そうだ。彼の今を調べてくれ、父上にも相談する」
「わかりました」
1ヶ月後、屋敷に産声が聞こえる。
「ハルト……私達の子供よ」
「あぁ、可愛いな。アシュリーにそっくりだよ。可愛らしい男の子になるな」
アシュリーとハルトの元にやってきた可愛い天使の名は。
「ヨハン、パパだよ」
「ヨハン、ママよ」
ヨハンは2人の愛情をたっぷりと受け、可愛いしく賢い子と育っていく。ハルトは休日となると家族と共に出掛け、時折アシュリーと二人きりでデートをする。
そんなある日。
結婚し子供が生まれてからも変わらない習慣。夕食後の2人の時間、そこでアシュリーはハルトに言う。
「ハルト……そろそろ教えて」
「ん?」
「あなたの病は治らないの?私が気付かないと思って?」
1つ溜め息を付きアシュリーを抱きしめる。
「ふふっ、すまないね。しかし、当初の見立てでは短くて半年だった。しかし、どうやら愛の力なのか三年がたった……最近は体調を崩す事も増えて来たからね……良くはなっていない事は確かだ」
「そうなのね……。ヨハンは春には3歳になるわ。私……もう1人あなたの子供が欲しいの」
「アシュリー……しかし……私は……」
「大丈夫よ……愛の力でしょ」
「……愛しているよアシュリー、私と結婚してくれて……家族になりそして可愛い我が子をありがとう」
アシュリーを抱きしめキスをする。
ヨハンは3歳の誕生日を迎え、そしてアシュリーは再び愛する夫ハルトの子を妊娠したのだった。
少しずつ体調を崩す事が増えるハルト、アシュリーは変わらずハルトへ愛を注ぐ。ハルトもまたアシュリーを愛し大切にしている。
当初、電撃結婚をした二人の現在は社交界きってのおしどり夫婦である。
アシュリー22歳、ハルト33歳の冬。屋敷内に可愛い産声が響く。
「ハルト、女の子よ。貴方の色ね。とってもきれいなブルーの瞳よ」
「アシュリー、愛している。ありがとう、よく頑張ったな」
「ママ、パパ。僕、お兄ちゃん?」
「あなたの妹よ、守ってね」
「パパ、名前は」
「グレイスだ。ヨハン、約束して。ママとグレイスを守れる強くて優しい男になるんだぞ」
「わかったよ。パパ、僕ね沢山勉強するよ。そしてパパみたくカッコいい男になるよ」
グレイスが生まれて1年。
体調を崩す日が多くなるハルト。休日に客が来ると言い、客室にてアシュリーと2人お茶を飲み待つ2人。
「アシュリー話がある」
「どうしたの?」
「私に弟が出来たんだよ」
「え?お義父様は若い奥様を迎えたの?」
「あはは、違うよ。今日はその義弟を紹介するよ」
「どんな方かしらね」
コンコンコン。
「入ってくれ」
「はい、失礼します」
ゆっくりと客室に入ってくる男。その男の顔を見て驚くアシュリー。
「え……エリオット?どうして」
ハルトはエリオットに座る様に言い、話し出す。
自分の病気が見つかった後、今後を考えた上で後継者となるヨハンが成人を迎えるまでの間、自分の代わりとなる代理の後継者が必要となる。そして、悩み考えて出した答えがエリオットだったと。彼を父の養子として迎え、領地経営について3年前から父親の元で働き勉強してもらったと。
「ハルト?どうしてエリオットなの?」
ハルトは話を続ける。この先、子供達だけではなくアシュリーの側にも守ってくれる人が必要だから、その適任がエリオットだったと。
「まぁ、私も生きているうちはアシュリーを彼だけではなく他の男にも渡すつもりはないけどね」
ハルトはアシュリーを抱きしめエリオットに伝える。
「アシュリー様、よろしくお願いします。エリオット様……この度は私をあの家から救って頂きありがとうございます」
「エリオット……あなた……ミーシャとは?」
本来ならアシュリーと婚約が解消され、義妹のミーシャと婚約し結婚し子供がいてもおかしくない位に年月は経っていた。アシュリーは実家とも縁を切り、必要最低限の社交しかしない為に元実家の情報は何も入ってはこない。
「アシュリー……様?ハルト様は奥様には何も伝えていなかったのですね」
難しい顔でハルトを見るエリオット。
「愛しい妻は手元で囲っておきたいのでね。社交でいらぬ情報が入らないようにしていたのだよ」
笑顔で返答するハルトであった。
「アシュリー様が家を出てから……ミーシャ嬢は王族の方と関係を持ち王宮へとね」
アシュリーの義妹ミーシャは王弟と関係を持ちミーシャを気に入った王弟はミーシャを愛妾として側に置き、時折訪れる王弟の友人達の相手をさせているのであった。屋敷からは出る事は許されず不妊処置もし王弟が飽きるまでミーシャは離宮と言う檻の中で暮らしていく事となった。
「それじゃあ、エリオットは」
「すぐにミーシャ嬢とは婚約を解消した。王家から慰謝料をたっぷりと頂いたと父は喜んでいたよ。俺は実家に戻り、昔と同じ生活だったよ。私はハルト様に救って頂いたんだよ」
「そう……家から出られたのなら良かったわ」
複雑な顔をするアシュリーを見てハルトは。
「アシュリー?君は私の妻だからね」
「ハルト……少し驚いただけよ。私が愛しているのは貴方よ」
「私もだよ。アシュリー」
そこからはハルトの元で働くエリオットであった。ゆっくりと時は流れ、アシュリーは25歳となり穏やかな日、エリオットは愛する妻アシュリーと子供達に見守られ静かに息を引き取った。エリオットは36歳であった。
さらに時は流れていく。小さかった子供たちは大人となり結婚しそれぞれが家族をつくる。
ハルトが他界し23年の年月が流れた。48歳となったアシュリーはハルトと同じく病で床に臥せる。
息子のヨハンと娘のグレイス、そして沢山の孫に囲まれた幸せな日々とエリオットからの愛。
屋敷の庭園に花が咲き乱れる季節、アシュリーは大切な人たちに囲まれ静かに息を引き取る。
ヨハンは29歳。5年前に家督をエリオットから引き継ぎ、エリオットはヨハンの相談役として仕事を支える一方で病となったアシュリーを側で支えてきた。
アシュリーの他界から1ヵ月が過ぎた穏やかな日。
休憩中の2人の男。
「エリオットは、母と再婚しなかったね」
「あぁ、私達の恋はとっくに終わっていたからね」
「エリオットは違うでしょ」
「まぁね……アシュリーの幸せが私の幸せだった。ハルト様は愛情深く……そして嫉妬深かったから亡くなった後もアシュリーの心を捕らえたままだったよ。アシュリーと供に幾つもの季節を過ごし君達の成長を見守ってきた。幾度となく夜を共にしてもアシュリーは最後の時までハルト様を愛し彼の妻でいることを望んだ」
「どうするの?」
「アシュリーのいない人生はやはり寂しいよ。今度は私が彼女を追いかけて行こうかと思うよ。ヨハン、後は任せても大丈夫だよね」
「そうか……後は任せて。僕とグレイスはね、エリオットの事を父親の様に思っていたんだよ……お義父さんと呼べるかもと待っていたのにさ」
「今の言葉だけで充分だよ。私も我が子の様に2人を思っていたからね。さぁ、これが終われば今日の仕事は終わりだよ。たまには家族と外食にでも行け」
「そうだね」
その後、エリオットはアシュリーを追うように人生の幕を閉じた。
仲良く並ぶ3つの墓に花を供える。心地いい風がヨハンを包み込む。
「父上、エリオットも母上を追いかけて向かったよ。母上を取られないようにね」
◆◆◆
ここは何処かもわからない世界。辺りには色とりどりの花が咲き乱れる世界。
1人の女性が花畑を歩く。そして1人の男性が駆け寄って来る。
息を切らし女性の元にやって来た男性。
「アシュリー、会いたかった」
「ハルト……私もよ」
花畑の中、再会し抱きしめあう2人。
「ハルト、あの時と変わらないカッコいいままね。私は……すっかり歳をとって貴方よりも歳上よ」
「アシュリーはエリオットとは再婚しなかったの?」
「エリオットと?私をあの家から救ってくれたのも、愛してくれ家族となり新たに家族を作ってくれたのはハルト、貴方よ。貴方が亡くなった時に誓ったのよ。最後の時までハルトの妻でいるとね」
「……アシュリー愛している」
「私も愛してるわ」
何度も口づけを交わす2人。
「エリオットが来るまで永遠の新婚生活だ。さぁ私達の家を案内しよう。メアリーとハンクもいる。私は君がいなくて寂しかった。また私と共にいてくれるかな?」
「勿論よ。愛しの旦那様、これからはずっと一緒よ」
二人は手を繋ぎ新たな家へと向かうのであった。
――完――
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