30. 利益に裂かれた絆
2週間ほど前――
インフェルノ社とスパークリング社の共同開発が世間に発表された。
「これまでになかったプロ大会用高性能シューズの開発へ――私たちはすべてのスポーツ選手を尊重し、これまでになかった軽さや機能性を重視した、快適なシューズの開発に踏み切りました」
取材陣たちが興奮しながらメモを取る。
「朱崎社長と煌月社長の友情の力が、生み出したのですね!」
「これで次のオリンピックが楽しみだ!」
記者発表が終了すると、朱崎が笑って言う。
「思い出すな。学生時代を……あの時のような気持ちになれるとはな」
煌月も朱崎の肩を抱き寄せ、頷く。
「俺たちには使命がある。選手ひとりひとりの力を発揮させて、これからのスポーツ界を盛り上げていくんだ」
2人で肩を寄せ合う後ろ姿は、あの時のままだった。
しかし、煌月がオフィスに戻った時――
「社長、お客様です」
秘書に言われて社長室に来たのは、黒いスーツに紫色のネクタイ、眼鏡をかけた長身の男。
「ふっふっふ。煌月社長……あなたにお会いしたかったのです」
「……名前は?」
「私の名は――Kenji P. 紫野。経営コンサルタントだ」
男は名刺を差し出し、淡々と眼鏡を直した。
その手つきは洗練されていて、まるで相手の反応を事前に計測したかのようだった。
「先ほどの記者会見を見ました……素晴らしい! 煌月社長の熱意が伝わってきました」
「それはどうも」
さらに男は煌月の手を取る。
「努力や情熱――あなたはそれを強調していましたがどうでしょう。測定できないもので評価するのは非科学的だと……思いませんか?」
手の平から得体の知れない何かを感じ取り、身体の力が抜けてゆく。
「……確かに、目に見えないから……」
煌月の口から漏れた言葉は、いつもの豪快さを欠いていた。
男の瞳には冷たいKPIの折れ線が反射して見えた。煌月はふっと息を詰め、視界が遠のくような感覚を覚える。
「そう。一番価値のあるものは……“数字”ですよね? 煌月社長?」
「うぅっ……そ……そうだ……俺は……俺の目指すものは……」
やがて煌月は目を瞑り、頭を抱えてその場にひざまずいた。そして次に目を開いた時には、その男と同じように瞳の奥にKPIの折れ線グラフが映っていた。
男がそっと囁く。
「社員の感情……それ、KPI外ですよね?」
煌月はゆっくりと頷く。
「そうだ……何が共同開発だ。高性能シューズの開発は俺の会社だけで十分。そしてその利益は全部いただく!」
翌日、煌月は朱崎のいるインフェルノ社へ向かい、朱崎に言い放つ。
「この高性能シューズの開発はうちだけで大丈夫だから……お前は不要だ」
朱崎は驚いて煌月を睨む。
「お前……どうしたんだ? 顔色が悪いぞ。昨日と言ってることが違うじゃないか」
「うるさい。俺は決めたんだ――高性能シューズの売上で会社の業績を向上させて、すべてを手に入れる」
するとそこに慌てた様子で耀田が入ってきた。
「社長! 高性能シューズのデータが何者かに盗まれました!」
「何だと?」
朱崎が煌月の方を見ると、彼はタブレットの画面を見せた。
「……お前の会社はセキュリティが甘いんだ。データはすべていただいた」
「煌月……どうして……!」
「KPIを達成し、我が社を大きくする。数字こそがすべて」
朱崎は悔しそうに拳を握る。
「お前……あの時言ってたじゃないか。スポーツ用品でみんなを支える会社を作るって」
しかし煌月に朱崎の声は届かない。
「そんな理想は子どもの夢だ」
「違う……! あの日の言葉は本物だった」
朱崎の必死の訴えも聞き入れず、煌月はインフェルノ社を後にした。
※※※
あれから、煌月のスパークリング社では――高性能シューズ開発チームの社員たちが汗を流しながら、開発を進めている。
「この機能はインフェルノ社が強いんじゃなかった?」
「煌月社長が“全部うちで開発する”って言うから、やるしかないんだよ……」
「だけどこんなのでスケジュールに間に合うか……」
「今日も残業だ……」
そこに煌月が現れる。隣には経営コンサルタントのKenjiが佇んでいる。
「お前たち! 第1フェーズの開発は済んだか!」
「社長! そんなの……無理ですよぉ」
「何を言っとる! 今月までに最終フェーズまで詰めて製造に取り掛からないと、年内の利益が達成できない!」
あまりにも無理難題を押し付けられて、社員たちは青ざめる。そこにKenjiがさらに眼鏡を光らせる。
「ふっふっふ……皆さん。とにかく数字を見ましょう。あなた方ならできる。捨てるべきものは感情。前に進むために我らは働く……KPIの達成がすべてです」
Kenjiから紫色のオーラが発せられ、部屋に煙がこもる。それを吸った社員たちは目の色が変わり、キーボードを叩く手が人間とは思えぬ正確さで動き始めた。
――その時だった。
「……見たぞ。俺の家紋レンズは誤魔化せない。そこの紫のネクタイの奴め……社員たちを洗脳しておるな?」
静かに聞こえるその声。
煌月の見た先には、蒼いスーツにマントを翻した侍が瞳を光らせていた。
「スーツ侍・イエヤス! 数字の裏にはメンバーたちの努力が滲み出るものだ。やみくもに追うものではない!」
「出たかスーツ侍!」
Kenjiがイエヤスに気づいた。
「人の心は操るものではない。情熱とは自らの心に生まれるものだ」
義の心を大事にする白いスーツの男が、そう言って部屋に入ってくる。
「スーツ侍・ケンシン! 皆のもの、残業の繰り返しは身も心も蝕んでしまう。私がその術を解く! 心頭滅却! 義魂・解放!」
ケンシンの浄化のパワーが煌月と社員たちを術から解き、回復させる。
「うっ……あれ? どうなってるんだ?」
「体力が戻っていく……」
煌月も頭を抱えてうつむく。
「……っ! 俺は……何がどうなってるんだ? ん? もうこんな時間……今日は終わるんだ。もう帰った方がいい」
「社長……!」
こうして社員たちは退社していく。
「クソッ……スーツ侍め。私の邪魔をするとは」
クルッと回転したKenjiは紫のマントを翻す。
「お前は……ミスター・KPIだなぁっ! 何が“KPIの達成がすべてです”だよっ! 構成員の笑顔なくして、会社は成り立たないんだぞ!」
金色のスーツを輝かせて天井から現れる、身軽な侍。
「スーツ侍・ヒデヨシ! 今ここに! そして……!」
ひときわ低くて存在感のある声がした。
「信頼と絆で結ばれたふたりによる共同開発をぶち壊し、数字の罠にかけた悪党どもめ」
黒に赤のラインのスーツ、マントをなびかせた侍が天井から降りてきた。
「スーツ侍・ノブナガ! 今度こそKPIで腐ったグラフを……ぶった斬る!」
ブラック企業団、ミスター・KPIがニヤっと笑う。
「現れましたねスーツ侍。こうなったら外で勝負しましょうか――」
マントを翻してスーツ侍たちは外へ向かう。
戦いの火蓋が切って落とされた。




