69、りょうちゃんの心の傷
「原因は、全くわからないの?」
(あっ、マズイ)
私は反射的に、しかも気楽に尋ねてしまった。8年前のことだとはいえ、りょうちゃんの奥様が亡くなったのに。
「みかんちゃんは優しいね。もう私は大丈夫だから、そんな顔をしないで。それに、妻とは言ったけど、ほとんど話したことはなかったんだよ」
(これ以上はダメだよね)
いろいろと尋ねたいことが湧いてくるけど、変なことを言ってしまわないように、頷くだけにしておいた。
すると、りょうちゃんは、再び口を開く。
「みかんちゃん、紅茶病と言われる病気を知ってる? 紅茶が好きな女性に広がる感染症みたいな奇病なんだ」
「時雨さんから、聞いたことあるよ。王都にある紅茶研究所の紅茶は、その紅茶病にかかりにくいとか」
レグルス先生の付き人のナインさんが、紅茶研究所に勤めてるんだよね。怖そうな人だったけど、紅茶の感想を言ったことで、ガラッと態度が変わったっけ。
「あぁ、そういう噂もあるね。だけど、実際のところはよくわかってないみたいだ。妻も紅茶が好きだったようだけど、関係があるかはわからない」
りょうちゃんの表情は、今まで見たことないほど、辛そうなものに変わっていた。
「亡くなった奥様を、今も愛してるのね」
(あっ、しまった)
変なことを言ってしまった。当たり前のことだよね。
「愛とは違うかな。妻との結婚は、私が5歳の時に親が決めたものだからね。彼女は、私より15歳も若かった」
(ん? 計算が合わない?)
「もしかして、生まれてない女性との結婚が決まってたの?」
「そうだよ。母親のお腹にいる娘との婚約ならまだしも、結婚が決まってから10年も経ってから生まれたんだよ。彼女が10歳になったときに結婚して、対等に話せるようになる前に……彼女は15歳で亡くなってしまったからね」
「そう、なんだ」
「たぶん、私が寂しい思いをさせたのだと思う。私が大学にこもっていたから、彼女は、毎日のように知人とお茶会を開いていたようだ。そのせいで、病を患うことになったのだろう」
(紅茶は、毒なの?)
りょうちゃんが結婚したのは、学者になるための勉強をしていた時期なのかな。10歳の彼女は孤独だった、よね」
「この世界の人って、女性の寿命が短いのは、それが理由なのかな。でも紅茶が毒だとは思えないけど」
「紅茶研究所が、その研究をしているよ。茶葉に問題があるという仮説で研究しているらしいけど、私は、原因は水にあると思っているんだ」
「えっ? 水?」
(毒を盛られたってこと?)
「ダークロード領では、紅茶病はほとんど発生しないんだよ。地下水を、飲み水として使っているだろう? 火山の多いダークロード領では、川の水には頻繁に火山灰が降り注ぐからさ。他の地域では、山の湧き水や川の水が飲み水だ」
「そっか。水の汚染が原因だと考える方が自然かもしれないね。だけど、これだけ魔法が発達してるのに、危険な水に気づかないかな?」
私がそう指摘すると、りょうちゃんは目を見開いた。
「みかんちゃんの言う通りだ。水でなければ、やはり茶葉なのか。紅茶とは関係のない感染症だとも考えられるんだけどね」
「そっか」
りょうちゃんは、この8年間、ずっと苦しんできたのだと感じた。彼女を放っておいたという自責の念だろうか。
「でも『フィールド&ハーツ』を通じて、いろいろな人と話して、私は随分と救われたよ。特に、みかんちゃんには感謝している」
「私? どうして?」
「なぜか、みかんちゃんとはタイミングが合うんだ。私が辛くて気分転換をしたくてログインをすると、みかんちゃんからコメントが来ていたり、みかんちゃんがログイン中だったりしてね」
「そういえば、そうだね。りょうちゃんにコメントを送ると、結構すぐに返事が来てた。頻繁にログインしてるんだと思ってたよ」
「私は、毎日1〜2回だったな。時間もバラバラだった」
「へぇ、不思議だね。でも、りょうちゃんがそんな状況だなんて知らなかったから、私、いろいろな愚痴とか相談ばかりしてたよね。ごめん」
「いや、それが嬉しかったんだよ。あの頃は、私は腫れ物のように扱われていてね。だから、フレンドさん達とのコメントのやり取りが、唯一の楽しみになっていた。みかんちゃんの『ふぇ〜ん』には本気で笑っちゃったよ」
そういえば、ふぇ〜んと言ってる顔文字を送ると、りょうちゃんはよく笑ってたっけ。
「お恥ずかしい……。顔が見えないから、好き勝手に騒いでたね。あれは、りょうちゃんに甘えてたんだよ。ヨシヨシってなぐさめてくれるのが嬉しくて」
「ふふっ、そっか。やっぱり、みかんちゃんっていいな」
ふわっと笑みを浮かべた彼の顔が……。
(近い近い!)
私の顔に触れそうなほど近づいて、離れていった。
(キスされるのかと思った!)
りょうちゃんは、草原の方に視線を向けている。
「みかんちゃん、ちょっと待ってて」
「ん?」
私が顔をあげたときには、りょうちゃんの姿は消えていた。転移魔法を使ったみたい。ゲームユーザーが問題を起こしたのかな。
立ち上がってみたけど、背の低い8歳児には花畑しか見えない。でも、高台の端に近寄るのは怖い。崖から突き落とされた前の持ち主の記憶がトラウマになってる。
切り株みたいな椅子の上に立つか悩んでいると、左腕から透明なえのき茸がヒュルヒュルと伸びてきた。草原を見ているみたい。
(ズルい)
私も見ようと、椅子に手をかけると……。
『ダメだよ。椅子が倒れて谷に転がり落ちるよ』
(えっ? りょうちゃん?)
『名前は無いの。名前をつけてよ』
(名前って、授かるモノだよね?)
『それは精霊が管理するため。アタシは管理されないもの』
(アナタは誰? どこにいるの?)
そう考えると、伸びていた透明なえのき茸が、私の目線まで縮んできた。
『アタシは、みかんの左腕の中にいるよ。早く名前をつけてよ。名無し精霊なんて絶対にヤダ』
(どんな名前でもいいの? 女の子?)
『性別は無いよ。みかんが良いと思う名前にしてよ? それによってアタシのかわいさが変わるもの』
(えーっ、責任重大だな。ん〜、えのき茸みたいだから、ノキってどう?)
『ノキ? それがアタシの名前? 2文字なの?』
(気に入らなかったら、長い名前を考えるよ。えーっと)
『それでいい。ノキ! アタシは、ノキ!』
(えっ? 何?)
私の左腕から、無数の透明なえのき茸が、空に向かって一気に伸びていき、ピカピカと輝き始めた。




