32、紋章とロード系貴族について
「えっ? 顔を斬られたの?」
「あぁ、俺がお嬢ちゃんくらいの歳の頃だ。親も……いや、まぁ、いい。じゃーな」
リゲル・ザッハは、一瞬だけ優しい笑みを向けると、他の5人を置いて、店を出て行った。私は、彼の人生の転換点を目撃してしまったのかな。
(しかし、子供の顔を斬る貴族って……)
だから彼は、子供を狙うことはクズだと言っていたのかな。そして、その彼に大怪我をさせた貴族は……ダークロード家なのだろうか。
私を狙わせているのも、たぶんダークロード家の誰かだよね。他にもいるかもしれないけど。エリザを潰すために、強すぎるエリザには太刀打ちできないから、妹の私を狙う。
(卑怯よね)
「お嬢ちゃん、大丈夫? 怖かったね」
他の5人も帰った後、さっきの店員さんが声をかけてくれた。私よりも、サラやグラスさんが悪い汗をかいているけど……。
「うん、怖かったけど、優しい目をしてたよ」
「そう、よかった。あの人がいるから、あのパーティは店ではおとなしかったんだけど、抜けたみたいね。これからは対策が必要だわ」
店員さんは、すっかりタメ口になっている。ビビって、言葉遣いが変わったことに気づいてないのかもしれない。
「それなら、おそらく大丈夫ですよ。この店は草原に近いから、多くの冒険者が付近にいますから」
グラスさんに、おだやかな口調でそう言われて、店員さんは少し落ち着いたみたい。
「そ、そうですね。ありがとうございます」
店員さんは赤くなってるよ。もしかして、グラスさんの優しさにキュンときちゃったのかな。
「そろそろ帰りましょうか」
「はーい。あっ、お買い物してないね」
「お土産を買って帰りましょう」
私達を先導するグラスさんは、焼き菓子の店を出ると、寮とは真逆の方向に歩いていく。たぶん、後ろからついてくる人がいないか、警戒しているのね。
今は全く、左腕のスポンジの木は反応してない。でも、悪意発見器だとは話してないから、教えてあげるわけにはいかないかな。
途中で、パン屋さんと紅茶屋さんに寄ってから、寮に戻った。パン屋さんでは、グラスさんがかなり買い込んでいたみたい。紅茶屋さんでは、サラが氷砂糖みたいなものを買っていた。
(たぶん、サラのおやつね)
◇◇◇
「遅くなりました。ひぇぇえ」
寮の私の部屋に着くと、先に部屋に入ったサラが奇声をあげた。私も思わず叫びそうになる。
(なぜ、イチニーさんがいるの?)
イチニーさんだけではない。時雨さんとレオナードくんもいる。扉の近くには、いつもレオナードくんに付き添いをしていた二人が、お揃いの服を着て立っていた。付き添い用の制服姿しか見たことなかったけど、私服までお揃いなの?
(あっ、違う。制服かな)
彼らのジャケットの胸ポケットには、家紋のような模様が縫いつけられている。これはトリッツ家の紋章だ。
図書館にこもっていたときに、有名貴族の紋章を記した本も読んだ。全部を覚えているわけじゃないけど、レオナードくんがトリッツ家だと聞いたから、これはしっかり記憶している。
紋章を付けることは、主要な地位にあることを意味するはず。私の世話をしてくれる使用人達は、ダークロード家の紋章を付けることは認められてないもの。
(レオナードくんは、家を継ぐのかな)
「ミカンさん、お邪魔してるよ。お留守だったから出直そうとしたんだけど、部屋にいれてくれたの」
時雨さんはそう言うけど、たぶん少し違うよね? レオナードくんの付き添いの人の紋章の力かな。
私が扉を守る黒服に視線を移すと、彼は慌てた表情で頭を下げた。その様子で私の予想は確信に変わった。紋章にビビったのね。
(高位のシャーマン家だもんね)
「シグレニさん、かなりお待たせしたのかな。ごめんなさいね。レオナードくんとイチニーさんも……」
「待ってないですよ。レオナード様がグダグダしていたから、部屋に入れていただいたのは、ついさっきです。淹れてもらった紅茶も、まだほとんど減ってないでしょう?」
イチニーさんが私の言葉をさえぎった。チャラい雰囲気を出してるけど、やはり、こういうキャラを演じているように思えてしまう。私が無意識に、イチニーさんを美化しようとしているのかもしれないけど。
「それなら、よかったです。えーっと、このメンツということは、フィールド実習かな」
「ミカンさん、勘がいいですね。あれ? 私ばかりが話していると、レオナード様が拗ねてしまうかな」
そう言って、レオナードくんの方に視線を向けるイチニーさん。
(何か、変ね)
イチニーさんは平民なのに、レオナードくんをからかったり堂々としてる。時雨さんは、落ち着かない様子なのに。あっ、イチニーさんは、凄そうな称号を得ているから、特別な平民なのかもしれないけど。
図書館でいろいろな本を読むと、貴族と商人と平民の身分差がとても大きいことがわかった。貴族の中にも格付けがある。
中世ヨーロッパ風にいえば、公爵や侯爵、伯爵にあたるのが、ロード系と呼ばれる貴族。ロード系の中でも上下関係があるようだ。ダークロード家、グリーンロード家、そしてブライトロード家が公爵にあたる。その3つ以外のロード系は侯爵と伯爵かな。その区別は今の私にはわからない。
ロードと付かない貴族家は、子爵や男爵にあたる。でも、レオナードくんのトリッツ家は、たぶん伯爵扱いだと思う。シャーマン家の中で、トリッツ家だけが王家に仕えているみたい。
「ミカンさん、聞いてた?」
「へ? 何?」
私がお土産にもらったクッキーの袋を取り出しながら考えごとをしていると、時雨さんが顔を覗き込んできた。
「おまえ、俺達の話よりもクッキーの方が大事なのかよ。やっぱりチビだな」
レオナードくんにそう言われて、彼の方をパッと見ると、いつものように照れて赤くなる。ふふっ、女の子を意識し始めるお年頃なのかな。
「レオナード様、また、そんなことばかり言って。ミカンさんに嫌われても知りませんよ?」
「のわっ? お、俺が悪いのか? ミカンはクッキーが好きなのかと思っただけじゃないか」
「これは、焼き菓子の店でお土産にもらったの。サラ、小皿はある?」
「お皿なんていらないですよ」
イチニーさんは私からクッキーの袋を取り上げると、袋を開けて、すぐに一つを口に放り込んだ。
「イチニー、行儀が悪いぞ!」
レオナードくんは怒鳴ったけど、たぶんイチニーさんは、毒見をしてくれたのだと思うよ。




