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その二 「君を愛することはない」と言ったら、「お気の毒に」と返された

二話目は初夜の名言(迷言?)「君を愛することはない」から始まる、ある夫婦のお話です。

「今、なんと言った?」

 イザークは顔をしかめて聞き返した。

 本日、イザークは政略結婚した。これから、貴族家では重要行事の初夜であるが、行うつもりはなかった。

 五歳下の花嫁に「君を愛することはない」と告げたら、思いがけない返事をよこされてしまった。花嫁のエルフリーデは先ほどと同じ憐憫の視線を向けてくる。


「お気の毒に、と申しましたの。ノルデン家の主治医を疑うわけではありませんけれど、別のお医者様にも診ていただいたほうがよろしいですわ。

 もしかしたら、誤診ということもありえますでしょう?」

「誤診とはどういう意味だ?」

「お身体に障りがあるのでしょう? 今晩は無理することはありませんので、きちんとお医者様に診察していただいて完治されてからに致しましょう」

「・・・ちょっと待て。もしかして、私は何かの病気だと思われているのか?」

 眉間にシワを寄せる夫にエルフリーデは同情心いっぱいにうなずく。


「ええ、事前調査で旦那様は男色でないとわかっております。時折、娼館のご利用がありましたし。

 馴染みのお相手はいらっしゃらないようでしたが、気をつけていても性病にかかった可能性が「ちょおっと待てい!」

 イザークが大慌てで遮ると、にこりと慈悲深い笑みを返された。

「大丈夫、他言無用はわかっております。お医者様や屋敷の者にはきちんと口止めいたしますのでご安心くださいませ」

「そうじゃない! 私は病気ではない!」

「あら、それではもしや特殊な性癖でもお持ちですの? まさか、幼女趣味では・・・」

 顔をひきつらせて引き気味のエルフリーデにイザークは慌てて口を開いた。


「せ、よ、しゅ、淑女の口にする言葉ではないだろう!」

「でも、旦那様には愛人候補もおりませんわよね? 

 わたくしを妻に迎えるのになんの不都合もありませんでしょう。男色でも病気でもなく、愛人もいないとなると、もう他には考えられないのですけれど?

 はっ、もしや熟女好みで年齢層が高めのマダムがよろしいとか? マザコ「い、いや、ちょっと待ってくれ!」

 イザークは大混乱して額を手で押さえた。


 エルフリーデとは完全な政略結婚だ。

 イザークのノルデン家は没落寸前の伯爵家で、エルフリーデのアーメント家は貴族とのコネが欲しい裕福な商家だった。多額の持参金と共に嫁いできたが、顔合わせでの挨拶以降は式の準備で慌ただしくろくに会話もしていない。

 信頼関係も何も構築していない仲で初夜を拒否とか、花嫁にとっては屈辱でしかない。

 嫌われて当然、もしかしたら泣かれるかもしれないと思ったのだが、彼女の思考では『夫婦にならない』意味だと受け取ってもらえなかったようだ。


「私は君と夫婦になるつもりはない。跡継ぎは養子でももらうつもりだ」

「まあ、ではわたくしとは白い婚姻ですの? それでは、婚姻届をだしたばかりですけれど、もう離縁届をださなくては」

「はっ?」

 イザークが聞き返す間にも、エルフリーデは「すぐに荷物をまとめますから今夜は徹夜ですわね」と頷いている。彼女が呼び鈴を手にして鳴らす前にイザークが止めに入った。

「ちょっと待て! いきなり、離縁とか何を考えている!」

「それはわたくしのセリフですわ。わたくしたち、政略結婚ですわよ?

 旦那様のノルデン家は立て直しの費用が欲しい。わたくしの実家は貴族家との婚姻でコネが欲しい。お互い利害の一致です。

 それを反故にするのだから、この婚姻は契約違反ですもの。離縁は当然でしょう」

 エルフリーデは不思議そうにこてりと首を傾げた。イザークは大急ぎで首を横に振った。


「白い婚姻でも、君を蔑ろにするつもりはない。きちんと女主人として尊重する。伯爵夫人なのに贅沢はさせられないが、君の望みにできるだけ沿うようにするから安心して欲しい」

「安心できませんわ。もしや、旦那様にはお心に決めた方が?

 初恋を拗らせているわけではございませんよね。わたくしどもの下調べでは該当者はいなかったですけれども・・・」

「下調べって・・・、いや、先ほども事前調査と言っていたな。君は私のことを調べていたのか?」

 イザークが不愉快さから睨みつけてもエルフリーデはきょとんとしている。


「当然ではないですか。我が家は商人でしてよ? 損得勘定はしっかりといたしますわ。

 貴族家との繋がりが得られれば、相手は誰でもよかったのではありません。きちんと相手のお家や人柄に人脈なども調べてありますわ。

 領地の立て直しができなければ、我が家がどれだけ支援しても無意味です。泥舟に乗るつもりはありませんもの。

 イザーク様は高等学園での成績もよく、性格にも難がありませんわ。ただ、ご不幸なことに領地が災害に遭い、ご両親が巻き込まれてお亡くなりになってしまいましたわね。ご不幸が続いた上に火事場泥棒というのかしら? 

 遺産を巡って親族間で()()揉めたとか。

 諸手続きで手間取っている間に、喪中で婚姻が延期になるのは困ると言われて婚約解消になったそうですわね。婚約者の後ろ盾がなくなったこともあり、災害復興の資金を借りるアテが見つからなかったと聞いていますわ」

「・・・ああ、私のような若造が相手では貸し倒れになるかもと警戒された。揉めたせいで親族からの後ろ盾や支援は何も期待できなかったからな」

 イザークが苦渋に満ちた顔になると、エルフリーデがにこりと微笑んだ。


「我が家ではイザーク様ならば資金さえあれば、十分立て直しは可能と見込みましたの。それなのに、白い結婚でお飾りの妻だなんて、わたくしを、いえ、我がアーメント家をずいぶんと見下してくださいますのね。

 伯爵家に下賤な平民の血など入れたくない、ということかしら?

 顔合わせで確認したはずですわよ、わたくしの子供がノルデン家を継ぐと。

 それなのに、養子ですか・・・。契約違反ですので、持参金の返却はもちろん違約金も取り立てますから、お覚悟をなさってくださいませ」

 イザークは微笑むエルフリーデが内心では怒り狂っているのにようやく気づいた。

 貴族令嬢のような笑みを浮かべているが、目だけは絶対零度だ。平民の出でもエルフリーデの実家は裕福で優秀な家庭教師を雇っていたと聞く。貴族に嫁ぐために令嬢教育を受けてきた彼女は下手な下位貴族よりもよほど貴族令嬢らしい振る舞いが身についていた。


 イザークは息を呑んで勢いよく頭を下げた。

「すまない! 侮辱するつもりはなかった。

 白い結婚ならば三年後には離縁が可能になる。それだけの間援助してもらえれば、領地を立て直すのには十分だ。君には本当に好きな相手と家庭をもってもらいたいだけだ」

「まあああ。どうやら、わたくし、婚姻前から不貞を疑われていたようですわねえ?」

 ひんやりとしすぎるほどの冷気が漂ってきて、イザークは青ざめた。言葉選びがまずかったと大焦りだ。

「いや、待ってくれ! 君が不貞を働いたとは言っていない。

 平民で政略結婚はあまりないだろう? 愛のない婚姻では君に申し訳ないと思ったのだ。

 何も担保にするものがないのに援助を受けるわけにはいかないから、政略結婚は仕方ない。でも、そのう、五歳も年上の私では君にはおじさんすぎるのではないかと思って・・・」

 エルフリーデはへにゃりと眉を下げて情けない顔になった相手に免じて冷気をおさめた。ふうと息をついて頬に手をあてる。


「平民が全て恋愛を経ての婚姻とは限りませんわよ? 義理やしがらみなどで断りきれない婚姻もあれば、身売りのような場合もあります。

 年の差だって、五歳くらいなら許容範囲ですわ。貴族ではそれ以上、それこそ一回りどころか、親世代との婚姻だってあると聞いています。それに比べたら、わたくしたちの場合は十分あり得る婚姻だと思いますけれど?」

「だが、愛のない婚姻では子供が可哀想だ。私の両親は貴族では珍しくも恋愛結婚だったが、私が生まれる頃には熱が冷めていたらしい。私の物心がつく頃にはそれぞれ別の相手を見つけて仮面夫婦となっていた」

 イザークがふっと口角をあげて苦々しい顔になる。


「仮面夫婦で別に愛人がいるなんて貴族では珍しいことではない。大っぴらにするわけにはいかないがな、暗黙の了解というヤツだ。

 両親は私に見向きもせず、私は乳母や使用人に育てられた。彼らはよくしてくれたが、幼少期にはやはり寂しくて仕方がないこともあった。私は同じ思いを我が子にさせたくないのだ」

「仮面夫婦にならなければすむ話ですわ。わたくしと旦那様が両思いになればいいでしょう」

「いや、そう言われても・・・。君とまともに話すのは今日で二度めだ。両思いになるヒマなどなかっただろう?」

 困惑するイザークにエルフリーデが苦笑した。今までの整った笑みとは違って素の感情だ。


「婚姻後に恋愛感情が芽生えてもよろしいではないですか。わたくしたちは個人的な会話をしたことがありませんでしたし、ほぼ知らない相手ですもの。これから少しずつ歩み寄っていきませんか?」

「・・・しかし、正直に言って私には人を愛するのがどういうことなのか理解できない。一般的な付き合いをしていた元婚約者によると、好意と愛情は違うらしい。

『好意があるから愛が芽生えるわけではない、貴方とは労苦を共にできない』と言われての婚約解消だった。

 愛が芽生えるかわからない関係を一生続けるわけにもいかない。最初から白い婚姻と決めておいたほうがよくはないか?」

「あら、わたくしに三年も適齢期を無駄にしろと仰るの? 我が家の資金目当てに?」

 再び、ひんやりとしたものが漂って、イザークの顔がひきつる。


「離縁時には相応の慰謝料を用意する。アーメント家からの援助もローンを組んで返す。君の再婚相手を探す手伝いもする。君の三年間には必ず報いるから」

「政略結婚なのに、貴族家とのコネ目当ての婚姻が失敗したわたくしに条件のよい再婚相手が見つかると思いまして?」

「そ、それはなんとかいい相手を紹介するから・・・」

 エルフリーデにはあっと大きなため息をつかれてしまった。イザークもつい肩を落としてしまう。

「・・・私の力不足で領民には迷惑をかけている。これ以上、誰かを犠牲にはしたくないのだ。資金援助してもらうのだから、君には幸せになってほしいと思う」

「まあ、旦那様は夫婦になると、わたくしが不幸になると思っていますの?」

「少なくとも苦労をかけるのは確かだ」

 しかめ面になるイザークにエルフリーデは肩の力を抜いた。事前調査で学生時代の友人から『生真面目すぎるのがたまにキズだ』という評価を確認しているが、その通りだった。


「わたくしは子供がいれば仮面夫婦でもかまいませんわよ? 子供にはわたくしが愛情を注ぎますもの」

「君は子供好きなのか? それなら、尚のこと愛のある婚姻のほうが子供にもいいだろう」

「子供好きというわけでもないですけれど・・・。

 母によりますと、『男は浮気をする生き物だから、本能を責めても仕方がない』そうですわ。

 しかも、『先に逝くかもしれない相手よりも、看取ってくれる子供に愛情を注いだほうが老後は安泰だ』とも言っておりました。離縁してしまえば夫とは赤の他人になりますけど、親子の絆は簡単には切れませんから。

 母が父の浮気に辟易していたのは子どもの頃からずっと見ていましたし、貴族では仮面夫婦は珍しくないとも家庭教師から教わっています。

 もともと、我が家が貴族との繋がりを得て、貴族御用達の商会となるための婚姻ですもの。旦那様とは信頼関係を築ければいいと思っておりました」

「・・・なんというか、貴族らしい考え方というか。君はずいぶんと理性的だな」

 エルフリーデは戸惑うイザークに苦笑いだ。


「わたくしも貴方と同じかもしれません。

 父は浮気しても遊びの範囲で、妻子を蔑ろにしたことはありませんでした。むしろ、普通に愛情はあったと思います。

 それでも、母の苦い顔を見て悲しく思いましたし、父が病気にかかった時には絶対に近づきたくなかったのです。徹底的に避けまくってお見舞いにも行きませんでしたわ」

「・・・お父上の経験からの発言だったのか」

 つい、イザークは遠くを見る目になった。最初に病気を疑われた理由がとてもよく理解できた。

 エルフリーデが肩をすくめた。

「父は商人としては優秀でしたが、家庭人としては欠陥のある人でしたわ。

 病気をもらって懲りるかと思えば、再発させたりして隔離病棟に放り込むこともありました。

 母は『遊びなら気づかれないようにもっと上手く立ち回ってほしいものだ』とよくぼやいていましたわ。何しろ、父の子を孕ったと乗り込んでくる女性もいて修羅場になったこともありましたので。ナイフ片手に大立ち回りする妊婦もいて、子供心にはなかなかハードな体験でしたわ」

「そ、それは、その、大変だったね・・・」

 イザークの顔がひきつる。仮面夫婦でも揉め事を家に持ち込まなかっただけ、まだ自分の親のほうがまともに思えてしまう。


「ですから、わたくし、決めていましたの。旦那様となる方とは信頼関係を築いていこうと。

 運が良ければ相思相愛の夫婦になれるかもしれないと期待を抱いていたのですけれど・・・」

 エルフリーデがじとっと座った目でイザークを見つめてきた。

「離縁は困ると言うならば、当初の契約通りにしてくださいませ。子供のことは心配せずともよろしゅうございます。わたくしが父親の分まで愛情を注ぎますし、わたくしの実家からもです。

 我が家待望の貴族家との縁を繋ぐ子供ですからね、両親も兄もわたくしの子供を楽しみに待っていますのよ。

 何も案ずることはありませんわ。子供は我がアーメント家総力で思いきり愛して育てますから!」

 得意げに堂々と宣言されて、イザークは呆気にとられた。じわじわとおかしさがこみあげてきて笑いたくなる。


「は、ははっ。すごいな、君は。ものすごく前向きな提案だ」

「あら、後ろ向きになって何かいいことでもありまして? 少しでもお得なほうを選ぶのが商人でしてよ。

 世の中には愛がすべてで愛なしには生きていられないような方もいますが、愛だけで生きていけるほど世の中は甘くありませんもの。先立つものがあってこその人生ですわ。

 ですから、貴方はとっと領地の復興を果たしてくださいませ。その後ならば何をどうしようとお好きになさって構いませんわ。

 わたくしは契約さえ守っていただければ結構ですので」

 エルフリーデがにこりと微笑むが、目だけは完全に笑っていない。イザークは笑っている場合ではないと肝が冷えた。

 すでにエルフリーデから見放されていると気づいたのだ。さあっと青ざめて、イザークは大慌てで謝罪した。


「待ってくれ! 失言だった、本当にすまなかったと思っている。私にやり直す機会を与えてくれ。

 領地を立て直すのはもちろん、君との関係も築き直したいと思っている。人を愛する気持ちがわからないのには変わりがないが、君とは信頼関係を築きたい。いや、築かせてください」

 潔く頭を下げたイザークは土下座しそうな勢いだ。しばし、ジト目を向けていたエルフリーデは見極めるように目を細めた。

「ならば、新たな契約を結びませんこと?

 お互いに愛情が芽生えるかわからないのですから、仮面夫婦になる可能性もあります。ただ、愛情がなくても信頼があれば、恋愛で揉め事にはなりませんでしょう。そのためのお約束をいくつかしておきませんか?」

「あ、ああ・・・」

 イザークはどんな要求を突きつけられるのかと戦々恐々としながら、契約の場につくことにした。




 騒がしい音が近づいてくると思っていたら、バタンと大きくドアが開かれた。息を切らしているのはノルデン家当主のイザークだ。

「エル! 子供たちに何を言ったんだ⁉︎

『父上、見損ないました』だの、『お父様、サイテー。近づかないで』と言われたんだぞ?」

 エルフリーデは涙目の夫におっとりと微笑んだ。

「まあ、いきなりどうなさいましたの?」

「顔合わせの話をしようとしたら、子供たちから言われたのだが・・・」

「ああ、それなら参考にわたくしたちの話をしたことかしら? あの子たちが婚約者を決めるアドバイスを欲しがったから」

「私たちのって・・・。まさか、アレか⁉︎」

「ええ、アレですわ」

 エルフリーデは重々しく頷く。


 二人の間には十二歳の長男と十歳の長女がいる。そろそろ婚約者を考えていてアーメント家の意向込みで見繕っている最中だ。


「わたくしたちは契約夫婦でも上手くいっていますから、愛がなくても契約さえしっかりと結んでおけば心配することはないと教えましたの。もし、契約違反をするならば遠慮なく違約金をむしりとればよいのです。損はしませんもの」

 エルフリーデはほほほっと上品に微笑んだ。イザークは妻の目の前で両膝をついてがっくりと項垂れる。


 アーメント家の予想通り、イザークは立て直しに成功して領地経営も軌道にのせた。完全に没落を免れて今では優良物件の伯爵家だ。

 子供たちのお相手は家の利になる貴族家を選んだが、一応当人たちの相性を確認して決定することになっている。婚約者候補として幾人かと顔合わせをすることになったが、必ずしも政略優先ではない。


「エル、契約夫婦だなんて悲しいことを言わないでくれ。私たちは信頼関係を構築できているだろう? お互いに愛人を持つこともなく、仲良くやっているではないか。それなのに、愛がないなんて・・・」

 イザークに恨めしげに睨まれて、エルフリーデは不思議そうな顔になる。

「旦那様には家族としての情はありますけれど、わたくしの愛情は子供たちが一番でしてよ?

 大切で大事で一番愛しているのは子供たちです。それで良いと旦那様は契約で認めてくださったではないですか」

「そ、それは確かにそういう契約をしたが・・・。もし、愛情が芽生えた場合は一生添い遂げようとも約束したではないか」

「ええ、そうですけれど。え、まさか、旦那様は『わからない』と仰っていた愛情がわたくしにありますの?」

 妻に心底から驚かれてイザークは大ダメージを受けた。


 初夜でやらかしたイザークは名誉挽回とばかりに信頼関係構築に全力で挑んだ。妻に誠実であることはもちろんのこと、どんなに忙しい時でもできるだけ一緒に食事を摂るようにして、事あるごとに庭の花を摘んでは手渡して、イベント毎に欠かさずに贈り物をして、時折歌劇や芸術鑑賞に誘ってと彼なりに親密に過ごしてきたのに。

「もしかして、私の気持ちは全然伝わっていなかったのか?」

「ええ、全くまるっきりさっぱり、ですわ」

「そ、そんな・・・」

 イザークは両手まで地につけて全身で苦悩している。そんな夫をエルフリーデはのほほんと眺めた。


「だって、旦那様は『君を愛することはない』とはっきり告げてきましたからね。もし、わたくしに愛情を抱いたならば、言葉にして伝えてくださると思っていましたの。

 これまで、愛を告げる言葉は何一つとてありませんでしたでしょう。それで、旦那様のお気持ちを察しろと言われましても、ねえ?」

 イザークはうぐっと言葉に詰まって瀕死状態になる。初夜のやらかしがここまで後を引くとは思いもしなかった。子供も二人もうけて家庭内は平和で夫婦円満なのに。

 今さら、告白するのも気恥ずかしくて言葉にはしなかったが、思いは伝わっていると思っていた。

 イザークは涙目で顔をあげた。


「わ、私はエルを大切に思っている」

「ええ、存じておりますわ。わたくしたちは家族ですから当然ですわね」

「家族愛だけじゃないんだ。一人の異性として、君を愛している。私はお互いを思い合う夫婦として君と添い遂げたいのだ」

「まあ、それは初耳でしたわー。これまで契約だから気をつかってくださっているとばかり思っておりましたわー」

 エルフリーデは棒読みでジト目になった。


「それでいつからそう思うようになりましたの?」

「いつからとか明確には・・・。その、君と過ごすうちに信頼関係から好ましいと思う感情が芽生えてきて・・・」

「まあ、それならば家族愛で十分でしょう。旦那様は思いちがいなさっているのではなくて?」

「そ、そんなあ! エル、私は本当に君を愛しているんだ」

「あらあらまあまあ、そうでしたの?」

 エルフリーデはすっかり他人事状態だ。イザークが泣きそうな顔で必死に訴えるのを興味深げに眺めている。


「うわあ〜。ちょっとだけ、父上がかわいそうかも」

「完全にお母様に遊ばれてるわね。気の毒だけど、自業自得じゃないの?」

 少しだけ空いているドアの隙間からそおっと様子を伺っているのは長男と長女、二人の子供たちだ。

「坊っちゃま、お嬢ちゃま。お父様とお母様はあれはあれで上手くいっていますから気になさることはありませんよ。さあさあ、休憩はおしまいです。お勉強にお戻りを」

 二人の背後から小声で促すのは侍女頭だ。


 兄妹は婚約者候補との顔合わせに備えて、マナーのおさらいを集中的にしていた。休憩中に父が顔を出してきて、つい白い目を向けたら、青ざめた父が部屋から飛び出して行って今に至る。

 後を追いかけてきた兄妹は険悪にはなっていない両親の様子にひとまずは安堵して部屋に戻ることにした。


「世の中にはいろいろな愛の形がありますからねえ。ご両親も始まりはともかく、今ではああですから、お二人もお相手と納得できる形を見つけるとよろしいですよ」

「へえ、そういうものなんだ」

「よくわからないけど、お相手と話し合うのは大事だと思うわ」

 侍女頭にしみじみと頷かれて、兄妹はそれぞれ納得したのだった。

アーメント家の祖父は孫から隔離されています。「病気をうつされたら困るから」と。

今までの行いのせいで男性使用人に囲まれて、病原菌扱いで孫には近づけさせてもらえない。お一人様の老後ですが、自業自得ですね。


お読みいただきありがとうございます。

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