38、不思議な水場とリゲル・ザッハの提案
「ミカン・ダークロードと言ったか。母親は誰だ?」
リゲル・ザッハは、強い口調で私に尋ねた。イチニーさんに助けを求めようとして視線を向けても、彼は、作ったような笑みを張り付けていて、その感情は読めない。
頭がチリチリする。イチニーさんは信頼できると思っていたのに、裏切られたのかな。でも、彼はそんな人じゃないと思いたい。
私が黙っていたことにイラついたのか、リゲル・ザッハの表情は、ますます険しくなってきた。私は、リゲルに殺されるの? イチニーさんは、私を、彼に売った?
こんなに疑心暗鬼になってしまうのは、どうしてだろう。さっきまでは、ふわふわとした居心地の良さを感じていたのに、今ではそのすべてが嘘だと思えてくる。
(でも、イチニーさんのことは信じたい)
誰かを疑って不安になるより、信じたい人を信じている方がいい。どうせ、殺されるときは殺される。私は、『悪役令嬢の妹』に転生してしまったんだから。
私は覚悟を決めて、リゲル・ザッハを真っ直ぐに見た。
「私は、母親を知らないわ。父親の顔も記憶にない」
「は? そんなこと……ふん、嘘はついてないらしいな」
(嘘発見器の術? あっ、そうだ)
私は左腕に触れた。えのき茸は、悪意発見器だということを忘れていた。わずかにズキンと痛むけど、強い悪意ではない。リゲル・ザッハは、少なくとも私に殺意は向けてない。
「ミカンさんの姉は、エリザさんですよ」
イチニーさんがそう言うと、左腕の痛みが完全に消えた。リゲル・ザッハの悪意が消えたということ?
「ふぅん、なるほどな。それでおまえが接触しているのか」
リゲル・ザッハの問いに、イチニーさんは感情の読めない笑みを浮かべただけだった。二人は知り合いみたい。それでイチニーさんが、私に何かの意図があって接触した?
「私は、偶然、同じ魔術学校に通っているだけですよ」
「ふぅん、何も話してないというわけか。で? ここで休憩するということは、俺に何を言わせたい? ここはベルメのヘソだぜ?」
(ベルメのへそ? 何それ)
「ミカンさんは強い人ですよ。ベルメの闇にはとらわれない」
「ふぅん、うん? あんた、どこかで見た顔だな」
リゲル・ザッハは、私の顔をジッと見ている。睨まれているように感じて、怯みそうになる。
「リゲルさんとは、昨日、焼き菓子の店で会ったわ」
私がそう答えると、リゲル・ザッハは目を見開いた。
「あんた、俺の名前がわかるのか。あぁ、アイツらがそう呼んだのを覚えていたのか。だが、エリザの妹ということは、転生者だな?」
「えっ……」
どう答えるべきかわからず、イチニーさんの方に視線を移した。だけど彼はニコニコして、私にパンを差し出してくれただけだった。
「ミカンさん、昼食の時間は過ぎていますよ。飲み物は水しかないのですが」
「あ、ありがとう」
イチニーさんは、リゲル・ザッハにもパンを渡すと、水場の方へと歩いて行った。
(もしかして、水を汲みに行った?)
「おい、飲み水なら、奥の方へ行けよ」
「わかってますよ」
イチニーさんは、何かの術を使ったみたい。水の上を歩いていく。
(すごい……)
「お嬢ちゃん、アイツのことはどこまで知っている?」
「えっ? イチニーさん? えっと高位ランク冒険者だということは知っています」
「ふぅん、それで、俺のことは?」
「リゲルさんは、パーティを抜けたみたいだなぁということは……」
「他には?」
「いえ、別に……」
リゲル・ザッハの視線は、水場の方に向いた。静かだった水面が波打ち始めている。
「お嬢ちゃん、ここはベルメのヘソだ。嘘は通用しない。だから、俺はここに隠れている」
リゲル・ザッハが嘘発見器のような術を使ったんじゃなくて、この水場にそんな不思議なチカラがあるってこと?
「えーっと……」
「ゲームユーザーだな? 俺の家名も知っているのだろう?」
「貴方も、『フィールド&ハーツ』のユーザーなんですか?」
「は? 俺はどう見ても出演者の方だろ。俺はこの世界で生まれた。転生者ではない。物語は既に作られたようだが、フィールドはこれからだったな。時差があるらしいから、よくわからねーが」
「10年くらいの時差があるみたいです」
「ふぅん、俺の物語も作られたらしいな。嫌だと言ったのに」
「リゲルさんの物語は、人気がありましたよ?」
「ふん、どうでもいい。俺の家名は?」
「えーっと、リゲル・ザッハさん……」
「チッ、やはりザッハ家として作りやがったか。どの神託者だ? 物語の作者は知らないか?」
「いえ、あの、神託者さんが、物語を作ったんですか? ゲームの案内人の姿だったけど、神託者さんってそもそも何者なんですか」
(あっ、質問に質問で返しちゃった)
「なるほどな、アイツはそれを俺に言わせたいのか。確かにエリザの妹は、何か対処しないと永遠に命を狙われるからな」
リゲル・ザッハは、何かを考え始めたみたい。
私は、スポンジの木のおかげで悪意がわかる。だから、今は華麗に避けることができている。でも、エリザが家を継ぐ権利を得ると、どうなるかわからない。今のような偶然を装う余裕はなくなり、過激な方法で狙われるようになると思う。
「お嬢ちゃんは、このままでいいのか? エリザの妹は、エリザの唯一の弱点だ」
「いいわけないけど、でも……」
「ふぅん、そうだよな。お嬢ちゃん、一つだけ狙われなくなる方法があるぜ」
「どうすればいいのですか」
「お嬢ちゃんも、出演者側に回ればいい。そうすれば奴らは、あんたの命は狙えなくなる」
「えっ? 一体、どういうことですか? 奴らって? そもそも神託者が……」
「何も知らないらしいから言っておく。神託者は、特殊能力を持つ者の総称だ。ちなみに俺も神託者だ」
「ええっ!?」
「ふっ、ユフィラルフ魔道学院に通ってるんじゃねーのかよ? 1年程前に、エリザの妹がそこの初等科に入学したと聞いたぜ」
そういえば、神託者を目指す人が多く通う学校だと言ってたっけ。シャーマンのことばかり気にして忘れてた。
「あぁ、お嬢ちゃんの担当の神託者に言っておくよ。ミカン・ダークロードは、一応合格だってな」
「合格って、何が……」
「シーッ! そろそろ声が聞こえる距離だぜ」
大きな容器を持ったイチニーさんが、こちらに向かって、水の上を歩いてくる。
(イチニーさんには秘密なの?)




