31、まだ若きリゲル・ザッハ
「フレッシュジュース、美味しい!」
さっき見かけた人が気になりつつも、席に戻ると、私は子供っぽさ全開にして、ジュースのコップを両手で掴んで飲んだ。サラがハラハラしてる。こんな大きなコップは、普段は使わないもんね。
サラが気にしているのは、私が手を滑らせるとか、そんな失敗ではない。私が自分の顔が水面に映るのを怖がると思って、心配してくれているみたい。
(勘違いなんだけどな)
この身体の以前の持ち主は、池に落ちて亡くなったから、その後に身体に入った転生者が水を怖がったみたい。だけど私は、一つ前の持ち主の記憶しか引き継いでないから、そんなトラウマはないんだけど。
「ふふっ、お嬢ちゃんが選ばれた組み合わせが、とても良かったからですよ。店ではあまりしない組み合わせだから、勉強になります」
(ん? そうなの?)
「赤い果物と黄色い果物を混ぜたら可愛いかなって思ったの。でも透明なジュースになったね。すっごく不思議」
スムージーをイメージしていたけど、出てきたのはクリアなジュースだった。
私は、りんごっぽい果物とレモンっぽい果物を選んだ。見た目はりんごやレモンとは違うんだけど、図書館にこもっていた知識が、こんな所で役立つとは思わなかった。はちみつレモンとアップルジュースを混ぜたみたいな味になってる。
「赤い果物は、皮は赤いのですが果実は白っぽいのですよ。黄色い果物は少しすっぱいのですが、赤い果物の蜜と合わさるから、美味しくなったのですね。調理した人は甘味を加えてないから、果汁100%です」
「へぇ、面白〜い。あっ、そうだ。すごく力の強い人が調理したの?」
「いえ? 普通の人ですよ?」
さっき、私を狙う冒険者っぽい人達の話を盗み聞きしながら、私は、しっかりと圧搾道具の使い方を見ていた。りんごのような果物も簡単に潰れていたのよね。
「かたそうな果物が、簡単にジュースになったよ?」
「ふふっ、あの圧搾道具は、いわゆる魔道具なんですよ。わずかな魔力を流して使うのです」
(あー、魔道具かぁ)
私は、一応、キョトンとしておく。たぶん普通の6歳児は魔道具なんて知らないもの。店員さんは、優しく微笑んで、小さな袋をテーブルにおいた。
「こちらが、並んでいただいたお子さま特典のクッキーです。お土産にどうぞ」
「ありがとう! かわいい〜」
子供でも一口で食べられそうな、小さな形のクッキーが20個くらい入っている。
触るとパリパリと音がする材質の透明な袋は、たぶん保存袋だと思う。開けなかったら、中身が劣化しない不思議な袋。フィールド学習の薬草の採取で、学校から渡されたものと一緒かな。
オススメ焼き菓子の中にも、同じクッキーが添えられているみたい。このお土産は、留守番してる侍女にあげよう。
三人でジュースの圧搾の話をしながら、焼き菓子を食べた。ほとんど私が話していたんだけど。
焼き菓子は、たくさんの果物が入ってるクレープみたいなものだった。生クリーム代わりにジャムが入ってるから、けっこう甘い。この世界には、生クリームはないのかな?
「俺は、ここで別れる。そういうつまらない仕事はしない」
(あっ、この声は……)
私を狙っていた女性二人にダメ出しをしていた人の声だ。さっきの6人組が、お会計をするために、私から見える店の扉の近くにいる。
男性は4人いるけど、今の声はどの人だろう? 厨房近くで話していた人の声。その声の主があの人なら、たぶんゲームの攻略対象だ。
「リゲル、まさか、抜ける気?」
「あぁ、抜ける。冒険者なら、もっと強いモンスターに挑むとか、いくらでも高額報酬のミッションはあるだろーが」
(声の主は、やっぱりあの人。リゲル・ザッハだ!)
私が知るリゲル・ザッハは、もっと海の男って感じのガッチリした冒険者だったはず。乙女ゲーム『フィールド&ハーツ』では、配信からだいぶ経ってから追加された物語の攻略対象の一人だった。
今のリゲルは、まだ若い。とは言っても、30歳前後に見えるけど。
リゲルは怖そうな見た目に反して、正義感が強くて優しい。いつも主人公である私の……ユーザーの味方だった。海底ダンジョンでピンチになって、私も何度か助けてもらったっけ。
攻略対象に追加される前は、サブキャラだった。でも、人気投票の結果で、物語追加になったのだと思う。
そういえばリゲルは、悪役令嬢エリザ・ダークロードと敵対してたっけ。彼は、ダークロード家に恨みがあるんだったかな。エリザ・ダークロードと交戦になって助けてもらったときに、少しそんな話を聞いた記憶がある。
特に、ベルメの海底ダンジョンでは、エリザとの遭遇率が高かったけど、それ以上にリゲルともよく会ったっけ。リゲル・ザッハの物語は、ベルメ海岸がメイン地だったと思う。
私は、リゲルとはイマイチ合わなかった。マッチョ好きな人には、いいのかもしれないけど。
(ん? ダークロード家に恨み?)
ちょっと待って。私もダークロード家だよ! もしかして、私の名前がバレたら狙われる? リゲルって、めちゃくちゃ強いよ?
「妹ちゃん、どうかしたの? 顔色が悪いよ」
サラが心配そうに私の顔を覗き込んだ。突然話すのをやめて固まったからかな。いや、私ってば、顔に出やすいタイプだっけ。
「ん? 大丈夫……」
そのとき、リゲルが私の方をパッと見た。蛇に睨まれたカエルって、こんな気分なのかな。金縛りにあったかのように、呼吸をすることさえ忘れそう……。
私の異変に、当然、グラスさんも気づいている。彼はゆっくりと後ろを振り返った。
(ぎゃ! 来た!)
リゲル・ザッハが、グラスさんのすぐ後ろに立った。グラスさんの表情も固まっている。
「何だ? 俺に何か用事か? おまえ、さっき厨房前にいた子供だな? 何か聞いていたか」
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
リゲル・ザッハには、変な言い訳は通用しない。でも彼は、さっき子供を狙うことをクズだと言ってた。彼の性格を考えれば……。
「オジサンの顔が怖くて……でも、なぜ左の眉毛が少ししかないのか気になって……ごめんなさい」
私は子供っぽさ全開で、しょんぼりして見せた。
店内がシーンと静かになった。グラスさんがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえるほどだ。
(失敗した? まだ、今のリゲルは若いから……)
「お嬢ちゃん、人の顔をジッと見るもんじゃねーぞ。左の眉毛が途中から無いのは、子供の頃に顔を斬られたからだ。とある貴族にな」




