3、昏睡状態だと思うことにした妹ちゃん
「お嬢様、おはようございます。お食事は召し上がれそうですか?」
私を気遣う優しい声で、目が覚めた。
(昨日も聞いた声だ)
私が目を開けたことに気づくと侍女らしき女性は、カーテンを結び、そっと窓を開けた。
窓からは、キラキラと輝く光が部屋いっぱいに差し込んでくる。そしてその光は、私を誘うのようにクルクルと舞いながら近くを漂う。
(まだ夢が続いている……わけないか)
私はゆっくりと上体を起こした。優しい声の侍女らしき女性が、私の背に手を当てて支えてくれる。包帯ぐるぐる巻きで左腕が動かないから、気を遣ってくれたみたい。
近寄ってきた光に触れると、パッと弾けて私の右手に吸い込まれた。これはもう疑う余地がない。
この光は、乙女ゲーム『フィールド&ハーツ』の世界のどこにでもいる、始まりの精霊だ。ゲームの中では、一日の始まりとログインをしたときに現れる。スマホ画面上の光に触れると、主人公の体力と魔力を全回復するものだ。
今は寝起きだし、そもそもステイタス画面がないから、その効果はよくわからないけど。
「お嬢様、着替えをお手伝いします。左腕の痛みはありませんか?」
そう尋ねられ、頷いてベッドから降りる。
(あっ、鏡?)
侍女らしき女性の一人が、姿見のような鏡を、私が立つ前に移動させた。鏡は汚れているのか、はっきりと姿を映さない。だけど、誰も気にする様子はないみたい。これがこの世界の鏡なのかな。
着替えがテキパキと進む。
私の左腕の包帯は、不器用な人が巻いたのか、かなり大げさに何重にも巻かれていて、ひじから上が大きく膨らんでいる。
そして私の姿は、5歳にしては小さく見えた。エリザ・ダークロードと同じく華やかな金髪だけど、長さは肩までで、ふわふわした感じのくせ毛。顔は、鏡が汚れているから、この距離ではよくわからない。
昨日の夢は現実だったのだと思い知らされる。
(でも、こんなことってある?)
もしかすると、私は事故の怪我で昏睡状態なのかもしれない。これが現実のような気がしているけど、異世界転生なんて、あるわけないよね?
「妹ちゃん! おはよう。お目覚めはいかがかしら?」
青いノースリーブワンピースを着せられ、髪に青いリボンをヘアバンドのように結ばれているときに、昨日の10代後半の女の子が飛び込んできた。
「エリザ様、お嬢様はまだ記憶の混乱があるようですから、お静かに」
女の子を追ってきた女性が、彼女を叱っている。昨日も、彼女を叱っていた人だ。年配だけど品のある凛とした女性。
(あっ、この人って……)
乙女ゲーム『フィールド&ハーツ』では、素性は明かされてないけどダークロード家の主要人物で、エリザ・ダークロードが断罪されそうになったとき、彼女を庇って死んだキャラクターだ。
「わかってるわよ! 妹ちゃん、今日も可愛いわ。そのワンピースは大人っぽくて素敵ね」
(また、抱きしめられてる)
鏡に映る彼女の顔は、私をキュッと抱きしめて幸せそうに微笑んでいるように見える。鏡が汚れているから見間違いかもしれないけど。
「お、おはよう」
「きゃーっ! 妹ちゃんがおはようって言ってくれたわ〜。なんて可愛らしい声なのかしらぁ〜」
むぎゅーっと抱きしめる力が強くなる。
「いたっ」
「ハッ! ごめんなさい、妹ちゃん。ついつい興奮してしまったわ。左腕が痛いわよね。シャーマンを呼ぶとお父様はおっしゃっていたけど、呼ぶより行く方が早いわよね。御者はいるかしら? 誰かー!」
(シャーマン?)
エリザ・ダークロードは、扉の方を向いて叫んだ。思い立ったら、すぐに行動するんだ、この人。
「エリザ様、お嬢様は昨日、崖から落ちて大怪我をされたのですよ? 今日は静養されるべきです」
(あっ! この声!)
昨日の夜中に聞こえてきた声に似ている。エリザの妹を殺せと言われて、言い訳していた人の声。彼の姿には見覚えがない。ゲームの中には出てこないキャラクターかな。黒服を着た初老の男性……執事かも?
「妹ちゃんの怪我は、治癒術師が治したでしょ! それに、治癒術師が治せなかった痛みは、私のヒーリング魔法で和らげたから問題はないわ。すぐに馬車を用意しなさい! 私がグリーンロード領に、妹ちゃんを連れて行くわ」
(始まりの街だ)
乙女ゲーム『フィールド&ハーツ』では、主人公の名や容姿を選んでゲームをスタートすると、グリーンロードの冒険者ギルドから始まる。そこで、いろいろなオリエンテーションを聞くと、マイページの利用ができるようになる。
新たなルート選択をするたびに、グリーンロードの冒険者ギルドから始まるから、グリーンロードの街の地図は完璧に覚えている。
「ですが、エリザ様は、今日は学校に行かれる日ですよね。私がエリザ様の代わりに……」
(えっ? 私、殺される!?)
私の表情の変化に、二人は気付いたようだ。
「貴方はダメよ。昨日、妹ちゃんをグリーンロード領に連れて行こうとしたでしょ。貴方達が休憩地で目を離したせいで、この子は崖から落ちたのよ? 怖い記憶を思い出すじゃないの」
昨日? どういうこと? 私にはその記憶は全くない。
(やっぱり、夢ね)
私はバス事故で、きっと昏睡状態になっている。だから、これは夢の中よね? バス事故のとき、そういえば『フィールド&ハーツ』のトップ画面が見えたっけ。あの時からもう、私はずっと眠っているのね。
「さぁ! 妹ちゃん! 行くわよ」
「えっ?」
「エリザ様! お嬢様は、まだお朝食も召し上がっていませんよ」
「馬車の中で食べればいいわ。このまま私が学校に行くと、妹ちゃんが不安になるでしょ。早く名前を授からないと魔法も使えないもの」
私に手を差し出すエリザ・ダークロード。私が右手を重ねると、きゅっと握られた。そのまま、ずんずんと引っ張られて、部屋を出て行く。
廊下では、たくさんの声がかかったけど、彼女はすべて無視して中庭に出た。その勢いのまま馬車に乗り込む。
(すごい行動力)
「さぁ! グリーンロード領へ! 昼までには着いてちょうだい」
「エリザ様、かしこまりました」
慌てて護衛らしき騎士が二人、馬車に乗り込んでくる。そして、馬車は、静かに走り始めた。