その一 真実の愛なんて、儚いものね・・・
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政略結婚のテンプレを題材にしたお話を一話完結でお贈りします。一話目はパーティー会場での婚約破棄宣言による騒動です。
「きゃあああっ! ひどいわ、シュゼット様、何をするのっ?」
乾杯を終えたパーティー会場でけたたましい叫び声があがった。
貴族学園の卒業記念パーティーである。
いきなり、後ろからドンと押されたシュゼットは数歩よろめいたが、やかましい叫び声に背後を振り返った。
真っ白いドレスの胸元を赤く染めた一人の令嬢が騒いでいる。周囲は見事にドン引きしていた。
白いドレスはデビュタントや婚姻式の正装である。その他の場で着用されることは滅多にない。この国の貴族社会では常識だ。
それなのに、常識ハズレの白いドレスを身に纏っているのはリリアーヌ・コンスタン。
男爵家の庶子で貴族の常識に疎いのを指摘されて忠告されても、改める気が一切なかった。それどころか親切な忠言をイジメだと騒いで泣きだす幼稚さで、在学中は見事に周りから浮いていた問題児である。
「リリアーヌ、大丈夫かっ! シュゼット、貴様は相変わらずリリアーヌに酷い真似をして。なんて、冷酷な女なんだ!」
リリアーヌに駆け寄ったのはクレマン侯爵家のアドリアンだ。一応、こんなのでもシュゼットの婚約者である。
リリアーヌはゆるやかなウェーブの桃色の髪に大きな水色の瞳で見た目だけは庇護欲を誘うか弱い美少女だった。リリアーヌが震えながらアドリアンの腕に縋りついた。
「アド、シュゼット様がわたしのドレスに・・・」
「赤ワインをかけたのか? シュゼット、リリアーヌに謝れ!
醜い嫉妬はするなと何度言えばわかるんだっ!」
「まあ、コンスタン様にアドリアン様。相変わらず、わけのわからない方々ですわねえ」
シュゼットは死んだ魚の目をして、ふうとため息をついた。
婚約者のシュゼットでさえ呼ばない愛称呼びをするリリアーヌを咎めないアドリアンに頭痛がしてくる。
リリアーヌはやたらとシュゼットのそばで転んでは、いつも紅茶まみれやコーヒーまみれになっていた。手にしたカップをひっくり返して自分で制服を汚しては『ひどいわ』だの、『ごめんなさい、かけないで』など叫んで泣きながら走り去っていくのだ。
廊下や食堂は走行禁止なのだが、何度注意されても走るのをやめなかった。
シュゼットは伯爵令嬢でアドリアンとは政略結婚だ。
彼女の母が隣国の公爵家の出で、隣国との関係強化が目的だった。シュゼットは将来の侯爵夫人になるし、隣国との伝手目当てでお近づきになりたい生徒が多くて学園内で一人きりになることはない。いつも、護衛を兼ねた複数の友人と行動を共にしていて、シュゼットの行動は常に誰かに見られているのだ。
そんなシュゼットに突っかかってくるリリアーヌは一人で騒いでは泣きだして、とすっかり情緒不安定の変人認定されていた。誰もが厄介で面倒な相手には関わりたくないと敬遠していた。一部では珍獣扱いだったが、本人だけは気づいていなかった。
リリアーヌのイジメだという言い分をまともに信じているのは彼女に鼻の下を伸ばしているアドリアンくらいだ。
アドリアンだけは婚約者のシュゼットがリリアーヌに嫉妬して辛く当たっていると公言して憚らない。シュゼットにはリリアーヌに嫌がらせなどする暇もその気もないと言うのに。
シュゼットの友人たちが冷ややかな目をして、扇子を口元に寄せてひそひそ話だ。
「自分からぶつかっておいて、何が『ひどいわ』なのかしら?」
「赤ワイン片手にうろうろしていた姿は目立っていましたのに、相変わらずあの方の目は節穴ですわね」
「あの白いドレス。男爵家では何を考えておられるのかしら。よくもあの姿でパーティーに送りだしたものだわ」
「悪目立ちしてるのに気づいていないのか? どう見ても、絡んでいるのは男爵令嬢のほうだろう」
「自分が見たいものしか見ていないのさ」
周囲からも呆れた視線を向けられているが、アドリアンは全くさっぱり見事に気づいていない。シュゼットからリリアーヌを背後に庇って騎士きどりだ。
「シュゼット、取り巻きどもに陰口を叩かせるなんて、悪どい真似はやめろ。卑劣だぞ」
「アドリアン様。わたくしの友人を取り巻きだなんて、侮辱はおやめください。軽侮されても仕方のないことをなさっているのはあなた方ではありませんか」
「なんだと? お前の図々しさにはいい加減に辟易としているんだ。リリアーヌを虐げる貴様なんぞと婚姻できるかっ! 貴様との婚約を破棄してやる!」
「まあ、喜んでお受けしますわ。コンスタン様を虐げた覚えは全くありませんので、それだけは否定しますが。
ああ、そう言えば、お二人への毒殺容疑は不問でよろしいのでしょうか?」
シュゼットが思い出したように問いかけた。
「はっ? え、な、ど、毒殺?」
ぎょっとしてアドリアンはのけぞり、背後のリリアーヌもびくりと身を震わせた。
「ええ、先ほど控え室でお二人はわたくしのお茶を奪って飲み干し、わたくしを追い出したでしょう?
あのお茶には毒が入っていましたの。そろそろ、効いてくる頃合いですけど、体調はいかがですか。下腹の辺りがキリキリと痛みだすと思いますけれど・・・」
「そ、そういえば・・・」
「アド、わたし、お腹に痛みが・・・」
アドリアンにしがみついたリリアーヌの声が震えていた。
パーティーは本格的な夜会形式で行われ、身分順の入場だ。爵位が下の者から家名を読みあげられて入場する。
侯爵家のアドリアンは最後の方で控え室でずっと待っていた。婚約者をエスコートして入場するのでシュゼットも一緒にいたのだが、リリアーヌが割り込んできた。アドリアンはリリアーヌをエスコートするから、伯爵家のシュゼットは先に行けと追い出したのだ。その際に、シュゼットが持ち込んでいたお茶をリリアーヌが飲みたがって奪いとった。
シュゼットの実家は薬草茶が特産品で特に美肌効果のあるお茶が人気だ。シュゼットが愛飲していて友人には勧めているのを知っていたから、この時も愛用のお茶を持ち込んだと思い込んだ。
リリアーヌはシュゼットから奪ったお茶をアドリアンと仲良く飲んでいた。毒と聞いて二人とも顔色がだんだんと悪くなっていく。キリキリと下腹部の痛みも増している気がする。
シュゼットはうふふっと頬に手をあてた。
「あなた方の『真実の愛』劇場に付き合わされるのには、ほとほとうんざりしてましたの。
パーティーでまで絡まれるのは面倒でしたので、もし突っかかってくるようならば目にモノを見せてやろうと思いまして。
毒でのたうち回ってあなた方へ恨み言をこぼせば、大事件になりますわ。まともな神経の持ち主ならば、一生トラウマレベルの出来事ですし、あなた方には毒を盛った疑いをかけられるしで、一石二鳥だと思いましたのよ。
ああ、毒と言っても死にはしませんわ、多分」
「多分ってなんだ⁉︎」
「おそらく死なないと思います、保証はできませんけど」
「何それ? わたしたちを脅しているの⁉︎」
リリアーヌがヒステリックに叫ぶが、シュゼットはきょとんとしている。
「まあ、人聞きの悪いことを仰らないでくださいませ。わたくしが飲むはずだったのに、奪いとって勝手に飲まれたのはあなた方ではありませんか。
しかも、権力をカサにわたくしを追い出したのに、わたくしのせいにされましてもねえ? あなた方の自業自得でしてよ?」
「そんなわけあるかっ! 私たちの真実の愛に嫉妬したのだろう、この悪女めっ」
下腹に手をあてて怒鳴るアドリアンをシュゼットは鼻で笑う。
「あらあら、ひどいのはどちらかしら?
わたくしとの婚約を解消してからいちゃつけばいいものを。こちらからの解消の申し出には渋っておいて婚約者の義務も責務も放棄。このような公の場でわたくしを貶めたのはそちらではないですか。我がオクレール家を馬鹿にするのもいい加減にしてほしいわ。
さすがに当てつけのためだけに命を失うのは馬鹿らしかったので、わたくしにとっては致死量ではない毒です。ええ、わたくし限定ならば絶命はしませんわ。
ただ、わたくしには耐性がありますけれど、人それぞれ体質の違いがありますからねえ。こればかりは試してみませんと・・・。
人によってはそれこそ解毒しない限り、ずっと下腹部に痛みがあって、そのうちのたうち回るくらいの痛みに襲われて、とかなり悲惨な目に遭うらしいですわよ?
あなた方が鬱陶しい真似さえしなければ、解毒しても良かったのですけれどねえ?」
シュゼットはドレスの隠しから茶色の小瓶を取りだした。チャプチャプと瓶を振って見せる。
「わたくしの分だけですから、一人分なのです。お二人のどちらかにしか差しあげられないのですが、どちらにしますか?
お二人とも顔色が悪くなっていますけど、やはり毒の耐性はなかったようですわね」
シュゼットは青い顔色をして脂汗をかき始めた二人に、うふふっと冷たい笑みを浮かべた。
「アドリアン様にしますか、それとも、ここはやはりレディーファーストでコンスタン様でしょうか」
シュゼットがにこやかに問いかけると、リリアーヌが高速で頷いた。
「早くちょうだい!」
リリアーヌが今にも奪いとりそうに手を伸ばしたが、シュゼットはひょいと避けた。
「まあ、そんなに大声をだされては驚いて落としてしまいそうですわ。気をつけませんと、薬が台無しになってしまいますわよ。これ一つしかないのですから。
コンスタン様がお飲みになるなら、アドリアン様は助かりませんが、よろしいのでしょうか。
コンスタン様は真実の愛のお相手をそう簡単に見捨てて平気ですの?」
「アドはわたしを愛してくれているもの。わたしを優先してくれるわ!」
「リ、リリアーヌ。君だって私を愛してくれているだろう?
ここは侯爵家嫡男の私に譲ってくれ。侯爵家の跡取り息子なのだぞ。侯爵家の領民のためにも私が助かるほうがいいのだ」
「そんな、ひどいわよっ。わたしが男爵家だから見下すの?」
「いや、君より私のほうが貴族の責務が多いのだ。私が助かったほうが世の中のためだ。私のために譲ってくれ」
「愛する女性を見捨てるつもり? 紳士の風上にも置けないわね! レディーファーストは当然でしょ」
「それとこれとは話が違う! 大体、君はいつもワガママばかりじゃないか。今までどれだけ貢がせたと思っているんだ、私を助けろっ」
「なんですってえ!
可愛げのない婚約者よりわたしに貢ぐほうがいいって言ってたじゃないの? 勝手にあんたが貢いだくせに、ワガママとかわたしが強請ったみたいに言わないでよっ。
あんたみたいな浮気男に付き合ってあげたわたしのほうがいい迷惑だったわ。せめてものお詫びにわたしに解毒剤を譲りなさいよ!」
リリアーヌが目を吊りあげて鬼の形相になる。アドリアンも負けじと顔を怒らせた。
「ふざけるなっ! 先に誘惑してきたのはお前だろう。『貴族の生活には慣れなくて教えてくださると嬉しいわ』などと色目を使ってきたくせに。
いつもいつもシュゼットにいびられていると、紅茶まみれで泣きついてきたのはそっちだろう!」
「はあっ? 『可哀想に』って、ベタベタ触りながら拭いてきたのはあんたでしょ! 下心満載だったくせに白々しいわよっ。
あんたの婚約者が毒を盛ったんだから責任とってわたしを助けなさいよ‼︎」
「シュゼットのお茶を飲みたがったのはお前だ! 私を巻き込んだくせに、自分だけ助かろうとか図々しいわっ」
「なんですってえ! この無責任男がっ‼︎」
「やかましいわ、このあばずれめっ」
「むっつりスケベのくせに!」
リリアーヌがつかみかかってアドリアンと揉み合いになる。
周囲はざあっと一斉に二人から距離をとった。無用な争いに巻き込まれたくはない。
「うわあ、すっごい修羅場だ・・・」
「ええー、ここは麗しい自己犠牲心を発揮して譲り合いにならないの? 愛し合う二人なのに」
「ある意味譲り合ってはいるよな、見捨てる方向に」
「取っ組み合いのケンカって、幾つだよ、こいつら」
「あらあらまあまあ、とおってもお元気ね。あの方たち、本当に毒を飲んだのかしら?」
チラチラと友人がシュゼットへ視線を送ってくる。シュゼット愛飲の美容茶は飲み慣れないと下腹に腹痛を起こすことがあると知っているのだ。
シュゼットは茶色の小瓶を手のひらで弄んだ。薬草の香りでリラックス効果を得られるかもしれないと作った試作品で、パーティーで友人たちに披露するつもりだった。当然、解毒剤などではない。
シュゼットはふうと息を吐いて、遠くを見る目になった。
「腹いせにちょっと話を盛っただけですのに。真実の愛なんて、儚いものね・・・」
後日、卒業記念パーティーで冗談を真に受けて破局になった真実の愛があったと噂が流れることになった。
ちなみに復縁もありません。
「今度は本当に盛ろうかしら? うふふ」
「何をだっ!」
という会話があったとかなんとか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白かったら評価していただけると嬉しいです。